藤子・F・不二雄先生からの課題:S・F
『S・F』。
こいつはもう、めちゃくちゃに重要すぎるテーマです。
話し始めの案も、選択に難儀するぐらい。
案1、とりあえずダーッと、要点の開示。
『新時代の死体』『ジャンルと教科』『無意識の共感欲』『裏目に出る憧憬』『承認欲求をゴールにする者』……。
案2、
ジャンルを羅列して、自分の一番好きなジャンルを思い浮かべてもらう。
案3、
『いいから寄越せ!』。
シンプルに、志望者の『ザ・欲しいもの』を提供。
(これこれこういう壁とか挫折があったでしょ、をズバリ言い当てて、寄り添いながら、階段を共に一歩ずつ上るのは、生き馬の目を抜く今風じゃないから)
とりあえず手元に、『ドラえもんプラス』の『3巻』と『4巻』をご用意ください。
『作者のことば』の部分にさっと目を通しましょう。
ベストの並べ順がガチでわからないので、今思い出せる順に、一個ずつ勝手にやります。
相当ややこしいので、要約は最後にまとめます。
★『のび太には伝わらない問題』。
デール・カーネギーの話し方講座で、壇上に上がった際、この中で一番”のび太”な者を見つけて、彼に伝えられることができたら、全員に話が通る――みたいな”コツ”の開示があったと思います。
何度も言いますが、大衆というものは、出木杉100%じゃないんです。東大生しかいない教室では、受け手の”くみ取ってくれる力”がすごいので、”壇上でのトーク力”なんか必要ありません。
普通は”のび太””ジャイアン”が、聴衆の過半数を占めているから、自分のトーク力UPさせなきゃならなくなる理屈。
プラスの4巻で先生は、引用ですが『のび太は私自身』だと明言しておられます。
作家志望が全員、出木杉なら理解できた。
九乃月木化は全然、出木杉ではなかったので、理解するのに難儀した。
無意識の尊敬の話は後にする。
まあ、一番有名な格言ですよね。
SFは、すこし・ふしぎ。
既に現在プロである者が、自分の心に見つけられる、自作をSF認定してもらいたい欲求から、『すこし・ふしぎ』を語るのも後にします!
とにかく『SF=すこし・ふしぎ』をとりまく問題は、とにかくが続きますが口語です、多い。
いろんなところで言ってますと、プラスの3巻でもおっしゃられていますが、
とにかく今は、ドラえもんプラスの3巻の作者のことばを軸に話を展開します。
芸人さんが、テレビで喋っていた、断片的な記憶。
それはまあ、作家志望に向けての引用ではなかったと思いますが。
(藤子先生を湛えることが、その場でのゴールだったのか?)
まあ、まるまま引用できないことは察してください。
『ガチガチのSFじゃなくていい、すこし・ふしぎであればいい』。
この格言ですね。
これを『作家志望』の『執筆マニュアル』として活用する場面に着目しましょう。
まず、『あっ、すごすぎる純文学のSF小説や、スターウォーズを作れないからって、落ち込む必要はないんだ』『ほんのちょっと不思議であればいいなら、ぼくにだって作れるぞ』という、『前向きなあたたかみ』と、誰もが遭遇するでしょう。
置いておいて。
もっと具体性を増した段階というのも、志望者には訪れます。
『すこし・ふしぎであればいい』。こいつは肯定したままでいいでしょう。
だったら、一応把握しておこうじゃないかと、勇気を出す必要にも、迫られたりするわけです。ハッと気がついて、目をそらしていちゃいけないな、これは”逃げ”だな。じゃあとにかく今すぐに、超大作を制作できない自分のことはまるまま置いておいて、直視してやろうじゃないか、と。
じゃあ『すこし・ふしぎ』じゃないものってなんですか?
ゆるやかな時間の流れる、日常成分多めの、『すこし・ふしぎ』ばかりでも、飽きてくるのが人情です。
ピリッとシリアスな空気のはりつめた? 日常成分が希薄の?
ガチガチの?
――『ミステリ』になるんですね……これが。
SFという単語・ジャンルは一切忘れてもらって、『すこし・ふしぎ』の対極は、『探偵小説』『推理小説』『ミステリージャンルの物語』になるんです。
これが『のび太』な作家志望には、一発では解らない!
