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少し長くなりました。
「やぁ、アルベルト。久しぶりだね。あんな辺境から祝福の子が突然、しかも四人も産まれたなんて聞いた時には天変地異の前触れかと思ったよ。あるいは、神様の思し召しか」
「やぁ、アイガー。驚いているところ申し訳ないが、その様子だと準備はできているね」
「なんだい、もう少し預言者だと持ち上げてくれても良かったのにサ。……嘘々。準備は出来てるよ。魔力印紙はもうできてるかい?」
廊下の先、一つの部屋の扉を開けると、そこはまるで魔法使いの工房のような場所だった。所狭しと実験器具や筆記用具、さらには先のとがった大きな針などがおかれている。
その奥で一人、ゴーグルをかけ、レザー製の大きなコートに身を包んだ人物が伯爵に言われたままにがさがさとその場にあった物をそこかしこによけはじめる。声色と会話から察するにこの女性がアイガー、刺青師アイガーなのだろう。
片付けられた場所には一つの大きな机が置かれていた。真っ白に全体を塗装されたそれはどこにでもある少し高そうなものにしか見えず、これから先魔法紋を授けてもらえるとは思えないほど簡素だった。
アイガーはアルベルト伯爵に渡された紙と俺たちを交互に眺める。
「ふむ、完璧に印字はできているが……いや、大丈夫だね。じゃあそうだな。ムト、ニーナ、ジョシュア、ウォルシュの順番だ。その順番で刻印していく。異論は?」
「ないです。よろしくお願いします」
ジョシュアが率先して言う。確認もなく発せられたそれに対して異論を求める者は誰も居なかった。
「私もないよ。失敗さえなければ」
「あっそ。勇気のある子に育てたんだね。即答されたのは初めてだ。さ、そういう訳でさっさと済ませてしまおうか。ムト、来な」
「んな」
呼びかけに答えるようにムトが前に出る。その大きなお腹で時折実験器具のようなものを落としかけていた。
ギリギリを通り、そのまま奥の机の前にムトが座る。
「おぉ、ネコボルトの祝福の子とは珍しい。しかも神から愛されている体型だ。良い魔法紋が出るかもしれないね」
「んな、それよりも肉球を揉んでくるのはやめるんじゃ。ワシは愛玩動物ではないぞ」
「バカなことを言うんじゃない。毛が多いからベースの紋様が見えにくいだけだ。心外だよ」
張り詰めた空気がアイガーの言葉と行動でゆっくりとたわんでいく。その空気感は、しかしアイガーがムトの手の甲に魔力印紙を重ね置いた時に一瞬で元に戻った。
その場の気温が体感で数度は下がったように感じる。その冷気の源はムトの手の甲だとすぐに察せられた。そこから青白いもやがもくもくと流れ落ちていたからだ。
その空気感に強制的に背筋が延ばされる。アイガーはその中で呪文の詠唱のようなものを唱え始めた。
「始祖を生むは蒼の刻印
発展を望むは一握りの芥
進め、刻め、染み込め
蛇蝎這う夜の帳に
涙流す乙女の血よ
その色を変え、醒ましたまえ」
ムトの手の甲から出ていたともやが元の手の甲に戻っていく。その青白いそれが全くでなくなった頃、アイガーは「完了だよ」とつぶやいた。
「ムト、大丈夫?」
ニーナが心配そうに呼びかける。それに対してムトは何事も無かったかのようにこちらに振り向いて
「んな、拍子抜けっちゃ拍子抜けじゃわな。冷たかったんじゃが、痛くもなんともなかった」
と返事をした。
「んな、してアイガー。ワシの魔法紋はなんじゃ?」
その問いに対してアイガーはムトの手の甲の毛をかきわけて刻印された魔法紋を見る。
「鷹の目の紋が出てる。多分千里眼だね。今実感できるものじゃないけど、訓練したらそこらへんの軍師なんか目じゃないくらい全部見えるようになるんじゃない?」
「んな、知ってはいたけど実感もないもんじゃな。まあワシそこまで運動得意じゃないからちょうどいいんじゃ。千里眼なんて何に使っても便利じゃしな」
うっすらと名残惜しそうな顔をしているアイガーを無視してムトは手を引き、こちらへと戻ってくる。
