新たな守護者01
迷宮の壁に空いた大穴を覗き込む。
直径は三ミットくらいか。けっこうでかい。この大きさの穴を掘る生物はだいぶ限られてくる。しかも掘った壁面が石のように固まっている。
そういう特性を持った生物となると、候補はもう片手で数えられる。
そして。
穴から一歩進んだ辺りまではもう迷宮化が始まっている。
規則正しい亀裂が走り、ブロック状に変わりつつある。
その進行具合から見て元々の守護者がミンチにされたのはほんの二、三時間前だな。
今なら間に合う。
正体不明の怪物が、血塊石の力を吸ってさらなる怪物になる前に追いつける。
「追うぞ。お前らは少し距離を取ってついてこい」
「……わかりました」
さすがにクラウスの声も硬い。
シアンに至っては顔面蒼白で返事すらない。
まあ、それも仕方あるまい。
狼退治にやってきたら叩き潰された狼の死骸が転がってた、みたいなモンだ。
想定より遥かにヤバいヤツがいることは確かで、しかしどのレベルでヤバいのかすらわからない。そういう状況だ。
腰のランタンで暗がりを照らす。
壁がほのかな光を放っていた迷宮と違い、この洞窟は完全な暗闇だ。分厚い暗黒で先が見通せない。事前準備が必要だな。
「『ナイトヴィジョン』」
瞬時に組んだコードリングが弾け、全員に『暗視状態』を付与する。
「支援魔法ですか。助かります」
「大した手間でもねーから気にすんな」
「あ、あの。今のは……」
「ん?」
シアンが話しかけてきたので、足を止めて答えてやる。
「暗視付与の『ナイトヴィジョン』だ。ライセンスを取ったばかりの五級でも使える魔法だぜ。別段珍しくもないと思うが」
「で、でも……コードリングが全然見えなかった……」
「あー、そりゃ手癖だ」
暗闇の中で使う『ナイトヴィジョン』を通常の魔法のように使っていたら呪術的文字列の光で敵にバレてしまう。
だから瞬間的に発動可能なまでに圧縮して使う癖がついている。
「仮にも魔法使いなんだから、圧縮魔法を見るのが初めて、ってこともないだろ?」
「いえ……そうじゃなくて、速度そのものが、なんか……」
「なんか?」
「信じられないほど早くて……」
「ただの詐欺師じゃなかっただろう?」
「……あ、あの……すみませんでした」
「別にいいさ。それより先を急ぐぞ。この間にも相手は強くなってるんだ」
シアンはおずおずとうなずき、クラウスの前に立ってついてくる。
そうして削り取られた大穴を進んでいく。
隊列は俺、キトラ、少し離れてシアン、クラウス。
力関係で自然とそうなったわけだが、バックアタックに備えて前衛で後衛を挟むのがダンジョンハックの基本だから、これはこれで理に適っている。
「しかし、結果論ですがクロウさんに来ていただいてよかった。我々では対処できなかったかもしれません」
「気が早いのはお前さんの悪い癖だぜ。結果論なら結果を出してから言ってくれ。俺だって、まだ勝てると決まったわけじゃない」
「貴方でも勝てないものがいるのですか?」
「――今のところ謎の襲撃者の候補は四つだ」
前を警戒したまま会話を続ける。
「まずは『大モグラ』。こいつなら楽勝だな。おまえたちでも対処できるだろう。だがおそらくこれはない。掘り方が一直線すぎる。
次に『竜虫』。この可能性が一番高いな。ヤツらは群れるからちとやっかいだ。
それから『地精獣』。確率的には砂粒ほどだが、こいつだった場合はかなり面倒なことになるぜ。
最後に『龍』だった場合だが――まあ、命が惜しけりゃ逃げたほうがいいわな」
「『龍』――」
「可能性の話だぜ、飽くまでも。女神が引きこもった頃から『龍』は姿を消しているからな。現実的には竜虫だろう。さすがに竜虫は知ってるよな?」
「ええ。地中に住む亜竜の一種ですよね」
「そうだ。音を探知して標的を探す肉食性の亜竜。再生能力が高いうえに群れで行動するから剣士だとやっかいな相手だな」
と、そこで、背後にあったキトラの気配が変わった。
「――う!」
「なんだ、キトラ。何を見つけ――」
振り返り、キトラの指差す場所を見る。
石のように固められた壁面。そこに小さな植物が生えていた。
なんでこんなところに、と言葉に詰まったわけではない。
むしろ理由に関しては心当たりしかない。
「どうしたのですか?」
「――クラウス。お前、もしかしてものすごく運がいい方か?」
「? いえ。心当たりはありませんが」
「なら悪い方か。よりによって引き当てるなんてな。キトラ。よく気づいてくれた」
「うー!」
合点する俺たちに対して、シアンが少し遅れて察した顔をした。
「も、もしかして……地精獣……ですか?」
「俺たちより先にここを潜ってるヤツが嫌がらせに涙草の苗を植えたんでなけりゃ、そうだろうな」
涙草。
傷つけられた大地が涙の代わりに生み出す草。
などと言われている、地精獣の先触れになる植物だ。
――では地精獣とは何か。
リーリウスのババアの受け売りになるが、大地の精霊が形を取ったものだと言われている。
大規模な伐採や街道の舗装などをしていると、大地の精が消費されずに地中に溜まり続け、それが一定のレベルを超えると結実して肉体を持つ。
それが地精獣だ。
そうして肉体を手に入れた地精獣は、地中を移動しながら力を蓄え続け、やがて地上に出て大地に蓋をする人工物の類を片っ端から破壊する。
まあ、要するに災害のようなものだ。
「話には聞いていますが、クロウさんでも勝てないほど強いのですか?」
「幼体のうちなら勝てなくはない。成体になってたら一人ではキツいな。使う必要がある」
「使う?」
「――切りたくない札をな」
そっとキトラの方を見る。
俺の視線に気づいてか、キトラは首を傾げた。
「いずれにしろ一回確認を取るぞ。退くか、進むか。クラウス、お前が決めろ」
「私が――」
彼はしばし逡巡した。
視線をシアンに向ける。
シアンは当然のように首を横に振る。
それを見てまた考え込み、やがて意を決したように口を開いた。
「せめて相手の現状だけでも確認したい。クロウさん、キトラさん、シアン――危険に巻き込むようで申し訳ありませんが、お願いします」
「了解だ。んじゃ、相手のツラを拝んでから改めて方針を決めようか」
「クラウス様……っ!」
「君には悪いと思っています。けれど、この先を考えたら必要なことです」
ははあ。
たぶんいいとこの坊っちゃんだろうに、なかなか腹が据わっている。
それでいて前のめりすぎていない。冷静だ。
――俺はどうも、こいつを気に入ってしまったらしい。