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カレーライス

作者: 神崎 月桂

 一人暮らしを始めて初めての夜ご飯はおふくろの味がした。



 でも今までずっと慣れてきた味だから、作ったときにその味に似たとかそういうわけでは全くなかった。



 大学生になって初日のこと。

 カレーライス、俺の好物、せっかく初めてだしとメニューはすぐに決まった。けれどカレーを一人分だけ作るのはめんどくさいなとご飯だけ炊いてレトルトを買った。レンジでチンでできるやつ。

 まごうことなきおふくろの味だった。

 そう思うと、今までおふくろに抱いていた感謝とかそういったものが大きく音を立てて崩れた気がした。

 ほら、これ好きでしょう?

 そう言って自慢げにカレー皿に乗せられたカレーライスに大喜びしていた昔がとてつもなく虚しく思えてきた。

 いくら台所仕事の様子なんて全く気にかけず、料理についても手伝いもほとんどしていなかったにしろ、まさかレトルトだということに気づけなかったとは。

 驚きと、言いようのない怒りがこみ上げてきた。

 こうしてピカピカの炊飯器が仕事することはなくなった。






 大学から帰って、座卓の上にビニル袋を雑に置く。

 なんの理由があるわけでもなくテレビをつけ、気力もなくチャンネルを回して、なんかちょうど良さげな娯楽があったのでまあそれでいいやとリモコンを置く。

 ビニル袋からコンビニ弁当を取り出す。生ぬるいフィルムを破り、透明のフタを開ける。

 ここで違和感に気づく。ビニル袋の中に割り箸が無い。床に落としてないかと探してみるが、それらしきものはない。

 チッと舌打ちをして、台所へ向かう。普通の箸もあるが、洗うのが面倒なので割り箸のストックを一膳取り出す。

 手を合わせて、いただきますと言う。そのまま割り箸を割って弁当を食べる。かなり冷めてしまった弁当からはもう慣れてしまった味気なさを感じる。決して味がないわけではないが、おいしくもないし、コンビニ弁当は種類こそあるがローテーションも限度がありもう飽きた。

 ひとくち、ひとくちを食べすすめる。こんなにも一人の食事が楽しくないものだとは思わなかった。今日の晩御飯は――。と、笑顔で紹介してくるおふくろが懐かしい。

 白飯を食べる。上げ底になっている弁当箱だった。面積の割に白飯の量が少ない。

 ちらりとホコリかぶった炊飯器に目が行く。米ならある。炊こうと思えば炊けるが。

 俺はすぐに弁当に目を戻し、ため息を付きながら冷たい白飯を口に運んだ。

 物足りなさを感じずにはいられないがコンビニ弁当は高い。もう一個買うのはためらわれる。

 立ち上がり、ゴミ箱に向かう。同じ空箱がいくつもある中に、追加で一個入れる。袋がもう、いっぱいいっぱいだ。そういえば明日はゴミの日か。

 ゴミを収集場所に持っていくのもめんどくせえな。

 ため息をついて、またテレビの前に座る。

 テレビの横に置いてあるカゴの中にある山のような洗濯物。いつか洗おうとは思ってるんだけどな。ため息をつく。

 しかし、もうちょい面白い番組ねえのかね? この鬱陶しい気分をふっとばしてくれるような、何か。






 珍しく特に用事もない日ができた。友人を誘って遊ぼうかと思ったが何の偶然か誰も捕まらない。

 家にずっといてもいいが、片付いてないホコリっぽい家にずっといるのも鬱屈なので適当にブラブラと歩くことにした。

 しばらくすると、スーパーがあった。

 たまには自炊でもしてみるか。ふとした思いつきで店に入った。

 入ったはいいが、どこに何があるのか皆目検討もつかない。

 天井からぶら下がっている案内を目印に、なんとか歩き回ってみる。

 野菜、魚、肉。乳製品に卵。できあいの惣菜に多種多様なパン。めちゃくちゃいっぱいある。

 一通り目を通したところで、何を作ろうかと考えてみた。いや、その前に何が作れるだろうか。

 今どきならネットで調べればレシピくらいいくらでも出てきそうだが、レシピを見て俺がそれを実践できるのか?

