謁見
むくりとベッドから起き上がり、毛布を剥がす。
腹に抱きついているキトラを慎重に剥がして、木の窓を開ける。
鳥のさえずりと少し冷たい空気、昇り始めたばかりの太陽――いつもどおりの朝だ。時間の調整も完璧で、寝過ごしもせず寝不足でもない。
しかし、寝覚めがいいとはお世辞にも言い難かった。
夢のせいだった。
また、あのときの夢を見てしまった。
重苦しい息が肺腑から抜けていく。
まあ、いいさ。
体調の方はすこぶるいい。すっかり旅の疲れが抜けている。
野宿は体のあちこちを痛めるし、周囲への警戒から熟睡することもできない。
その点、街中の、そこそこの値段の宿屋というのは面倒がなくていい。
――なんて考えていると、コンコンコンと部屋の扉がノックされた。
この街で俺に用がある人間なんてまずいない。
大方クラウスのヤツだろう。
「入っていいぜ」
答えると扉が開いた。
しかし、そこに立っていたのは白い鎧を身に着けた、見覚えのない騎士だった。
「朝早くに失礼します。大魔導師クロウ様は――」
「俺だよ」
室内を見回す騎士の真ん前に立って言ってやる。
騎士は俺の装備と面構えを見て怪訝そうにしたが、すぐに丁重な態度に戻って言った。
「は。これは失礼を。クロウ様。登城と謁見の準備が整いましたので、足を運んでいただきたく参上しました」
「おいおい。随分と早いな。クラウスは三日は見てくれって言ってたんだが」
迷宮を枯らして、昏倒した暗殺者たちをふん縛って、街に戻ってきた後。
クラウスは宿の紹介をしてくれた。そして王と対面できるよう動くのでしばらく待ってほしいと言ったのだ。そのときの見立てでは三日はかかるという話だった。
正直三日でも早すぎるくらいだと思ったが、クラウスがよほど有能なのか、あるいは王様がよほど暇なのか。
その両方――という可能性もあるな。
「もし時間の折り合いがつかないようであれば希望を伺ってくるように、と仰せつかっておりますが」
「まさか。早すぎて困るこたぁない。準備をするから待っててくれ」
「は。では宿の外で待たせていただきます」
「おう、悪いね」
騎士が部屋を出る。
俺はキトラを起こして顔を洗い、最低限の身だしなみと服装を整える。
そうして宿の外で待っていた馬車に乗り込み、王城へと向かった。
――のは、いいんだが。
ちっとばかり計算外な状況だった。
「おかしいな。クラウスは王様と会えるようにしてくれるって言ってたんだが」
「王と謁見するためには時間がかかります。貴方のような偉大な方を待たせるには忍びない。そう思ったのですわ、大魔導師クロウ様」
甘ったるい匂いが立ち込めた部屋。
壁にも調度品にも赤色が多く、そして中心に座す女もまた絢爛豪華な赤いドレスを着ていた。
長い黒髪と白い肌、赤いドレスが対比になって絵画めいている。口元を薄いヴェールで隠しているのも印象的で、婀娜の極みだ。
いくらくらいするんだろうな、あれだけで。
早く起こしすぎてうとうとし始めたキトラに護符つきの外套をかけてやる。
ほどなくすーすーと寝息が聞こえてきた。
やれやれ。
「どうでしょうか、わたくしではお力になれませんか?」
赤いドレスの女が好機とばかりに身を乗り出してくる。
ドレスの切れ目からのぞく豊かな胸元が、姿勢の変化で形を変えた。
「力になってくれるのは嬉しいんだが、先にアンタが何者で何ができるのかを明確にしてくれると助かる」
「ああ、これは失礼をいたしました」
彼女は演技がかった仕草と共に名乗りを上げる。
「フェクダ王国国王マレウス・テンキウス・アル・フェクダが正妃、ティラ・ロックゾーン・アル・フェクダですわ」
「王妃様だったのか。道理で常識はずれの美人だと思ったぜ」
「あら、お上手ですわね」
実際、若くて美人ではある。
俺の薄らぼんやりとした世俗の知識によればフェクダの第一王子は二十半ば。並んで立っても姉弟にしか見えないだろう。
まあ、リーリウスのババアを見慣れた俺にとっちゃ、別段驚くほどのことでもない。ヤツは肉体の年齢を好き勝手にいじるからな。
「しかし俺は教養のない田舎者でね。王族に対する口の聞き方も態度もわからない。うまく話せる自信はないぜ」
「そのような些事。クロウ様には魔法の才能という得難き天賦があるではありませんか。天は二物を与えないと聞きますわ。であれば許されて然るべきでしょう」
いやいや。
それじゃあ俺が魔法の才能以外何も持ってないみたいじゃあないか。
そんなことないだろ。
……ないよな?
