小迷宮01
かつて、女神リーファの力が大陸全土に行き届いていたころ。
怪我や病気は金さえ出せば治るものだった。
不治の病という概念はなく、欠損した手足もぽんぽん生えてきたらしい。
女神の声を聞いた神官たちは大陸中にいたし、だから神殿もあらゆる国にあった。
状況が一変したのはおよそ千年ほど前だ。
急に女神の声が届かなくなった。神官たちは一斉に魔法が使えなくなり、大混乱が巻き起こった。
棄教して女神像を破壊する者がいた。
怪我が治らず神殿で暴れる者がいた。
そういった者たちが徐々に数を増し、やがて大陸中のリーファ神殿は破壊された。
それと共に【神性魔法】も完全に失われたそうだ。
だが――人間は欲深く、そして賢しい。
多くの学者が集まり、なんとか失われた超常の力を得ようと研究した。
そしてあのころの奇跡には届かぬまでも、自然現象を覆す技術を完成させた。
――人間の脳という並列型演算装置を使って奇跡を起こす魔法。
それが俺たちの使う【電脳魔法】だ。
ま、残念ながら治癒魔法は失われたままだけどな。
だからこそポーションは貴重で、欠かすことができない。
そんなことを考えながら着火剤を擦り、腰に下げた小さなランタンに灯した。
続いてショートソードを引き抜く。
シアンがびくっと身をすくませた。
そんな彼女をクラウスがなだめる。
まったく、特殊な力関係の主従だぜ。
「何をしているのですか、クロウ様?」
「様はいらない。それと、こいつは準備だ」
「準備?」
「光源だよ」
迷宮の中は壁そのものが魔力で発光しているので光源はいらない――とか考えてるやつがいるとしたらそいつは素人か、さもなければ重度の楽天家だ。
脳内で呪術的文字列を組む。
魔力によって増幅された脳波が体の外へと迸り、コードは光のリングとなって体の周りを回転する。
「『ライト』」
リングが弾け、魔法の光が刀身に宿ってまばゆく輝く。
一人うなずいて剣を鞘に収める。
光が遮断され、周囲の明るさが元に戻った。
こんな風に『火』と『魔法の光』を両方用意するのはダンジョンハックの基本だ。
片方が消えても対処がしやすく、またガス溜まりを素早く察知できる。
「それで、割合はどうする?」
「どういう意味です?」
「俺が一から十まで全部片づけちまっていいのかってことだ。冒険してみたいんだろう?」
「……構いません。仕事に私情は持ち込まない主義ですので」
「そうかい」
見たところそこそこ使えそうだし、もしかしたら楽ができるかも――と思ったのだが。
仕方ない。迷宮攻略なんて苦手分野だが、苦手なりに全力を尽くそう。
幸いにして。
小迷宮程度なら、俺一人の力でなんとかなるだろう。
「それじゃあ行くか」
「はい。よろしくお願いします」
「お、お願い……します……」
「うー!」
かくして俺たちは迷宮に足を踏み入れた。
しかしパーティというよりは引率だな、こりゃ。
みなさん怪我をしない程度にがんばりましょう。
おやつは300タークまで。バナナはおやつに入りません、ってな。
ゴブリンが汚れた棍棒を構えて突進してくる。
俺はショートソードを鞘ごと引き抜いて盾にする。
衝撃。
それにあわせて鞘から剣を半分引き抜く。
『ライト』の発光がゴブリンの目を潰す。
『ギャッ――!?』
「よっと」
そのまま抜刀し、鞘走りの勢いを利用して棍棒ゴブリンの体を両断する。
続いてその後ろにいた小枝を持ったゴブリンに斬りかかる。
『ギギギィッ――!』
突き出された小枝を半身になって回避する。
たかが小枝と侮るなかれ。オオカミゴロシの枝はわずかな傷でも毒が回って意識を失う。
『キュアポイズン』が失われて千年だ。食らう訳にはいかない。
そのまま半回転して斬撃を見舞い、小枝ゴブリンも斬殺する。
『ギヒッ!?』
「う! う!」
「――ああ、わかってるよ、キトラ」
後ろから近づいていた石器持ちのゴブリンの心臓を、振り返りざまに貫いた。
念のために突き刺したまま刃を回し、臓腑をえぐる。
最後のゴブリンは断末魔さえ上げずに絶命した。
剣の血を払い、周囲を見回す。
……特に気配はない。
輝くショートソードを鞘へと収める。
「お見事です、クロウ様」
「だから様はやめろって。俺の柄じゃあない」
「ではクロウさんと。しかし――これがゴブリン、ですか」
「実物を見るのは初めてか?」
「ええ。シアンはあると言っていましたが」
「が、学院の授業で……見たことがあるだけです」
「ふぅん。まあ、しょうがないわな。迷宮の外にはいないんだし」
ゴブリンと呼ばれるこの生物は、迷宮に入り込んだ猿が魔物化した姿だ。だから迷宮の外には生息していない。
迷宮が成長して大迷宮になると外へ出てくることがあるが、それでも魔力が自然に失われていき、一月ほどでただの猿に戻る。
ゆえに普通に暮らしている限りゴブリンを見る機会なんてものはない。
「……その、ところで」
「ん?」
「なんで、魔法を使わないんですか……?」
シアンの目には明確な疑いが浮かんでいる。
まあ、そりゃあそうか。【大魔導師】がロクに魔法を使わなかったら俺だって訝しむ。
「やっぱり……詐欺師なのでは?」
「シアン」
「で、でも……」
「すみません。クロウさん。彼女は私のために気を回しすぎるきらいがありまして」
「いいって。人間は慎重で疑り深いくらいがちょうどいいぜ。端的に言えばMPの節約だ。このパーティ、他に使えるヤツもいないしな」
ちなみに、シアンの態度を気にしてないのは本当だ。
変に尊敬だの畏怖だのの視線で見られるよりずっと心地いい。
一生そんな目で見てほしいくらいだ。いやそんな性癖はないんだが。
そういう意味では――ベルカナリア攻略パーティは本当に居心地がよかった。
キサラギもリーリウスも、俺をただのクロウとして見てくれた。
……ああ、そうだ。
認めよう。
クラウスの提案を受けたのは理屈や利益からじゃあない。
ベルカナリアのことを思い出したからだ。
少しばかり人恋しかったのかね。認めたくはないけどな。
まったく、しょうもない。
どうしたってんだ、大魔導師クロウ。
人は一人で生きようとするべきなのに。
それがどんなに困難だったとしても。
そうすれば、『被害者』は生まれないのだから。