5.4 人助け その一
バレンタイン当日。
空は快晴、春めいた陽気だ。
鞄には水色の包装紙と黄色のリボンでラッピングした箱が一つ入っている。鞄の中で箱が揺れ、そのたびにクッキーがかさりと音をたてた。
涙がじんわりと溢れてくる。
私はそれを手の甲でぐいっとぬぐった。
「やだなあ……もう。あげたら迷惑だって分かってるのに」
ショッピングモールで立ち聞きしてしまった男の子たちの会話。あそこにいた彼がバレンタインが好きじゃないってことを知って――すごくすごくショックを受けていた。
確かにバレンタインが苦手な人がいても不思議じゃないし、手作りチョコを受け付けない人のことを非難することもできない。よくよく考えればみっちゃんだってそうだ。
分かってる。分かってるけど……バレンタインにこれを渡して告白するんだって決めていたせいで、心がいまだにくじけたままだ。
好きな人が嫌がることをするつもりはない。
ただ……。
「私に勇気がないだけ……なんだよね」
これを渡せば、気持ちが伝わるって思ってたから。たとえ緊張して告白できなくても、これさえ渡せば気持ちを伝えられるって思い込んでいたから……。
「全部私が勇気がないせいなんだよね……」
ため息をついていたらいつの間にか学校に着いていた。下駄箱で靴を履き替えていると、近くで女の子達が「チョコ持ってきた?」「もちろん」なんて楽し気に会話しているのが聞こえて、またため息が出た。
「はあ……」
「おはよう、立花さん」
「きゃっ!」
突然話しかけられて振り向くと菊池くんと山中くんがいた。
「ああもう、びっくりしたなあ」
ハロウィンパーティー以来、ほぼ毎日二人が話しかけてくるので、今ではけっこう気安く会話ができるようになっている。
「そんなに驚くか?」
「驚くよ!」
「悪かったって」
むくれた私の頭を菊池くんがぐしゃっとなでた。それを肩をすくめながら受け入れているのは「立花さんの頭の形が好きなんだ」と菊池くんが言っていたから。よく分からないけど、菊池くんにとって私の頭の形は希少価値があるらしい。ヘディングがしやすい頭とか、なのかな?
「何か悩み事でもあるのか?」
優しく問いかけてくれたのは山中くんだ。こんなふうに気にかけてくれる山中くんのことがここ最近はお母さんのように思えてきている……のは内緒だ。と、
「菊池先輩! チョコ受け取ってください!」
急に真横から一年生の女の子が割り込んできた。その手にはハート型のボックスがある。しかも真っ赤。ザ・本命。
これに菊池くんが困った顔になった。
「悪い。好きでもない女からはもらえない」
「……!」
ショックを受けた女の子が言葉なく去っていくのとすれ違いに、今度は別の女の子が「おはよ」と山中くんに紙袋を差し出してきた。ネクタイの色から同級生だと分かる。
「これ茜から。山中くんに渡してって頼まれたの」
茜って誰だろうと考えていたら、山中が首を横に振って「悪いが受け取れない」と言った。
「えー! 私の顔に免じて受け取ってよ」
「ごめん。無理」
「なにそれ」
女の子の顔がぷくっとむくれた。
「もしかして好きな人でもできたの?」
山中くんがなぜか私の顔を見た。そして私から視線をそらさずに「いる」と言った。震える声で。
これはもしや……私に助けを求めている?
嘘をついているけどフォローよろしくってこと?
目で問いかけるようにじっと見つめたら、山中くんの耳が赤く染まっていった。
なるほど、了解です!
