3.2 可愛いのが好きなんだよね
夜、リビングでちくちくとクッションカバーにトラ猫の刺繍をしているとポケットの中でスマホが震えた。針をクッションに刺してスマホを開けると、案の定野田くんからのメッセージだった。
夏休みが終わっても毎日律儀に写真を送ってくれる野田くん。今日の写真には道端で紳士のように佇む黒猫がおさめられていた。うう、なんてかわいいんだろう。一目見ただけできゅんと胸が高鳴る。猫ってこの世で一番かわいい生き物なんじゃないかな。あー、私も猫になりたい。
ほんと野田くんってまじめだ。私なんかに毎日、毎日。
猫の写真も「何が好きなの」ってある日突然訊かれて「猫が大好き」って答えて……そしたら旅先で猫を見かけるたびに撮影して送ってくれるようになった。夏休みが終わっても野田くんの猫探しは続いていて、最近ではこのあたりの街猫の集会所を発見したらしく、ほぼ毎日猫の写真を送ってくれる。
でも当の私はというと写真が送られてくるたびに苦しくなっていた。だって……絶対野田くんに迷惑をかけているもの。
最初の頃、猫の写真が送られてくるたびに「かわいいね」「大好き」と喜びすぎたのがよくなかったんだと思う。それもそうだよね、そんなこと言われたらやめにくくなるよね。だからそろそろ「もう大丈夫だよ」「送ってくれなくてもいいんだよ」って言ってあげなくちゃいけないんだろうけど……送ってくれる写真は今日もやっぱり素敵で。
ううん、本当の理由は違うの。自分でも分かってるの。こうしてプライベートでも野田くんと繋がっていられるのが嬉しいの。……やっぱりこれって恋なのかな。どうなんだろう?
『写真すごく素敵だね。いつもありがとう。この猫ちゃん、かっこかわいいね。すごく好きだよ』
今日も正直に猫ちゃんと写真への想いをしたためた返事を送ったら――ため息が出た。
「またカメラ野郎からか」
向かいのソファに座って雑誌を読んでいた卓也が不機嫌そうに言った。卓也は近所に住んでいる従弟で、こんなふうに平日は我が家で夕食をとりのんびりしていくのが習慣となっていた。でもこのところの卓也はいつも不機嫌そうだから困る。思春期ってやつなのかな、と思って何も訊かずにいるけれど。
「あ、ごめん。邪魔しちゃった?」
どうやらスマホを操作する動作が視界に入って邪魔だったみたいだ。だがポケットにしまったところでまたスマホが震えた。
「今度はさわやか君からかよ。忙しいな」
「もう! そういう変な言い方しないでよね」
でも卓也の言うことはおおむね当たっている。
実は終業式の日に連絡先を交換したのは野田くんだけではない。さわやか君、もとい広田くんとも交換したのだ。――そう、あの告白ゲームの広田くんである。
帰り道、野良猫に遊んでもらっていたら偶然会って。
「あ、こ、こんにちは」
子供っぽいところを目撃された恥ずかしさから逃げ出そうとしたところ、なぜか呼び止められてしまったのだった。
『あのさ。この前映画のチケット二枚もらったんだけど、よかったら一緒に行ってくれないかな。その……この間のお詫びも兼ねて』
もちろんすぐに断った。あれは広田くんが悪いんじゃないって知ってるから。でも広田くんはどこまでも優しい人で、どうにかして謝罪の形をとりたいのだろう、全然引いてくれなかった。しまいには、
『お願いします』
頭を下げて頼み込まれ――うなずくしかなかった。
映画はとっても面白かった。猫ちゃんが冒険するほのぼのファンタジーアニメは前から観たかったものだったし。
でもそこで私にしては珍しく一つのことに気づいた。この映画、高校生男子一人ではちょっと観に行きにくいなって。家族連れやカップルが多い館内で広田くんが一人でいたらちょっと浮くと思うんだ。しかも広田くん、私よりも嬉しそうで周囲にはずっと花が舞っていた。よっぽど猫が好きなんだろう。終業式の帰りに会ったのも偶然じゃなくて同じ猫ちゃん目当てだったのだ。
その後連れて行かれたカフェも男子一人では入れないようなかわいくておしゃれなところで、広田くんがかわいいもの好きなんだってことを確信したのはこの時だった。
じゃあせっかくだからと、ちょっと強引に二人して同じクリームソーダを頼んだのも、きっと広田くんはこういうかわいいメニューが好きだろうと思ったから。うん、実は私の大好物でもあるのだ。
澄んだグリーンのソーダに真っ赤なサクランボ、バニラアイスの組み合わせは完璧だと思っている。この日も目の前に置かれた瞬間に「かわいい!」と歓声をあげてしまった。それから夢中で食べていたんだけど、しばらくして広田くんにじっと見つめられていることに気づいた。はしたなさを指摘されたようで頬が紅潮していくのが自分でも分かった。
