-interlude-
ガリガリ、と左手の爪を立てて椅子の肘掛けの先を削る。
右の手の爪は口の中。歯を立ててパチンパチンと刻む。
薄暗い自室の片隅で、王妃ティラ・ロックゾーン・アル・フェクダは苛立っていた。
「――失敗した」
クロウという魔法使いの始末に失敗した。
虎の子であり秘伝であるラクリモーサが効かなかったのも計算外なら、闇牙衆を返り討ちにするのも計算外。
人の口に戸は立てられぬ。
消してしまうのが一番簡単な方法だったのに。
「――失敗した失敗した失敗した失敗した」
ガリガリ。
パチパチ。
重苦しい空気が腹の中に溜まっている。
人間は頭で考えると魔法使いたちは言うが、だったらなぜこんなにも暗い気持ちは腹に溜まるのだろう。
不幸に遭ったとき心臓が痛くなるのも理屈に合わない。
人間は全身のすべてを以って人間なのだ。
脳はパーツの一つにすぎぬ。
そこに人のすべてがあるなど、電脳魔法使いどもの驕りだ。
「パーツ、全身、欠損――ああ」
愛しい我が子。
次を望めないこのカラダゆえに、さらに愛しいただ一人の息子。
あの子が足を失ったとき、ティラは嘆き悲しんだ。
だが、それと同時に、あれは起こるべきことだったとも思っている。
――あの日から、声が聞こえるのだ。
心の赴くままにあれかし、と。
意思するところを行え、と。
どこからか心に染み入る声がする。
それは水に溶ける絵の具のようにココロとカラダに広がった。
そして、一度溶けた絵の具と水を分かつ手段がないように、それはティラの一部となった。
途端に、楽になった。
すべての悩みが消え失せた。
何でも思う通りにしていいのだ。
自分を縛るものはなにもないのだ。
いや、縛っていたのは自分自身だったのだ。
そう気づいたときの解放感。
「そう、そうですわね――ええ、ええ――わかっていますわ」
ティラは椅子から立ち上がった。
そして迷いなく部屋を出る。
響く声は自分のすべてを肯定してくれる。
その声の主が誰かはわからない。ずっとわからなかった。
けれども不意に思い当たった。
大魔導師クロウとの謁見はほとんどすべてが失敗だったが、たったひとつだけ収穫があった。
息子が調査していた城の地下。
そこにあると言われる女神の神殿。
息子が足を失ってより無意識に目をそらしていたその存在に言及されて。
――声の主が女神様であることに気づいた。
その声には慈しむような響きがあり、いつだって自分を肯定してくれた。
女神様に違いない。人を見限ったと言われていたが、そうではない。きっと声が届くほど高貴な人間がいなかっただけのことなのだ。
「ええ、ええ。女神様。今参ります――」
声にはときおりノイズが混じり、あるいは意味をなさない言葉も混じる。
そこに不安を覚えたこともあった。
だが、今はもう疑いはない。
自分が意味を理解できないだけで、それはきっと大事な言葉なのだ。
だからティラは己を鼓舞する神聖な言葉として、その音を口にした。
「――――はろうわぁるど」