「あ、あの」
勇気を出して女の子に声をかける。
「私、山中くんが好きな人、知ってます」
「え」
山中くん、それに菊池くんまでもが驚いた声をあげた。
「あれ? あなた三組の立花さん、だよね」
「は、はい」
そういうあなたは確か五組の後藤さん……だよね。よく顔を見ていたら思い出してきた。
「山中くんの好きな人って誰なの?」
「そ、それは……」
ちらりと山中くんを見る。
「私が勝手に言っていいものじゃないし……」
「ええー。いいじゃない。教えてよ」
後藤さんに何度もせっつかれ、つい言ってしまった。
「一緒に勉強するような仲のいい子がいて……好きになったって……」
「ええー!」
後藤さんが心底驚いたといった声をあげた。
「独りで勉強するのが好きな山中くんに、まさかそんな相手がいたなんて!」
あれ?
そうなの?
……嘘がばれた?
だけど後藤さんは私の下手な嘘で納得してくれた。
「じゃあしょうがないか。分かった、茜には私からうまく言っておくから!」
後藤さんはあっさりと引き下がり、私達から離れていった。
「あの……山中くん」
いまだ顔が赤らんだままの山中くんにおずおずと問いかける。
「ごめんね、私が余分なことを言っちゃって。……怒ってる?」
そこにさっき菊池くんにチョコをもらってもらえなかった一年生の女の子が戻ってきた。お友達らしき女の子に引っ張られて。
「菊池先輩、梨々子がかわいそうです。せめて受け取ってあげてください!」
「だからいらないと言ってるだろう」
なぜかさっきから険しい表情になっている菊池くんの頬がぴくりと動いた。
これはもしかして……菊池くんまで怒ってる?
おろおろとしだした私を無視して、一年生と菊池くんが激しい応酬を始めた。
「でも梨々子、頑張って作ったんですよ! 受け取ってくれるくらいいいじゃないですか!」
「そんなのお前達の勝手だろう! 俺に強要するな! 第一どうでもいい人間からもらった手作りなんて食べられるわけがないじゃないか!」
「ひ、ひどい……!」
あわわわわ。
どうしよう。
すごく怒ってる。
と、気がついた。
二人とも本心からバレンタインが嫌いで、それゆえに怒っているんだってことに。
この前ショッピングモールで立ち聞きしていなかったら絶対に理由は分からなかった。卓也が手作りじゃなきゃ絶対に嫌だっていうタイプだから、余計に。
というか、一年生も菊池くんが怒る理由がよく分からなくて、悲しいのを通り越して腹を立ているという感じがしてきた。
「あ、あの!」
こういう時は事情を知っている私がどうにかするしかない、よね。
「菊池くんは、その、春の試合で優勝するためにお菓子断ちしてるの。だからもらえないの!」
「……立花?」
菊池くんがきょとんとした顔になったから、そそっと近寄ってこそっと耳打ちする。
「ほら、菊池くん言ってたじゃない。優勝するために自分の全てを懸けるって」
ハロウィンパーティーの後に真顔で言われたのだ。春の県大会では優勝してみせる、そのために自分の全てを懸けて取り組むって。優勝したら全国大会だから、今度こそは応援に来てくれとも言われた。
「ほら、甘い誘惑にも負けないって言ってたじゃない」
「あ、ああ。確かに言った……かも」
話を聞いていた一年生達は「そっかあ」「じゃあ仕方ないか」「応援してます」と憑き物がとれたように落ち着いて去っていった。
「ところで……立花」
「なあに?」
三人そろって二年生の教室のある三階まで階段をあがっていると、完全に怒りのおさまった菊池くんがおずおずと問いかけてきた。
「山中が立花のことを好きだって分かってのか?」
「へ?」
こてんと首をかしげて「なんのこと?」と尋ね返したら、「やっぱいい忘れて」とそっぽを向かれた。その肩が小刻みに震えているのは――面白いことがあったからだろう。何か私、面白いこと言ったっけ?
「山中くん、今の話の意味分かる?」
隣の山中くんにも訊いてみたけれど、唇を震わせるだけで何にも言ってくれなかった。
「変なの。さっぱり意味が分からないんですけど」
「気にするなって。俺たち、そういう立花のことが好きなんだから」
それって……褒めてる?
それともけなしてる?
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