たとえば藤子・F・不二雄先生を、”天才”だと評したいあまり、のび太ではなく出木杉であるとまで、ぼんやりと思いたがっていたから……。
冷静に考えれば、出木杉とは、記憶・学力・学歴の上に、ルックスや運動神経までそなわった『天才』を評する単語であったわけです。
藤子・F・不二雄先生は、ご自分で『のび太』だとおっしゃっていられる。
のび太とは、漫画の世界の神という意味です。
のび太とは、漫画の天才、漫画で富を築くことのできる天才、という意味だった。
なんでもかんでも天才天才……と、雑に天才扱いしておくことも逆に不敬であった。
『天才』も、細分化が必要とされる単語のひとつであった。
あと先生は今その場所で、『すこし・ふしぎ』を、『SF』の中の狭い範囲だとおっしゃられていますが……。『すこし・ふしぎ』こそが、一番外側の枠だと、私は考えています。
ただし……『ミステリ』の。
『すこし・ふしぎ』という『広義のミステリー』――という巨大な枠の中に、『ガチガチのミステリ』という、協議の枠があるのです。
でもこう”ロジカル”してしまうと、ぼんやりと『藤子先生は出木杉系の天才でもあるよなあ』とホクホクできていた『純粋な受け手の頃の幸せ』……が、更にもうひとつ、傷つくわけです。
藤子作品は、SFというよりは、ミステリ側なんだよ、とかいう余計な知識は、脳味噌に刻みたくなかったから。
先生はSFという評価を欲したプロだったことに間違いはない。
だから、純粋なファンの心のままに生きれば、『違うよ』などという無粋な発言は、死んでもやらない。
…………。
……。
しかしここは、藤子先生よりも、作家志望全員を、優先する場所なので、
『ガチガチのミステリじゃなくていい、すこし・ふしぎでいい』
この格言を明確に明示する必要、いやさ”義務”さえ、私にはあるのです。
何度でも繰り返しましょう。
『ガチガチのミステリじゃなくていい、すこし・ふしぎでいい』。
『ガチガチのミステリじゃなくていい、すこし・ふしぎでいい』!
『ガチガチのミステリじゃなくていい、すこし・ふしぎでいい』!!
こいつを執筆の中心に据えてください。
『すこし・ふしぎ』というものが、全ての『面白いお話』の『核』になります。
そうなると遡って、何を研究する必要に迫られるか。
あなたには『一番好きな教科』というものがありました!
当然そこには”平等”があった!
世界史が60点でも、数学ⅠやらⅡやらが97点なら、英語100・化学57の奴とも”対等”で”公平”で”平等”だった!
総得点で評価してもらえた。みんな違ってみんなよかった。互いに個性を認め合えた。偏りはあっても別の短所や長所で帳尻が合って、大好きなあいつを妬まなくて済んだことに、あなたの心は安らいだ。
そして不運なことに、そいつをそのまま、創作の世界へ持ち込んでしまう……。
お料理で考えましょう。
舞台上の演劇は、幕の内弁当と一緒です。
建築で考えましょう。
SF、恋愛、ミステリ、歴史、日常、ホラー、伝記、エッセイ、悪役令嬢、異世界転移。
これらを全て、建築材料だと認識するのです。
建築をする際には、組み立てる順番があります。
『広義のミステリー』=『すこし・ふしぎ』が、木造住宅の『骨組』の部分になるのです。
鉄筋コンクリートの、鉄筋の部分に。
そうなると遡って、何を研究する必要に迫られるか!?
