キュー(前編)
名前は『9』。
キュー。
Q。
旧。
家畜の製造番号みたく貼り付けられた名札には『9』と記されている。
僕に関わるやつはいない。誰も傍によらないし、僕は傍にいない。
周囲の連中は誰もが誰も群れて楽しんで、戦場へ赴く。そうして思いもよらない流れ弾に当たり死んでいく。大抵は能力の副作用かなんかで、気を取られてやられてしまうんだ。僕はそんなへまはしない。
ほら、また一人死んだ。僕よりも小さくて弱い奴がどんどん死んでいく。その死体を一つ、二つと数として数えて起き上がらせる。
折れた腕も、吹き飛んだ頭もここでは構っていられない。やらなきゃやられる。
すかさず起き上がらせた死体で全ての方位をふさぎ、僕は死体で作ったかまくらにくるまる。銃声が轟く。爆発音が続けざまに戦場に花を添える。加えて熱が蒸発し、肉が焦げた匂いが鼻先を掠る。
死体を動かそう。増えているこれを使わない手はない。死体の隙間から見える荒れ地の中で倒れている同胞を見定める。
戦況を確認。右前方ではまた100のモモが暴れている。透明な赤を前方に見境なく飛ばし、味方も巻き込み一斉放射。彼女の被る皮帽子がはためいている。
一切の草花を戦場に生やすことを許さない。モモは戦場の状況に追い討ちをかける。彼女には草花を愛でる心はない。従って容赦はしない。
前方の敵はモモの弾丸発射に諦めを示しているようだった。
力ない銃声はこのためか。
敵も見境なく当たるはずのない銃弾を発射している。
でも、それだって立派な凶器だ。モモの能力に当たらず、かすれた銃弾は跳弾し、周囲に跳ね返る。
モモみたいに力のあるやつはいい。そういった能力のないやつらは死ぬ概念すら分からず息の根を消していく。
これだから嫌なんだ。
大人ってやつらは。
冷徹な目で、何の慈悲もなく、僕達子どもだけの軍隊に攻撃を仕掛けてくる。
ここは前線だ。どうして僕はいつもここに立っているんだ。列の最前列なんて、立つことすら嫌いなのに。
「キュー」と凍えるような声が僕に降りかかる。「いやだ」
その口端から零れ落ちる言葉が苦手だった。そいつの容姿を見ることなく僕は次々倒れていく同胞だったであろう肉塊を起き上がらせ、モモによって壊された味方で死体の塹壕を作る。
僕を守れるだけでいい。最低限の周囲だけを、他なんてどうだっていい。早く。
「死にたくない」
晴れた空につららが落っこちるほどの声音だった。その女はただそこに突っ立っているだけだ。ここに来ることだけを命じられていたのだろう。僕の能力は死体がいる。ということは、つまり、そういうことなのかもしれない。今さら彼女は気づいて絶望にさいなまれている。
僕は彼女に早くいけ、と目を向けたが、彼女は体格に見合わない大きな銃を抱きかかえて、その場でひざまずいてしまった。
「お願い。お願いだから。本当にやめて」
僕はせっせと肉を動かす。頭が吹き飛んだ死体を動かし、敵前方に置く。もぐらが土から出てくるように塹壕から敵兵が顔を出し銃を構える。そいつらは死体が歩いているのを見て、表情を歪めた。
ああ、この顔どっかの絵みたいだ。あの有名な絵。口を引き延ばし、目が白目をむく。これから叫びそうな、悲壮感たっぷりなその顔。何度も見たさ。
その兵士が銃声を鳴らし、向かってくる死体に、くるな、くるなあ、とのどがはちきれるほどに声を荒げて叫んでいる。
砂埃が舞う。知らないうちに腹が裂けて腸が垂れている、命乞いをしていた女の死体が傍に転がっている。僕はそれも起き上がらせて、前進させる。女の死体から地面に蛇行する色強い腸がそろそろと伸びていく。
違う死体に銃を持たせ、乱射させる。腕がなくなっていたため、飛び出した腕の骨で操作させる。そいつの前に死体を置き、肩に銃を乗せ支え、引き金に骨をひっかける。こっちの死体はそのまま。あとは前進。
どんな形になったとしても、死体は起き上がる。腕がなかろうが、銃の引き金を引く。僕はこうして死体の下から戦況を確認するだけ。また死んだ。なら動かす。単純作業だ。
なんてつまらない世界だろうか。
「撤退だ。撤退」