思わずちょっと不安になる。
「じゃあ単刀直入に行こうか。俺の希望はたった一つ。『リーファ神殿を使わせてほしい』――これだけだ」
「リーファ神殿を?」
「あるんだろ、ここの地下に」
アルカイドにはあった。
ドゥーベにもあった。
だから、同じ七大古王国であるフェクダにもあるはずだ。
王城の地下に、生きたままのリーファ神殿が。
「……確かにそのような話を聞いていますわ。けれど、何のために神殿を?」
「そいつは秘密だ」
「ふふ。そうですか。秘密なら仕方ありませんわね。わかりました。手配をいたしましょう」
「ありがたい」
トントン拍子に話が進む。
しかし諸手をあげて喜ぶ気にはなれなかった。
俺の経験則が油断するなとささやく。
……ああ、ほら、やはりな。
室内の甘い匂いが強くなってきた。
「代わりと言っては何ですが、わたくしからもお願いをさせてもらえませんか?」
「お願い? まあ、俺にできる範囲なら構わないが」
もはや空気に赤い色がついているような気さえする。
嗅覚への刺激が強すぎて視界にまで及んでいるのだ。
王妃様本人はヴェールでガードしているんだろうな。
やはり魔道具の類か。あれだけで一財産だろうと思っていたのだ。
「――クラウスを殺してくださいませ」
おっと。
飛び出た言葉は予想外に強いものだった。
「ほほう。それはまた、なぜ?」
「それは秘密です」
「そうか。秘密なら仕方ないな」
「ふふ。いえ。大した話ではないのですけれど。あの妾腹めが、私の子を脅かすからです。腹立たしい限りですわ」
妾腹?
ってーとクラウスは王様の庶子ってことか?
いやまあ、ずいぶんコネも効くし、装備も高そうだし、さぞかし大貴族の坊っちゃんなんだろうなーとは思っていたわけだが。
あんにゃろうめ、顔も性格も生まれも特級かよ。
もはや絵物語の主人公じゃねーか。
「――それで、クロウ様。引き受けてくださいますわよね?」
嫣然と微笑む王妃様。
もはや室内は甘い匂いで焼けつきそうなほど薬が滞留している。
俺はにっこりと笑って、
「嫌だね」
「え――?」
王妃様の驚いた顔はなかなかに俺の中の嗜虐心を刺激した。
「な、なんで――」
「なんでかっつーと――まあ、色々あったから、かね」
この甘ったるい匂いの正体は、ラクリモーサと呼ばれる薬だ。
吸った者の脳の働きを鈍化させ、判断力を失わせ、操り人形と化す効果がある。
七大古王国がまだ七大王国であった頃、異世界から召喚した勇者を傀儡とするために使用されたという曰くつきの代物だ。
しかし、薬には耐性という現象が起こる。
例えば紅茶だ。
一度も飲んだことのない田舎の村人に飲ませると、夜眠れなくなったりする。
しかし飲み慣れた貴族たちは何杯飲んでもぐっすりすやすやだ。
で、ラクリモーサだが。
キトラを元に戻す研究の一環で少しばかり触っていた時期がある。
とは言え、それだけでは耐性なんてつかない。
単にもっと強い薬を服用し続けてきただけだ。
先生にそのへんにいる程度の天才だと言われた俺は、己の非才を補うためにあらゆる手を尽くした。
陸鯨の体液だの闇煙草だのを、脳を酷使するために服用しては血を吐いたり鼻血を出したり、ひどいときは耳からも血が出たもんだ。
まあそんなわけで、脳に影響する薬物の類はほとんど通用しない体なのだ。
ちなみに横ですやすや寝ているキトラは大量の護符つき外套で守られているが、もとより薬ごときで女神の祝福の効果を上書きできるはずもない。
「それが交換条件なら俺は他を当たることにしようかね。幸い、待ってれば次があるようだからな」
「ま、まままっ――待ちなさいっ! こ、このことは――」
「言いふらすなって? 大丈夫だよ、人様の家庭事情に口を出す趣味はないからな」
ぎり、と歯噛みの音が響く。
俺の言葉を信用した様子はなかった。
いくつか零れそうになった言葉を飲み込む様子を見せてから、王妃様は大きく息を吐く。
一度吐いた言葉は飲めない。
だから、これ以上の失言はすべて飲み込もう――ってところか。
「――クロウ様。わざわざ市政の宿から往復するのは手間でしょう。城内に部屋を用意いたしますわ。次の機会まではそちらでお待ちいただくのがよろしいかと」
「おう、そりゃどうも。そんじゃお世話になろうかね」
断ったら余計にやっかいなことになる以上、ここは素直に応じよう。
「おっと、そうだ。窓のない部屋は嫌だぜ。そこんところはよろしく頼むわ」
「……客人にそのようなことはいたしませんわ」
「そりゃすまん」
やらかしに顔色が悪くなった王妃様。
しかし実のところ、やらかしたのは俺も同じだ。
いかんよなあ。ここは要求を飲んだふりをしていくのが賢い対応だった。
引き受けますよクラウス殺しますよって口では言っておいてクラウスにチクるのが最善だった。
――なのに黙ってられなかった。
どうしてこんなにも直球直情をやらかしちまったのかね。
俺は魔導師であって、高潔潔癖な騎士なんかじゃあないってのに。
まったく、誰に影響されたんだか。




