八本脚の蝶 あらかじめ閉ざされた救済の話
25歳で自殺した女性編集者、二階堂奥歯の日記を纏めた本。
刺さる人には物凄く刺さるという話だったので、とても期待して読んだのだけど刺さりはしない。
いや、この本が駄作だという訳ではなく、年月の問題。
10代とか20代で読んでたら、とても刺さったと思うよ。
この感覚はテレビ放送の時のエヴァを見て綾波レイに心打たれたのに、時が過ぎて新しい劇場版のエヴァの綾波を見ても特に動くものがなかった感じに似ている。
綾波レイというか綾波が象徴する少女に対するスタンスがシンジ君ポジションからゲンドウポジションに変化したからと思われる。
二階堂奥歯はかなりのビブリオマニアで古今東西の幻想文学やらミステリー(黒死館やらドグラマグラの系統の)、SF、神学書のタイトルやら引用がわさっと出てくる。
うん、全部とは言わないが半分くらいは読んでるわ。
ユイスマンスとか読んだなあ。
城の中のイギリス人とか懐かしい。
なので二階堂奥歯がなにを希求していたかなんとなく分かる。
この世にありそうで実際にはない美と秩序を求めている。
そらそんな本ばっか読んでたら、観念に支配されて精神が弱って死ぬよな。
また読んでいくと彼女がSMでいう奴隷の資質であることがわかる。
実際、後半には飼い主を募集する記述もある。
と同時に貞操帯を他人の侵入を拒むアイテムとして認識している。そらあんなんつけてたら侵入できないわな。
資質は奴隷なのに、他人を拒む矛盾がある。
その矛盾がねじれて神学にいってしまって、聖書からの引用も多数ある。
エロが足りない。
人輪も観念も踏みにじる身も蓋もないエロが不足している。
貞操帯で侵入を拒むなら心を踏みにじればいいじゃん、ってな飼い主がいれば自殺することもなかっただろうに。
観念を粉砕に肉体の根元的なエロに還元しなきゃならなかったんだ。
というのも昔は熱心に読んでいた幻想文学に今は見向きもしないのは、SMにはまって性奴隷多頭飼いとかしてからだよ。
ほれ、SMとか異端だと思うじゃん?
でも実際やってみると異端だと思っていたものは日常の延長でしかない。
縛る時は鬱血しないように気をつけるし、ローソクプレイする時には後片付け簡単なように下にビニールシート敷くし。
ホムセンで売ってるでかいゴミ袋が安くて便利よ。
異形の美があるんじゃないか?
と言う人もいるだろう。
でも、ないから。
M女の方にはお太りになられている方が多くて、それを縛ると、
あ、チャーシュー……
あれはあれで味があるんだけど、俺の好みではない。
そうゆうことをやっているうちに異端だとか異形への憧れは欠片もなく消えてしまった。
トンネル抜けたら雪国だったではないけど、異形を求めて出会ったのはチャーシューであった、ではねえ。
ちなみに俺の奴隷ちゃんたちは全員スレンダーでした、念のため。
ということで俺は幻想文学にあるような美はあくまで本のなかのことであって、現実にはどうやっても不可能ということをしみじみと理解したのであった。
二階堂奥歯にもそういう身も蓋もない経験があれば自殺を選ぶこともなかったであろうに。
SMという救済の形は確かにある。
本の後半になってくると日常の話がなくなり、ほぼ本からの引用に占められることになる。
もう自分の言葉で語る余裕もなくなっているのだ。
自殺に向かって一直線に突っ走る失踪感が凄い。
雪雪さんと言う男とのメールのやりとりが時々出てくるのだが、いや今必要とされているのは鞭と縄とそれがもたらす恥辱であるのに、お前はなにを言葉を語っているのだ、語る暇で顔を踏みつけろよ、と読んでてとてもいらいらするんだが、俺の感性はエロについては致命的に一般とずれているので、他の人はまた違う感覚を得るだろう。
ちなみに本と同じ内容がブログで全部読めるよ。
二階堂奥歯、八本脚の蝶で検索すると出てくるよ。