やっと敵は撤退の伝令を飛ばした。と言った傍から塹壕から顔を出した青い目の兵士の顔面が吹き飛ぶ。その兵士を起き上がらせ、逃げ遅れた兵士の足を掴み、足の肉を引きちぎる。
のそのそと僕は死体の中から這い出た。向こうの陣地にまで踏み込むことなんて面倒でしない。モモみたく僕は好戦的姿勢でやってないし、ただ一日一日をここで過ごすだけだった。
大人は嫌いだ。他の何にも考えていない同胞も嫌いだ。弱い奴も、僕に慈悲を求めてくるやつや、嫌悪の眼差しで見つめてくるやつも、何もかも嫌いだ。
結局どいつもこいつも僕の気持ちなんて何一つ分かっていないじゃないか。こうして不満を誰かが聞いてくれるはずもない。
周囲を見渡せば、死体ばかり。僕だけしか戦場に残らない。
肉が焦げる音や匂いが鼻について離れない。
ー09ー
視界が明滅する。これは痛みではない。ぐるんと一回転をきめる視点に酔う。喉奥から湧き出る蛆虫の足音に鳥肌がたつ。蛆虫の発生源を辿れば、自身の心臓に行き当たる。
心臓が鳴らす音が体を跳ねさせ、肌に埋もれた黒く丸い虫を起こし、表面に浮かび上がらせる。虫は僕の肌という肌を覆いつくし行進する。みな一様に匍匐前進をしていた。なめるように肌をなぞるから、その節足が肌を突き刺す。ぬめりを持ち、小さな痛みをはらみ、僕の目の奥に熱をしたためる。
かゆい。かゆくてたまらない。
得体のしれない虫が、ありとあらゆるどうしようもないこそばゆい痛みで全身の肌を刺激する。
気持ち悪い。叫んでいる。いつもいつも暴れている。叫びすぎて声帯がつぶれている。
「キュウを抑えて」
ベッドのシーツの感触さえ鬱陶しい。針を刺している感覚に近い。体は拒否反応を示す。
それでもかゆみが全身を侵食する。のみが皮膚を突き破ってくる。
虫が僕の髪をなでる。目に百本もの足がある虫が入り込んでくる。口を開けばその中に数百匹もの蚊が口内に入り、細い針で内側から差してくる。
黒々しい楕円がありとあらゆる皮膚の壁に表れる。それを掻きむしろうにも、ベッドと手足をベルトで縛られて四肢を動かせない。
「キューかくな。これは副作用だ」
かゆさが抜けない。あと何分、何時間この状態なのだろうか。早く死にたい。この痒みがとれるならば、死んだっていい。なんだって、能力を使ってしまったんだろうか。どうしてこんな作用が後からくると分かっていて僕は。
途端に彷彿とするのは操った肉の塊だ。今日の戦場で死体となりに訪れたあの女が、僕の頬をなでた。腹から腸が零れ落ちて戦場までつながっている。蛆虫がついた手で僕の頬を撫でて懇願する。
「お願いだから、お願いだから」と。
僕に死体となった彼女を動かさないよう、起き上がらせて戦わせないように、そうお願いでもしているのだろうか。時たま現れるそういうやつに、僕は全く興味を抱かない。
次から次へと現れる死体が体をなでまわす。それも気分が悪い。痛いでも気持ち悪いでもなく、絶妙にかゆいのだ。爪をたてて肌を傷つけたくなるほどに。死体は慣れているのに、能力を使った後の痒みだけは慣れない。
僕を抑えていた大人が離れて、暗くも明るくもないときに体が引きずり込まれるような感覚に一時陥る。ベッドに落ちる。高い場所から落ちていく。体はベッドに貼り付いているはずなのに。落下する。
早く地面に当たりでもしたらいいのに、僕にはそれすら許されない。死体の匂いがこびりついている。痒みが、落下する間だけは薄れている。落下する感覚と痒みの感覚が交互に表出し、次第に現実に戻される。
四肢をベルトと接触した肌がかぶれている。頭の中で、此処は敵地でないことをようやく理解すると、ベットに押し付けられているこの状態に恥ずかしさを覚えた。夜明けの薄闇が医務室に立ち込めていた。窓から日が差し込み、朝の空気を放つ。
医務室には僕しかいない。
早くこのベルトを外してほしい。
あの戦場から何日経っているのだろうか。
能力を使えば、それ相応の代償がついて回る。僕のやつはそれが長い。この代償、日に日に長くなっている気がする。
死にたくなるほどの痒み。
それが代償。
何人かは、こういったそれぞれの代償に耐えかねて自殺していった。初期生の1から10までの番号のやつは僕以外もういないし。
