第五話
弥生ちゃんと恋人(偽)になった次の日の放課後。
いつも通り帰るための仕度を整えていると、廊下の方が騒がしいことに気が付いた。
何事かと思い視線をそちらに向けると、教室の前の出入り口の辺りにクラスメイト十数人程度の人だかりができていた。
「何だろうね、あれ?」
「さあな?」
深夜も気付いたらしくすぐ側にいた俺に訊ねてきたが、俺に訊かれても困る。
深夜は立ち上がると、背伸びをして何が起こっているのか様子を窺おうとしている。
「……ここからだとよく見えないね。達也なら見えるんじゃない?」
深夜は人だかりが邪魔で見えなかったようだ。
確かに俺の身長はクラスの男子たちより頭一つ分高いので、立ち上がるだけで人だかりを無視して人だかりの向こう側を見ることができる。
「達也、せっかくだからあの人だかりの向こう側を確認してみてよ。できるよね?」
「できるっちゃできるけど……」
「じゃあよろしく」
俺の意見を聞く前に、深夜はそう言って押し付けてきた。
そんな彼に呆れはしたものの、気になったのは俺も一緒なので立ち上がり人だかりの奥の方を確認してみる。
すると俺の視界に飛び込んできたのは、美しい容姿の女子生徒だった。
きっとあの人だかりの連中は、見覚えのない綺麗な女生徒が物珍しくて集まっているんだろう。
彼女は先月入学してきたばかりの一年生なんだから、見覚えがないのは当然のことだ。
けれど、俺には見覚えのある娘だった。
だってあの女生徒は、つい昨日会ったばかりの深夜の妹にして俺の彼女――榎田弥生だったのだから。
一度人だかりから視線を外して、深夜に戻す。
「どうだった? 何が見えた?」
「……弥生ちゃんが来てた」
「え、弥生が? ……ああ、そういうことね」
得心がいったという顔になる深夜。いったい何を察したというのだろうか。
「何だ深夜。弥生ちゃんが教室まで来た理由に心当たりでもあるのか?」
「あくまで予想でしかないけどね。とりあえず助けに行ってあげたら? 弥生って意外と人見知りするから、多分今頃困ってるよ?」
「俺がか? ここは兄として深夜が行くべきところじゃないのか?」
少なくとも俺が行くより、実の兄である深夜が助けに行ってあげた方が弥生ちゃんも頼もしいはずだ。
「いやいや、その役目は達也に譲るよ」
「はあ、何でだよ?」
「何でって、そんなの達也が弥生の彼氏だからに決まってるよ」
「……そういえばそうだったな」
昨日のことだというのに、あまりに唐突で恋人ができたという実感が湧いてないせいか、すっかり頭から抜け落ちていた。
偽物とはいえ、彼女が困ってるのなら助けてあげるのも彼氏の役目。ならここで俺が動かないわけにはいかない。
などと考えていると、人だかりの方から会話が聞こえてきた。
「ねえ君、一年生? この教室に何の用かな? 誰か探してるの?」
「はい、そうです」
「誰を探してるのかな? 俺が呼んできてあげよっか?」
どうやら、クラスメイトの男子が弥生ちゃんが二年生の教室来た理由を聞き出していたらしい。
心なしか彼の声音が普段より優しく聞こえるのは、きっと弥生ちゃんが美人だからだろう。
クラスメイトの男子の言葉を受けて、弥生ちゃんは「そういうことなら遠慮なく」と前置きしてから要件を口にする。
「私が探してるのは、相良達也先輩です。こちらの教室にいると聞きましたが、まだいらっしゃいますか?」
「「「「…………!」」」」
一瞬にして、教室内の空気が張り詰めたものへと変化した。
次いでクラスメイトたちの視線が俺に集まる――がしかし、俺と視線が交わりそうになると一斉に明後日の方向に逸らした。
……こいつら、打ち合わせでもしてるのか? 息ピッタリだったぞ。
「ど、どうして相良に会いたいのかな?」
「相良先輩と私が恋人同士だからです。彼女が彼氏に会いに来ることに、理由が必要なんですか?」
弥生ちゃんは上級生に当たる男子生徒の問いに、無表情のまま淡々と答えた。
ついで訪れるのは、クラスメイトたちの二度目の驚愕。またも俺に視線が集まる。
強面で恐れられ、まともに人に目を合わせてもらえない俺に彼女。彼らに驚愕をもたらすのは、当然のことと言える。
そして彼らは先程同様、俺と目が合うと一瞬で逸らされた。ここまで息の合った動きをされると、最早見事としか言いようがない。
「チクショウ! 俺は年齢=彼女なしなのに、どうしてあんな顔面凶器にこんな可愛い彼女が……! ぶっ殺してやる!」
「おいバカやめろ、逆に殺されるぞ!」
「そうだそうだ。あいつ、噂じゃヤクザの息子らしいから、ケンカなんて売ろうものなら消されちまうぞ!」
何やら周囲の男子クラスメイトが、ざわざわと騒がしい。
何だかとても失礼なことを言われてる気がするが、気にしても仕方がないので無視しておくことにする。
それより、知らない上級生たちに囲まれて一人きりの弥生ちゃんをこれ以上放置するのは可哀想だ。
俺は必要なものを詰め終えたカバンを手に、弥生ちゃんの元へ向かう。
俺が近づくと、邪魔な人だかりはさながらモーセが割ったとされる海の如く左右に割れた。……こいつら、そこまで俺が怖いか。
正面に隔てるものがなくなり、開けた道の先にいる弥生ちゃんと目が合う。
弥生ちゃんはクラスメイトたちと違い、俺と目を合わせても逸らすことなくジっと見つめてきた。
「昨日ぶりですね、先輩」
「あ、ああ、そうだな」
少し声が上擦ってしまう。
強面故に人と目を合わせて話すことが滅多にないので、弥生ちゃんのような綺麗な女の子にジっと見られるのは、どうしても緊張する。
黒曜石の如く煌めく瞳に少し鼓動が早くなるのを実感しながら、話を進める。
「わざわざ教室まで来るなんて、どうしたんだ弥生ちゃん? 何かあったのか?」
「はい。実は例の件で少しお話したいこともあったんですけど……ここは人が多いですね。帰りながら話しませんか?」
周囲を軽く見回してから、そんな提案をしてきた。確かにこうも好奇の視線に晒されては、会話なんて集中できない。
「ああ、いいぞ」
「ありがとうございます。では早速行きましょう」
弥生ちゃんは背を向けて歩き出す。
俺はクラスメイトたちの好奇の視線を一身に受けながら、弥生ちゃんのあとに続くのだった。