戦争は女の顔をしていない ジェントルなハートマン軍曹
第二次大戦の対独戦に従軍したロシア人女性兵士に対する聞き書き集。
2015年、ノーベル文学賞を受賞。
角川から漫画版から出ていたので読んでみたけど、なにか物足りない。
ひと味足りない気がする。
なので岩波から出てる原作も読んでみた。
やっぱりなんか変。
お話ではなくドキュメンタリーだから、作り話のようなオチがないせいかな?
とも思ったがなんか違う。
女性なのにとにかく前線に行きたがるロシア人女性の愛国心に対する違和感?
それも違う気がする。
愛国心というか郷土愛というか、とにかく彼女たちにとってはあの対独戦は真実、祖国防衛戦争であったのだなと。
戦争や敵に対する感覚が日本人とは違うのは、そのまま飲み込んでしまえばいいだけだし。
ほら、日本は鬼畜米英だった訳じゃん。
敵でありながら憎み方にどっかファンタジーが入ってる。
大半の日本人はアメリカ人イギリス人と会ったことも喋ったこともないのに、鬼畜米英と罵っている。
鬼ヶ島の鬼を罵るのとあんま変わりない。
あとオランダ人がすっぽり抜けてるし。
オランダを仲間外れにしないで、ちゃんと鬼畜米英蘭と呼んであげよう。
対して本書のロシア人は憎むべき隣人として、ドイツ人を憎んでいる。
もうファシストとかナチとかどうでもよくて、ドイツ人が嫌い、ドイツ人が侵攻してくるのがもう生理的に耐えられないって感じがよく出ている。
年取ったおばあちゃんがドイツ人が攻めてきたら熱湯をかけてやるだって、柄杓で水を撒く練習しているエピソードが載ってるんだぜ。
祖国、戦争、生き死にに対する感覚がまるで違う。
さすが開国以来敵でありこれからも敵であり続ける国はちょっと違うぜ。
さすが露助だぜ。
ん?
んん?
もう一回最初からめくってみる。
ドイツ人、ドイツ人、ドイツ軍、ドイツ人、ドイツ人、たまにドイツっぽ。
腐れボッシュとかヒトラーのマラしゃぶりとかいう表現は一切なし。
まるで教科書のようにドイツ人、ドイツ人、ドイツ人。
作中でロシア語は汚い表現は豊富だから、と述懐するシーンがあるのにまるで昔の女学校の生徒のようなお上品な単語ばかり。
鬼畜米英と罵る代わりに、政治的に間違ってるアメリカ人とイギリス人の皆さんと置き換えてるようなもんじゃん。
翻訳されてる。
作者か訳者か、それとも両方ともかは知らんけど、従軍した女性からの聞き書き、その内容については改編してないだろうけど、表現に関してはかなり自分に寄せて翻訳している。
腐れボッシュやへたれフチャチン野郎を行儀良くドイツ人に置き換えるなどして。
そのせいでかなり悲惨な内容なのに女学校の学芸会じみたものになっているんだ。
映画のフルメタルジャケットで翻訳家の戸田恵子がお上品に翻訳したせいでキューブリックから降ろされて、結局違う人が字幕やったじゃん。
想像してみるんだ、ハートマン軍曹が定年した田舎の校長先生のように丁寧穏やかに喋るさまを。
途端に全部が嘘くさくなるだろ。
それを同じことをやってしまっている。
また同じことが原因で、無数の人から聞き書きしているのに、自分に寄せて表現を翻訳しているせいで全部同じ、作者が名前を変えて自分語りをしているように見えてしまうんだ。
表現を翻訳するということは、その人から語りを奪うということであり、語りを奪うということはそのまま人格を奪うってことだから、皆同じになる訳だ。
要するにそれがなんであれ、起きてしまったことから抜いたり変えたりしていいものはなにもないってことだ。
まあ、腐れボッシュとかヒトラーのマラしゃぶりって言葉で満載になっていたらノーベル文学賞は受賞していなかっただろうから、そういう意味では悪いとも言えない。
裕福な父兄向けの女学校の学芸会でマラしゃぶりなんて言えないしねえ。
ちなみにボッシュは蛙食いのおフランス人がジャガイモ食いのドイツ人を罵るときの言葉で、ロシア人が罵る時はニーミェッツらしいな。
意味はつんぼ。
俺はフランスのエロ小説でドイツ人の蔑称覚えたからボッシュなのさー。