もうすぐここにきて二十年になる。僕もいつ死んだっておかしくない。むしろこんな朝を迎えることに絶望しているときもある。
「早く外してくれ」
恥ずかしさに耐えきれず、声が漏れるが誰も駆けつけてはくれなかった。
ー09ー
薬を手に打ち込まれたときのことは覚えていない。でも薬を用いることによって、僕はこの国の希望となれる、と大人は言っていたのは覚えている。
希望って何? と聞く隙も無く、施設に連れてこられて、知らないうちに戦場のすばらしさを説いた座学を受けていた。
その前の記憶はない。ここには僕みたいなやつがたくさんいた。同じ一期生の中でも、ナナは僕によく話しかけてたっけ。
僕は一人でいたいのに。だからしっしっと払って、遠ざけた。
一期生の中で、一番早く能力が出現したのがナナだった。
「異能の力を役に立てましょう。人を一人でも多く殺すのです」
施設の子どもにそう大人は説き、薬の効果が発生するよう、能力が開花するよう促していた。
薬は大人には効かないらしい。効くのは僕みたいな子ども。ナナは六歳くらいだった。僕と同じだ。
不格好な軍隊服を着せられて、ナナは爆弾を持たせられた。薬で発現した瞬間移動で敵陣にそれを置き、再び瞬間移動で自陣に戻ってくる戦法をとっていた。
ナナがいることで飛躍的多くの敵陣がつぶれた。だんだん僕達の施設が裕福になった。
一方、僕は能力が発現するのが遅く、仕方なしに能力が発現しないままに銃器を持たせられ、前線に駆り出された。
引き金を引き、敵兵を撃つ。こっちは異能力を持っている子どもがいるのに、なぜかなかなか突破できなかった。
相手が訓練を受けた僕達のような子どもでなく、大人だからかもしれない。
子どもの兵士が減っていく。そこでナナを見た。ナナは爆弾を持ち敵陣に瞬間移動した。
結局、ナナの副作用はなんだったのだろうか。僕は知らない。
だって、そこでナナは敵陣から帰ってこず、死体として帰ってきたんだから。
ナナの帽子を剥ぐと三発もの弾痕があった。痛みなんかないみたいに微笑んでいた。僕はナナのことを肉の塊にしか思えなかった。
死体を前にして僕は告げる。
「起きろ。戦え。僕達にはこれしかないんだから」
銃弾を数発撃ちこんだ。感情の波は揺れていなかった。命令しただけだった。ただの肉の塊に、呼びかけた。
すると、肉の塊は起き上がり、僕の銃を受け取った。頭をもたげ血は滴り続けているのに、容赦なく体は動く。僕はそれから周囲の死体に呼びかけた。起き上がれ、戦え。
ネクロマンサーだと、教官は僕を称した。
「気持ち悪い。戦友を何だと思っているの」
まるで死体にも人権があるように同胞は僕を非難した。僕に死んだら戦わせないでくれと請うものもいた。僕はいつだってどんな死体も平等に起き上がらせて戦わせた。どんな死体でも、戦わなければ意味がない。僕達はそういうものだろ。同じ子どもだ。子どもはそういった者だ。そう教官に教えられたんだから。
ー09ー
死体から目を離すと、一気に死体は力なく倒れていく。死体は死体として戦場に寝転がる。
ここには僕と死体しかいなかった。
薬莢がぼろぼろと落ちている。硝煙が視界をかすめる。暫くすると、死体から白く細い煙が立つ。熱が体内から放出されていくのだ。
僕の能力の後だからだろうか。いつもこの煙がたつ。そして、この戦況が一旦終わりだと、知らせてくれる。ようやくそこで僕は死体のかまくらから這うようにしてでてくる。死体の熱が僕の肌を焼いてちりちりと痛める。
焼いた肉の塊は、牛や、豚なら美味しそうなのに対して、戦場の肉は生臭い香りがする。血は鉄の香り。僕の能力は、こういった香り。ナナの香りは無味無臭だったのに。
撤退した敵陣を見据える。塹壕には誰一人として残っていなかった。そこに飛び込むのは危険すぎる。トラップが仕掛けてあるかもしれない。
何十年生きていても、薬の効果で子どものままで、小さなトラップでも致命傷になる。とりわけ僕は他のやつらよりも体格が小さい。
能力に過信し、飛び込んだやつを何人も見てきた。どいつもこいつもばかばかりで、使いやすい。
だから、僕は子どもの方がましだと思う。無鉄砲で、頭も弱く、すぐに死んでいく。その方がいい。