と、広田くんが深いため息をついた。
『ほんとうにかわいい。……やっぱり立花さんと一緒にいると楽しいなあ』
しみじみと語る言葉から、広田くんがこういったところに今までずっと来てみたかったことがすごくよく伝わってきた。学校ではイケメンで知られる広田くん、女子も男子も、広田くんは大人っぽくてかっこいいものが好きな人だと思っているはずで、イメージと違うことをやりにくいんだろう。
だから、
『ね、また誘っていいかな。俺、立花さんと行きたいところがいっぱいあるんだ』
と言われた時、断るなんて選択肢は思いつかなかった。
『私でよければどこでも行くよ』
『……え。本当?』
『うん。また誘ってくれると嬉しいな。今日も誘ってくれてありがとう』
心からのお礼を伝えると、広田くんはこぼれるような笑みを浮かべた。
「で、さわやか君はなんだって?」
卓也は私の話から勝手にイケメン二人にあだ名をつけてしまった。まあそれも問われるままに素直に答えてしまう私のせいなのだけれど。
「文化祭、一緒に回らないかって」
「へえー。相変わらずのアグレッシブっぷりだな」
「そうだね」
卓也の言うとおり、広田くんはすごく行動力がある。夏休み中、広田くんに誘われていろんなところに遊びに行った。猫カフェ、ペットショップ、動物園。美術館に博物館。公園に遊園地。しまいにはプールに海、花火大会まで。どれだけって思うくらいいろんなところにでかけた。
『僕には立花さんしかいないから』
『ずっとこうしていられたらいいのにな……』
『今年の夏が一番幸せだよ』
会うたびにそんなことを言う広田くんは、よっぽど普段から自分を偽っているんだろう。ほんとはイケメンの広田くんと一緒にいると目立つから嫌なんだけど……あんまり広田くんが嬉しそうだから、そんな広田くんを見ているといつも「まあいっか」って気になってしまうのだ。不思議だけど。
「でもどうして私ばっかり誘うんだろうね」
「……はあ?」
「だってさ。夏休みの間私を誘ったのって、つまりは学校での自分のイメージを壊したくなかったからでしょ? でも文化祭は仲のいい人と回ればよくない?」
「それ本気で言ってるのか? あれ、もしかして愛華、別にさわやか君と付き合いだしたわけでも、カメラ野郎に横恋慕されて悩んでるわけでもないの?」
ぐるぐると考え出した私の耳には卓也の言葉は聞こえていない。
「もしかして夏休みの時のように素の自分に戻りたいのかなあ。かわいい展示物見たいのかもなあ……」
「……やっぱりそうか。だよな、愛華はそういう奴だよな。うん、それでこそ俺の愛華だ」
二学期になってからは広田くんとは一回もお出かけしていない。休みが合わないからだ。広田くんは日曜日以外は部活で忙しいし、私は私で日曜日は家族と過ごすって決まっているから。
ああ、きっと広田くんは私に助けを求めているんだろう。
助けてあげたい。広田くんの素を知るのは私だけだから。
ああでもでも。
「今度はどうした?」
「うん、実は文化祭は野田くんと回る約束しちゃったんだ。写真のお礼をしたいから」
「なんでそれがお礼になるのかは分からないけどさ。だったら時間を決めて交代で二人と回ればいいじゃん。……って俺、なんで敵に塩送るようなこと言ってるんだ」
「うーん、でも野田くんとは文化祭の間ずっと一緒にいるって約束しちゃったんだよね。撮影のお手伝いをするんだけど、そしたら最初から最後までしっかりサポートしないといけないでしょ? あ、それと野田くんも広田くんも別に塩なんていらないと思うよ」
変なことを言ったのは卓也のくせに、卓也は私の話を最後まで聞いていなかった。
「最後って……キャンプファイアーも?」
「え? うん、もちろん。なんで?」
「愛華の高校の文化祭ってさ、キャンプファイアーで一緒に過ごすこと、イコール相手のことが好きってことなんだよな」
「よく知ってるね。そうだよ。だからこそ撮影のしがいがあるってものでしょ」
毎年この文化祭をきっかけに付き合い出す生徒は数多い……らしい。私には関係ないけど。でもそんな決定的瞬間を凄腕カメラマンの野田くんに写真におさめてもらったら、クラスのみんなも喜ぶでしょ? それくらい私にだって分かる。
突然卓也が頭を抱えた。
「うーん……」
「あれ? どうしたの? 具合が悪いなら家に帰って寝たほうがいいよ」
心配すると、うなっていた卓也が急に立ち上がった。
「わわ。どうしたのさっきから」
「よし分かった! 俺がその二人のことを解決してやる!」
「え? どうやって?」
「まあ俺に任せろって」
そう言うと卓也はなぜか意味深な笑みを浮かべた。