 そうだ、中学の頃に調理実習で作ったカレーライスなら。

 カレーの中身、ええっと、肉とニンジン、ジャガイモ、タマネギ。

 カレールゥは固形のやつがあったよな。……どこに売ってるんだ?

 探し回って十数分、ようやく中央の戸棚の一つにあることに気づく。どれがどんなのかはわからない。とりあえず中辛でいいよな。

 裏を見ると何がどれだけ必要なのか書いてあった。

 計量カップ? そんなの家にあったっけ。……水の量って適当じゃだめなのか?

 計量カップなるものを再び探す。スーパーにあるかどうかはわからなかったけども。

 しばらく歩いたら見つかった。探して見るものだな。

 そして野菜を売っていたところに向かう。さすがにどれがニンジンで、ジャガイモで、タマネギなのかはわかる。

 でもなんだコレ、品種? 何が違うんだ? バレイショとメークインの違いってなんだよ、形が違うだけ? まあどれでもいいか。

 いろいろ買って、レジに向かう。ちょっと混んでるのかな? とは思ったがそんなに時間はかからずレジで精算できた。

 帰って作るか。






 さて、カレーライスを作る……となると、まずは何をすればいいんだ? ご飯を炊く? カレーを作る?

 よくわからんが、ご飯ならスイッチ入れたらあと放置だから先にこっちを作ることにした。久しぶりに開ける炊飯器、パカッと開いた口から釜を引っ剥がす。

 米を袋から一合取り出して、そういえばこの一合取り出すためのカップが計量カップじゃん。買った意味ねえや。

 米を釜に入れて、水を流し込んで研ぐ。シンクに向けて水を流すと、ザラザラザラッと米も一緒に流れ出る。

 もったいないと思ったが、さすがにシンクに落ちた米を食べる気にはなれない。もう一回水を入れて米を研ぐ。

 そういえば釜で米は洗ったらダメだっておふくろが言ってたな。釜が傷つくとかなんとか。……だけど他の容器用意するのもめんどくせえよな。

 そのまま何回か研いで水を捨てて米も流れ出てを繰り返し、そういえば米って何回研げばいいんだっけ、とか。あんまり繰り返すとそのうちなりそうだな、とか。研ぐのこれでいいや。

 水を入れて……、かなりこぼれたから少なめに入れて。

 炊飯器にセットしたら、蓋をしめてスイッチオン。

 ……米を炊くのも、やっぱりめんどくせえな。

 それじゃあカレーを作るか。

 とりあえず野菜の皮を…………剥くのめんどくせえな。タマネギはともかくとして、ニンジンとジャガイモはダメ?

 ちょっと考えたが、そういえば両方とも土の中にできる野菜だなと気づき、剥くことにした。ピーラーマジ便利。

 次は切るのか。……どういう形に切ればいいんだっけ?

 ジャガイモは半分に切って、うん、でかいな。もう半分、もう半分、もう半分……これくらいならいけるか。

 ジャガイモはいいが、ニンジンとタマネギは明らか食べられないところあるよな。……どこまでが食べられるんだ?

 とりあえずそれっぽいところまで切り落としてみて、適当な大きさに切ってみる。

 ニンジンは先細りだからどう切ればいいのかすごく悩んだ。結果メチャクチャな形になってしまった。

 タマネギはジャガイモと同じ要領でいけるだろうと過信していたが、切るときに包丁が滑りかけたし、切ってからそういえばコイツラバラバラになるんだということを思い出して、かなり小さくなってしまった。

 さて、とにもかくにもこれでした準備はできた。さっそくカレーを作るか。

 鍋をコンロにおいて、食材打ち込んで水入れてルゥ入れて火をかけたらできるでしょ。そう思って、ルゥを手にとった。

 裏に作り方が書いてあった。えっ、まずは食材を炒めるのか? カレーなのに?

 よくはわからなかったが、とりあえず炒めてみることにした。鍋で炒めたらいいっぽいので、油を入れて食材全部ぶち込んで火にかける。肉は薄いやつだしそのままでいいか。

 めちゃくちゃ炒めにくいし、鍋に食材くっつく。なにかやり方間違えたのか?