亡骸を抱えて泣き叫ぶ大人はみっともない。泥まみれで、狡猾で、口も回り、知識がある。全部知ったような目で僕のことを哀れだと見つめてくる。憎しみを込めた視線を向けてくる方がまだいい。
「お前はいつまでそこにいるんだ」
撤退せず、僕が嫌いな大人がひとり、戦場で居残っていた。塹壕の中から、僕を見上げている。青く輝く哀れみの眼で僕を見つめて、雨でもないのに人目をはばからず、おいおいと口から恥ずかしげもなく泣き声をあげていた。
大人はそういうことはしない。毅然とした態度で向かってくるものだ。そして僕達に容赦ない死を与える。僕達は指示されたことしかやれない。
そいつは茶髪で白人の子どもを抱えている。その子どもの番号札は388。ミヤハと呼ばれていた、僕より少しだけ大人の、子ども。能力、副作用、共に分からない。
僕は周囲の者達の能力を知らない。知らない方がやりやすいのだ、と言うと、他の子どもに、なら覚えなくてもいいがお前と連携がとれなくて死ぬのはごめんだ、一人で戦場へいけ、ときつく怒鳴られたことがある。それから僕は毎回一人で行って、帰っての繰り返しだ。その子どもも第一期生。確かロク。僕が戦場に慣れる頃には施設から姿がなくなっていた。
ミヤハは、どういったやつなのか、ここでは問題ではない。
僕は銃口をその大人に向ける。たった一人で佇むそいつを見逃すわけにはいかない。
「その銃を貸してくれないか」
動揺を見せず、僕は引き金に指をかける。
「ああ、違うんだ。頭に引き金を引きたくって」
その男は、明らかに動揺していた。弁解でも、命乞いでも、そうでもなく、何か伝えようとしていた。僕の照準は変わらない。やつの頭。その後、心臓。銃は苦手だが、訓練は受けている。
やつの全身を観察する。右足が吹き飛んでいる。もう左足で立っている状態だ。それなのに、なぜ男は死体を抱えて立っているのだろうか。重いだけだろう。辛いだけだろう。泣くのは、悔しいだけだろう。惨めで、美しくもなく、心がざわつく。
おかしい、僕は動揺している。淡々とこなしていけばいいはずなのだ。
引き金を引く。死体を起き上がらせる。僕は戦場から施設へ戻って副作用を待つ。そしてそれが明けたら、僕は再び戦場へ帰るのだ。いつもなら既に撃っているはずなんだ。
「って、それもそうか。できることなら、君に撃たれたくないんだけどな」
「お前ら大人はいつだってそう見下すんだな」
そんなにやわでない。むしろ、僕達の方が容赦なくやれる。殺しの数を気にしているのか? それとも子どもに人殺しをさせたくないのか? 生憎どれもこれも大人が仕組んだことではないか。
「見下しちゃいない。見ていて悔しいんだ」
しとしとと男の右足から赤い雨が降っている。その波紋ひとつすら僕は感じている。男の命が欠けていく。泥の中で唯一まっすぐに芯の通った命が降っている。
「ミヤハは、お前のなんなんだ」
男は、そうかミヤハと呼ばれているのか、と微笑を浮かべた。それでも哀れみの表情をやめず、僕に銃口を向けている。この構図自体、大人には恥ずべきものだろうに。
「こいつは、私の友人だよ」男は目を伏せて肩をすくめる。頬が紅潮していた。「おかしなことに、以前388号は戦場で私を見逃してくれたことがあるんだ。その際にほんの少しだけおしゃべりをした仲だ。それだけだよ。それだけだ。私はこいつを撃った。ここで普通のことを普通にしただけだ。そうして帰るつもりだったんだ。祖国に帰ってマンションの最上階で高級ワインを飲みながら、また次の戦場を待つ。
──君かい?
こいつを起き上がらせたのは」
僕は応えない。
「あれを見た時不覚にも揺れてしまったんだ」
どういう意味か分かるか、と男が目を鋭く尖らせた。さきほどまでの柔らかな表情はどこにもなかった。おいおいと泣いていた男の表情は憎悪に満ちたものに変わり、僕をしり込みさせる。銃を手放してしまった。どちらにせよ、男は塹壕をのし上がる力も、時間も残っていない。そう一瞬で考えてしまっている自分に、焦る。
「子供は無邪気でいいな」
眉間にしわを寄せて、男は表情を固めた。それ以降、動きはしなかった。棒のようにその場に刺さって、ミヤハを抱えたまま、沈黙する。
僕はしばらく立ち尽くしてしまった。