表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14戦記  作者: ヨルカ
2023年-7月 1〜
6/6

7/28(金)

なかなか哲学的です

 今日も今日とて話題がない。仕方がないからエッセイに路線変更だ。もともとエッセイもありだったんだけどね。


 今日は特別つまらない。「価値」について考えてみることにする。

 僕は「価値」について考えることが好きだ。四六時中考えてしまうとかそこまでではないが、これと引き換えならどんなことができるか、考えることが多い。

 極端に言おう。自分が生殺与奪権をある人に握られたとする。そしたらその人物の要求に、どこまで答えることができるのか。あの人を殺させない代わりに、誰なら死なせてもいいのか。そんな物騒なことを思考してしまっている。どうしても考えてしまうのだよ。


 「価値」とはなんだろうか。ある事物の対価の大きさである、というのが僕の持論だ。我々文明人が考える基本的かつ一般的な「対価」は金銭である。人が何かを購入するときは、まずその金額を確認するだろう。対価をわかりやすく数値化することができることも大きな利点でもある。

 では、その対価が変わったら? お金では表せないもの、感情などはどうだろう? 君は、一生恋心を抱けない体質になりたくはないだろう。もしなるとしたら、代わりに何を受け取るのがフェアだと考えるか。逆に、そうなることを回避するために、どんな犠牲を払えるのか? 想像したこともなかっただろう。ちなみに僕は恋心をなくすのであれば、一生贅沢をして暮らせるだけのお金を要求してもまだ足りないくらいだ。言いたいのは、つまり愛はお金では計り知れないほどの価値がある、ということ。このように感情は時々お金を軽く飛び越える。無償でもらえるが、売るならば果てしなく高額になる、不思議な不思議なモノだ。


 ここまで考えるともう面白い。いろんなものの価値を見てみたくなる。想像したくなる。親友と好きな人、一人死んでしまうのならどちらにするか。僕は好きな人を選んでしまうだろう。親友が死ぬのを目の前で見て、罪の意識に自殺に追い込まれるのがオチだろう。命の重さなんてないとみんな言うけれど、本当のところ命には重さの違いがある。客観的に見てわかることもあれば、主観的に見ないとわからない違いだってある。誰かにとって大切な人は、無関係な人からすると、とてもとても軽い命だ。

 世界は残酷とはよく言ったものだ。戦争による死者は平和主義の日本であってもあまり知られておらず、もし自分が戦場にいればなんて少し想像力を働かせることもなかっただろう。みんな命の重さがあり、人によってそれは変わる。精一杯、自分の価値を示せるように生きようではないか。

面白いと思ったら星&いいねをちょーだい。

星はアマゾンのレビューみたいなもんだから、星1でも力になる。たぶん。

さらに、そこの君。ぜひぜひ感想を書いてくれ。なんか改善しよう、保証はしないが。

他にもこいつうざい、好きな人より親友だろ、等あればどうぞ。論破を目指すわけではないが、語り合おうじゃないか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