1-1 誕生
稲刈りが終わりを迎える頃、リズリー村にも一人新しい命が誕生しようとしていた。
「アンナ! しっかりしな! もうすぐ我が子が見れるからね!」
産婆がアンナと呼ばれた女性の肩を抑えながら言う。
その様子を家の外では村の住人たちが忙しなく中の様子を交互に覗いていた。
出産とは新しい命が産まれることと同時に母親の命を刈り取りかねないものであるためだ。去年のジョーヌの騒動があったからだろうか、馬車屋の店主はいつでも隣町にかけて行けるように馬車を用意していた。
それはもうそろそろ空も明るくなり始めると村人たちが体感で感じ初めた頃だった。大きな産声とそして安堵したアンナの泣き声。それがやまひとつ越えようかというほどの大きな声量で家の外まで響いてきたのだ。
村人はそれを聞き、出産が無事に終わったことに胸を撫で下ろした。
家の扉が開けられ、産まれた子をひと目見ようとそこに村人が殺到する。
「ヨシュアもセルビーも、あんまり焦らないの。家の外で祈っててくれたことはありがたいけど、まだ産湯が終わっていないのよ」
アンナが家の奥に視線を移す。それに倣うように入り口で詰まっていた村人たちも視線を奥へと移す。そこでは産婆が「ヨシヨシ」と言いながら生まれたてであろう赤子を産湯に浸からせていた。
「しかしアンナ、タイミングが悪かったな。もう少し早けりゃ収穫も手伝わせられたのにな!」
安心したのかヨシュアが軽口を叩く。
「バカ言ってんじゃないよ。どこの世界に赤子に収穫させる親がいるもんか」
腫れぼったい目を擦りながらアンナは軽口を返す。しかし問題はそこからだった。産湯に赤子をつけていた産婆が急に叫び出したのだ。
「紋の元がある! 救世主の紋じゃ! 英雄の血が流れるご子息以外にも出るとは聞いておったが……ワシも見るのは初めてじゃぁ……ありがたやありがたや」
拝みながら産婆は天高く赤子を抱き上げる。
新しく産まれた赤子の手の甲には大きな四角形の紋様が刻まれていた。
―――
この世界には祝福の子と呼ばれる子供たちが産まれてくることがある。手の甲に先天的に大きな四角形の紋様をもってくる子供たちだ。この紋様を持った子供たちは普通の人たちの持ちうる身体力、魔力に加え、それぞれがそれぞれ特化した才能や魔法を持つ。
そしてこれはこの世界に産まれるどの子にも持ちうる可能性があるが、その実八十パーセント以上は血筋が関係していると言わざるを得ない。過去、家系に祝福の子が居る家系であればあるほどその所持率は上がってくるのだ。
そんな中でも、平民からそんな子供が産まれる事も稀に存在する。大都市において一年間に三十人ほど、リズリー村のような小さな村では何十年に一人産まれるか産まれないか程度の確率ではあるが。
そして、その紋様には様々な種類がある。農業の発展に貢献するようなものから、この産まれた子のような世界を救うことを義務付けられたものまでさまざまだ。しかし、それ自体は珍しいものではない。大都市では年間に三十人ほど産まれる祝福の子、そのうちおおよそ十人はこの救世主の紋を持って産まれてくるのだから。
―――
産まれてきた子供はウォルシュと名付けられた。ウォルシュは瞬く間に村の人気者になり、まだ言葉も話せないにも関わらずその名前を村の中で知らない者は居ないほどにまでになった。
その人気ぶりはその地域を統治する領主の耳にも瞬く間に届くこととなった。
祝福の子はほとんどの場合においてその存在自体が価値の高いものとなる。一人一人が常人の一歩上を行く何かを持ちうる可能性があるということが確定しているのだ。そんなものを辺境の畑仕事と狩りで人生を終えていくような村に置いておくことなど、どれほどの考えなしであろうともするべきことではないことは明白だった。
もちろんアンナはそれに対して不満を抱いていないわけではなかった。産まれてきた我が子が、その成長をそばで見守ることもできないままに領主に引き取られていくのだ。当たり前である。
ただし、もちろんそれでアンナ自身も、そして村の人たちも少し裕福になる。ジュリナおばあちゃんが寒さに凍えるような冬も、日照りで焦ることもない日々が約束されるのだ。そして何よりも自分が腹を痛めて産んだ子供が世界を救う救世主になるかもしれない。
アンナの中にあるその誇らしさが、その不満をすべて吹き飛ばしていた。
「ウォルシュ、私の愛しい子。人を救い、誰も悲しませないようにしておくれ」
アンナは祝福の子として領主がウォルシュを迎えに来るその日まで、毎夜となくウォルシュにそう語り掛けていた。
生後六か月、ちょうどその記念日にウォルシュは母のひざの上から貴族の屋敷での訓練生へと居を移すことになる日だ。領主の迎えはその日の朝に到着していた。
「うちの村から祝福の子が出るとは思いもせんなんだですよ。領主様にはよろしくお伝えください」
村長がそう言いながら、ウォルシュを迎えの男に渡す。
「アルベルト伯爵は祝福の子をこれまでも多数育て上げてきたお方だ。安心してくれ」
そう言い大切そうに抱きかかえる迎えの男にアンナが駆け寄る。手の中にはきらりと光る何かが握られていた。
「愛しい愛しいウォルシュ。お母さんはあなたの無事だけを祈っているよ。この首飾りは母の愛だからね」
渡されたウォルシュの首には翡翠の玉が小さく一つ結ばれた、赤子の首にかけるにはいささか大きいネックレスがかけられる。村においてそれは最上級の安全を祈願するお守りであり、ウォルシュのためと村人全員の同意のもとで作られたものだった。
朝日が山間から顔を出す。その日の光に照らされたウォルシュの顔は、新しい勇者の誕生を自慢するかのように誰しもが感じていた。
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