「ムト、さっそくで悪いのだけれど、さっき通ってきた教会に戻ってもらっても構わないかな? 祝福の子としての最初の仕事、君のその魔法紋をイルカの方で登録しておかなければならないんだ」
伯爵が部屋の扉を開ける。その先には牧師のような姿をした初老の男性が立っていた。
「んな、あい分かった。ジョシュア、ニーナ、ウォルシュ、後で何だったか教えるんじゃよ」
そう言ってムトはその牧師のような男に連れられて行った。
「じゃあ次、ニーナの番だ。来な」
「は、はい!」
呼ばれたニーナは緊張のあまり声が裏返り、そしていつもは出さないような大きな声になっていた。
「ん、まあさっきと同じだから。気にすることは無い。さ、私もこの後用事があるんでな、ちゃっちゃと済ませてしまおうか」
ニーナの緊張をほぐそうとしているのだろうか、さっきよりも明らかにフランクな態度でアイガーは呪文の詠唱を始める。ムトの時と違うのは、手の甲に置かれた紙をアイガーが掴んで固定していないことだった。
しかし、段々と先ほどと同じように冷気に部屋が満たされていくとニーナも自分の行うべきことを自覚してきたのだろう。静かに、そしてかたくならない程度ではあるが真剣なまなざしで自らの手の甲を見つめていた。
ムトの時と違うところは、その様子が毛によって隠されているということが無かったことだ。つまり、じわじわと焼け付くように手の甲に魔法紋が浮き出てくる様子がリアルタイムで見えてくる。
「っ……!」
痛みは伴わないものの、それに対する違和感はすごいのだろう。ニーナは瞬間的に目を閉じる。
「安心しな。もう終わる」
アイガーのその言葉が嘘ではないように、ムトの時と同じようなもやが全てニーナの手の甲に吸収されていった。
「ほら、終わったよ」
その一言がきっかけになったのか、伸びていたニーナの背筋が一瞬にしてぐったりと前に曲がっていった。俺とジョシュアはニーナが倒れるのではないかと一瞬身構えたものの、それは安堵のため息のための一瞬の行為に過ぎないと分かった。
「ニーナ、あんたは学者肌だね。私に近い魔法紋を持ってるよ。ただ、うん。これは筆不精に近い紋だ。魔術文字の必須な魔法に強くなるね。しかも文字を書かずとも詠唱できる。文字の暗記は大変だけど、がんばんな」
「おい、ニーナ……それって」
ジョシュアが驚いたように声をかけた。
緊張、安堵そして驚愕と二転三転するようにニーナの顔がジョシュアの声などどうでも良いかのようにコロコロとこの数分間で変わっていく。
「ニーナ、運がよかったね。さ、ムトを追いかけて申請を済ませてきなさい」
「はい!」
ニーナは伯爵の言葉を待つよりも早く、小走りで部屋を出ていってしまった。
「あの子、情緒は大丈夫なのかい? アルベルト、ムトって子がだいぶん大人しかったからアンタの教育が上手いかと思ったんだがね」
「ニーナは魔術文字が好きなんだよ。毎日本を読み漁っていたほどでね。数奇な運命だ」
「なるほど、同じ雰囲気を感じていたけど、私とあの子は似ているかもしれないね」
アイガーはもうすでに部屋から出ていってしまったニーナをまだ見つめているかのように言う。
「あの、アイガーさん、それって……」
俺は少し気になって、話を遮るように言葉を発した。
「アイガーさんも祝福の子……なんですか?」
「あぁ、アルベルトから聞いてないのかい? 私もそうだよ。ほら」
そう言って見せてきたアイガーの手の甲には、俺と同じ四角形の紋様と、その中に魔法紋が刻印されている。
「私がこの若さで刺青師になれたのもこのおかげだよ。もとから刻印魔術に興味があってね、とんとん拍子でここまでさ。さ、こんなこと話してる場合じゃないんだ。ジョシュアだっけ? 早くしな早くしな。私は忙しいんだよ」
「お、おう……わかった、りました」
ジョシュアも促されるように机に向かう。そこから先はニーナとほとんど同じだった。違う点と言えば、明らかにニーナやアイガーのそれとは魔法紋の形が違ったところだろうか。
