夢のない白雪姫2
むかしむかし。白雪姫と名乗る壮健で可憐な女性が、森の小人の家に突然押し掛けて来ました。事前の了承を得ない不意打ちな来訪を小人たちは訝りましたが、そこは彼女持ち前の快活さとベビーフェイスで小人七人全員を押し切りました。いつの時代も若さとは強さなのです。
同居を快諾した小人たちでしたが、すぐに越え難い障害があったのです。何を隠そう、白雪姫は極度の不器用でありました。どの程度かと言いますと。洗濯をすれば衣服は川下まで流され、万が一生き残った数枚も、乾かすわと暖炉にかざしては灰にし、料理をすれば開拓を好む性格から独創性溢れた毒物が皿に山となって盛られ、掃除をするたびに小人の宝物がいつの間にかゴミ置き場に移動している程です。交際するのに必要なのは顔よりも内面だと、よくお顔の残念な殿方が声小さく叫ぶように、白雪姫の性格は凡庸な小人たちが永く同居するにはとてもとても向かないものでした。
マシンガンが集中砲火されているような日々に小人は辟易し、遂には勘当しようと決意しました。しかし小人たちがどんなに白雪姫を追い出そうと心に決めてもそこは男、小鹿のような彼女を前にしてはどうしても意を伝えることが出来ません。どうにかして、やんわりと苦慮の意を表明しても、彼女の前向きすぎる思考回路が意味を曲解するので白雪姫の悪意のない悪行が止むことはありませんでした。
発散できないストレスで小人たちが禿げきった頃、黒いローブを全身にまとった魔女が訪ねてきました。杖とリンゴを積んだバスケットを両手に持った魔女は、妙に長い鼻を微かに揺らして小人たちに尋ねます。
「白雪姫はおらんかね? ああ、怪しい者ではないよ。美味しいリンゴが手に入ったから、おすそわけにきたんだ」
こんな山奥にわざわざリンゴだけを届けに来た黒い老婆が怪しくないわけがありません。対応した小人は露骨に嫌な顔になりましたが、瞬時に頭を働かせました。飴細工のように艶やかなリンゴを白雪姫ピンポイントに渡したいということは、この老婆は悪い魔女で、リンゴは毒が入っているのだろう。そうでなければ様式美に反する。小人はすぐさまに白雪姫を呼び、室内から仲間の小人と一緒に耳をそばだてました。
「あらおばあ様。何か御用かしら?」
「これをお前さんに渡そうと思ってね。ぜひ食べとくれ」
「まぁ美味しそう。でもこれ虫が食っているわ。穴ができているもの」
「虫も好かない農薬漬けではないということさ。大丈夫、虫は取り除いたよ」
「そうなの? ではいただきます」
ばたりと白雪姫が倒れる音。魔女が立ち去るのを待って、小人たちは枯れた頭を隠す長帽子を宙に投げてハイタッチしました。なかには涙を流して抱き合い、試合に勝利したようにお互いを激励してさえいました。
とは言っても、結局は白雪姫を嫌いになれず悶えていた彼らが、すぐさま彼女を産業廃棄物のように人の目つかない山奥に捨てようなど、できるはずがありません。小人たちは白雪姫に似合う、高齢の感性にありがちな花のベッドみたいな棺を作り、彼女をそこで眠らせてあげることにしたのです。
七人が棺を囲み、いざ別れの時。小人たちはその小さな体を滑稽に揺らして泣きました。もちろんそれがどんな種類の感情から湧き出た涙なのかは判別しかねますが、とりあえず第三者が見かけたら、うら若き姫の死を悼んでいるような泣き方ではありました。
「これはこれは、なんと美しい姫だ」
その芝居がかった声音は意識した高さを持っていました。何事かと小人たちが見上げると、獣道もないただの斜面で、白馬に跨った青年が蝋人形のような笑顔で白雪姫の美しい死化粧を凝視していました。
染めた金髪。ホワイトニングしすぎた歯。スタイルは良いのですが、体とのバランスが取れていない顔の局部。安っぽいオーラがかけ過ぎた香水と共にぷんぷんと臭う、何とも怪しげな青年でした。王子の理想と現実という対比写真があったとしても、現実にすら掲載されないでしょう。自信とは罪にもなり得る恐ろしいものなのです。
青年は大股を開き白馬から降りると、白雪姫の枕もとまで来てこう言います。
「なんと美しい。このような可愛らしい姫が亡くなるなんて、なんと胸が痛むことでしょうか。ああ、私は悲しい。……小人たちよ。彼女にキスをしても良いだろうか。私も弔いたいのだ」
良いわけもありません。突然現れ、それらしい前置きをとりあえず並べて美女の亡骸に接吻をしたがるなど、変態以外の何物でもないのです。
小人たちが、驚いて変態をまじまじと眺めている間に、変態はタコのような唇を白雪姫のルージュに合わせてしまいました。それどころか、生意気にも舌を動かしているらしく、粘液の擦れる気持ちの悪い音が響いてきたのです。
ネクロフィリアな救いようのないド変態に小人たちが殺意を抱いた瞬間。ド変態は宙を飛んでいました。
「変態!!」
呆気にとられる小人たちの中心。細い眉を傾けた白雪姫が立ち上がって叫びました。
まさか王子もどきのおかげだろうか。そう思い倒れた王子もどきを見ますが、頬に手の跡を赤くつけた王子もどきはぴくりとも動きません。まるで死体のようです。
「眠っている間に乙女の唇を奪うなんて、それが殿方のすることでしょうか!? 貴方のような乱暴な男性がいるから、女性は世情の権力を乱用した横暴な振る舞いに怯え続けなければならないのです! 私はこんなにもお淑やかに影で生きようと努めているのに……もう知りません! 私はずっと森に住み続けます!」
堂々と、そしてさりげなく小人たちとの一生の同棲を宣言し、白雪姫はぷりぷりと怒りながら小人の家に駆け込んで行きました。
展開についていけない小人たちは王子もどきをとりあえず眺めることにしました。すると口元がもぞもぞと動くではありませんか。注視を続けるとしばらくして、細い線の胴体に丸い目を二つ付け足した、イラストのような虫がひょっこりとでてきました。虫が王子もどきから脱出し雑草へとダイブすると、王子もどきは息を吹き返したのです。
「なんだか頬が痛むのだが……はっ、姫、姫は!?」
どうやらあの虫が白雪姫と王子もどきを眠らせた原因のようでした。きっと魔女がリンゴに仕込んだのでしょう。王子もどきが虫の存在を知らぬ素振りから推理するに、結局王子もどきは死体から唇を奪う変態だったのです。
ヒロインを捜す主役を演じている変態の横で、小人たちはため息を吐きました。少しの間だけ手に入れた平穏はどうにも崩れ、喧騒な日常がこの先ずっと続くのです。
「これも、悪くないんじゃないかなぁ」
白雪姫が死ななかったのだから。小人の誰かが呟きましたが頷く者は一人もいませんでした。しかし否定する者もいなかったのです。
小人たちはお互いを見合って力なく笑いました。自虐か、それとも喜びか。それは小人たちでなければわからない、小さな、でも何かを確信したような笑みでした。
そして小人の一人が落ちた虫をさっと手にしたかと思うと、それを狂ったように踊る変態の口に力いっぱい突っ込みました、とさ。おしまい。