 しかしもう引き下がれないのでそのまますすめることにした。どれくらい炒めたらいいのかわからないので、とりあえず軽くでいいかな? そしたら次に水を入れて煮込むのね。

 せっかくなので買った計量カップを使って水を計り入れる。

 そのまましばらくすると鍋の底から泡が出るようになってきた。

 その時、ピーッと音がなった。ご飯が炊けたようだった。そしてここになって思った。どうなったら次の工程に進めばいいんだ?

 ええっとたしか、箱の裏に……。え、時間も測らないといけないのか。測ってないぞ。

 んー、もういいかな? ルゥ入れちゃえ。

 ルゥを入れるときは火を止めて、と。めんどくさいな、なんで止めなきゃいけないんだよ。どうせこのあとまた火にかけるんだろ。

 コトコト、コトコト、しばらくしてカレーのいい匂いはしてきた。

 今度はちゃんと時間を測っていた。スマホのストップウォッチ機能とかカップ麺以外で使ったことなかったな。

 火を止めて、皿に白飯を盛って、カレーをかけて。






 カレーは食べたが、非常にまずかった。ルゥはおいしかった。肉もおいしかった、でかかったけど。タマネギもまあそこそこおいしかった、小さかったけど。が、ニンジンとジャガイモが頭おかしいんじゃないかってほど硬かった。

 変な思いつきで自炊するもんじゃねえな。そう思いながら食器を持って台所へ向かう。

 洗い物をするか。そう思ってスポンジを手にして、洗剤をつけて。

 そういえば、と。


 実家にいる頃の夕食は、毎日が楽しかった。

 それはみんなで食べる夕食だったからってわけじゃない。

 今日の夕食はなんだろうか、と。俺が楽しみにしていたから。

 料理にいったいどれほどの種類があるのか、俺には皆目検討もつかないが、日々の献立を、栄養バランスなんかを考えて、そして飽きがこないかと考えて、今日はどうしようか、昨日はアレを食べたし、そういえば家にあの食材が残っていたなと。そんなことを考慮しながら決めるだなんて尋常じゃない労働だ。そこに俺たちの好みという要素も絡んでくるわけで。下手すりゃ大学の勉強なんかよりもよっぽど難しい問題だ。

 俺が昔、好きな料理が出た翌日に今日も食べたいとねだって、却下されて、そうしてふてくされていたが。そこにはちゃんとおふくろなりの考えがあってのことだったのか。

 そして献立を決めただけでは食事はできあがらない。さっき俺がめんどくさがったご飯を炊くという工程、野菜を剥く、切るという工程、炒める、煮る。これらすべてのめんどくさいを超えないと料理は出来上がらない。料理の種類次第では揚げるとか他のものも現れるだろう。

 そして、俺がいつも食事を食べたあとは放ったらかしにしていた食器。今目の前にあるこれ。今俺が今からしようとしている洗い物。これもおふくろが毎日してた。

 いや、料理と洗い物だけじゃない。俺がサボっている部屋の片付け、掃除。めんどくさいなあと言い続けているゴミ出し。やらなきゃと言いつつかなり溜まっている洗濯物。それら全て、おふくろが。

 それなのに俺は、俺は。


 そうじゃん。レトルト、レトルトの何が悪いんだよ。いったい。

 いいじゃん、おふくろこんなに頑張ってんじゃん。しんどいじゃん。めっちゃしんどいじゃん。めっちゃ頑張ってんじゃん。レトルト使ってるから手抜き? そんなことまったくないじゃん。そもそも作ってもらってる立場だったのに、なんで俺が驕ってたんだよ。


 視界が涙で歪んで、こすったら洗剤がしみていたかった。


 明日も休みだっけ。……そうだ、実家に帰ろうか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いやぁ、これは良かったです。 一人暮らしを始めたばかり。親のありがたみなんかを初めて実感する、あの独特の気持ち……。 主人公の気持ちが丁寧かつ巧みに描かれていて、じんわりと心が温まりまし…
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