「あれ、オレのやつだけ形が違う……」
もやの吸い込まれた手の甲を見て、ジョシュアが不安そうにつぶやく。
「気にしなさんな。間違いなくそれも魔法紋だよ。ただ、系統がニーナと全く違うもんで見た目も別物になってるだけさ。しかもそれは万能の類形。なんでも出来るし、なんでも伸びるある意味で最強の魔法紋さ」
「マジで! よっしゃ! ありがとなアイガーさん!」
最強の魔法紋、という言葉にジョシュアは先ほどまでのかしこまった態度を忘れたかのように喜ぶ。そのガッツポーズが横にあった棚にぶつかり、そこに置かれていた瓶が落ちそうになっていた。
「ただし! ただしだ。聞きなジョシュア」
「おう! なんだ?」
「まず一つ。すでにアンタはイルカの住人だ。目の前に居る相手がどんなに猿だろうと、目上の相手ならちゃんとした言葉遣いをしな。そして二つ目。その魔法紋は一本に絞って何かに突出することはできない。もちろん常人以上の能力をどの分野であったとしても手に入れることは出来るけれども、ニーナのように魔術文字で発動できる魔法なら魔術文字を書く必要があるし、ムトのような鍛えれば鍛えるほどどこまでも見渡せる千里眼が手に入るわけでもない」
ニーナの時とは打って変わった真剣な顔でアイガーはジョシュアを見つめる。
「アンタは他のこれまでの二人と比べても段違いに努力が必要な魔法紋を引いてしまったんだ。それを肝に銘じて、これから先祝福の子としてどうしていくか考えた方が良い」
その言葉の裏には、苦労を見据えたやさしさがこもっている気がした。……ただシンプルに敬語がなっていないジョシュアに対してキレているだけかもしれなかったが。
「あ、あぁ分かった。努力は得意だ。なんでもやってやるよ」
「はいわかりました、だ馬鹿者! アンタ……いや、貴様には少し訓練が必要なようだね。うちの師匠に紹介状を書いてやるから、登録したら明日からそこに行きな」
アイガーはそう言いながら山のようになっていたガラクタの中から一枚の紙を取り出す。それをジョシュアに渡すと、つっぱり飛ばすように部屋から追い出した。
「アイガー、ちょっと手厳しすぎないかい? 万能に近い魔法紋は君の知ってる人にも居ただろう?」
「うるさい。知っている奴と同じだからこそ、うちの師匠の元に通わせたんだ」
その怒りは何かをごまかしているようなものだと分かったのは、口調は全く変わらないにもかかわらずアイガーがそう言いながらも視線を落とし、先ほどまでの怒りのこもった目をしなくなっていたことに気が付いたからだった。
「さ、そんなことはいいのさ。どうでも。最後は君だね。ウォルシュ」
アイガーに呼ばれ、俺も様々な物の山をかきわけて机へと向かう。みんなが座った位置に俺も座らされると、ぽつり、と一言、アイガーがこれまでにない質問を投げかけてきた。
「ウォルシュ、私はね、魔力印紙を見ればその子の魔法紋がどんなものか大体の予想はつくんだよ」
あくまでもおおまかに、だけどと付け加えながらアイガーは続ける。
「キミの魔法紋はジョシュアとは真逆の方向に向かうことになる。先に言っておく。避けられない未来の中、キミは他の三人と比べて明らかに強力で、ただ極端な一点特化型になる。後から知ってがっかりされたくないからね。忠告させてもらうよ」
ジョシュアに怒りを見せていた顔とはまた別の真剣さで、アイガーは俺の目をじっと見つめる。
「ま、こんなこと言っても刻印はやらなかったら私が怒られるからやるんだけどね。覚悟は決まった?」
「えぇ、まぁ不安ではありますけど、どうしようもないですし」
「確かに、ほんとにどうしようもないからね。先に言ってもらえるだけ恩情だと思っておきなさいな」
手の甲、紋様の上に魔力印紙がかぶせられる。アイガーの詠唱とともに、俺の手の甲にも刻印が施されていった。
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