私もはじめは平等だと思っていました。
英語と数学が好きだったように、ギャグと日常を『好き』を根拠に『選択』して、専門家になればいいやと、学生気分が抜けていなかった。
お料理だった。建築だった。鉄骨がしっかりしていなければならないことは、最低限の基礎だった。その上、間取りや壁紙に、センスがなくても叩かれる。
ミステリー小説なんて、1冊も自室には無かった。
謎解きなんて、今でも、これっぽっちも楽しくない。
でも『すこし・ふしぎ』は、無意識ながらも、幼い頃から大好きだった。
『S・F』を作るためには、『ガチガチ』の方の勉強もどうやら大切らしい。
『ジャンル』が対等じゃなかったことに、ショックを受けます。
『自分の好きなジャンル』に、みんなも共感してほしいという、自己の内部の欲求が、邪魔になる。
『自分 (らしさ))』を、発揮すべき場所は、またいずれコラムします。
サンドイッチの具の部分ですね。
究極、『自分の本音』なんて、一切要らないんだけど、そこはもう病的に、誰もが必ず、入れてしまいたくなるものなので……。
『お店屋さん』で考える。カミナリのまなぶくんの実家みたいな。
『お客の好むもの』を取りそろえて、一旦話は完結する。
自分のしたいもの・欲しいものは、『得た利益・金銭』で、労働とは別の時間に入手・たしなむ。
をする。
が基本。
林修先生も言ってましたな。
自分で気づいたっていう風に。
とにかく、送り手モードに切り替えた際は、『共感欲』を徹底して管理してください。
機械的に切り離して、仕事とは別の時間に、『共感欲』のスイッチは入れましょう。
『ミステリー小説が作れなきゃ死ぬ』。
『黄金期の週刊少年ジャンプを、たったひとりで作れなきゃ死ぬ』。
という状況に、立たされているということを自覚してください。
全力で想像してください。
ただし、アウトプットできたものが、『ガチガチのミステリ』ではなかったとしても、不合格にはなりません。『すこし・ふしぎ』であればいいんです。
最後に『評価』との葛藤。
賞が欲しければ、東大を出てから筆を執りましょう。
それができないなら、吉本かジャニーズに入ってから、執筆をしましょう。
もうひとつの評価。
ああ、そうそう。
だから――、『ゴミクズカスなろう産ギャグラノベ作家』という肩書しか、手に入らなくていいと、今すぐに叫ぼう。そいつが勇気で覚悟です。
話はまたそれて長くなりますが、初めてジャンプで球磨川ちゃんを読んだとき、正直私は意味がわかりませんでした。だって京都出身で、はたちで作家デビューした先生は、エリート以外の何物でもないという認識しかなかったからです。
2パターンありますよね。
純文学コンプレックスのラノベ作家、旧タイプは、
『ギャグ呼ばわりはやめろ! オレの作品は高尚なんだ、推理小説なんだ!』
保身に走るタイプ。
『ええ、自分のはギャグなんで……w』
後者の発言。”のび太”な作家志望には毒だった。
つまり、ガチガチのミステリを勉強して、『広義のミステリ』=『すこし・ふしぎ』の枠内にはおさまるように作品を仕上げておきながら、『ヘヘッ、ギャグなんスわ(自虐やりまーす)』をやられると、『ギャグなら俺にもできそう!』という気持ちになるから、アンダードッグ効果で『自称ギャグラノベ作家』を好きにもなってしまうし……。
うまくまとまりませんが。
のび太な作家志望を思い遣る=のび太な作家志望からも非難されない。
ためには、
『ギャグです』発言もいけないという……、
とにかくやめましょう。
のび太に覚醒された時、後からたとえばこんな風に反撃を受けます。
『広義のミステリ』=『すこし・ふしぎ』の枠内にはおさまるように、作品は仕上げなきゃならない。
結論。
出力できたものが『S・F』の枠内に入っていればいい。
ただし、ガチガチのミステリは、全力で研究しなければならない。
そうなると『ミステリ』あるいは『SF』という評価を欲してしまうのが人情だが、読者には作家志望もいるので、安直なギャグです自虐すら、安易に選択すべきではない。
結果、ガチガチのミステリを全力で研究したって『骨組』の部分しか作れるようにはならないのに(当然、一戸の家を完成させるのにさえ、恋愛から異世界転移まで、全てのジャンルを、全力で勉強する必要にせまられる)、『ゴミクズカスなろう産ギャグラノベ作家』という肩書しか、手に入らない。
これが嫌だとは、言わないようになっていただきたいのです。
収入が手に入って、飯が食えたら、それでいいじゃないですか。
SNS上で失言しないでください。
永遠に炎上しないでください。
作中でキャラクターに喋らせればいいじゃないですか。
三谷幸喜監督の、『笑の大学(映画版)』を視聴しましょう。
役所広司さん、稲垣吾郎さんW主演です。
お国のためにという表現を、否定された時の機転がまさに『笑』ですね。
小気味いい。
過激を規制されて文句言う、オジサン芸人は理解できません。
みんな同じ条件なんだから、別にいいじゃないですか。
コンプラコンプラ騒がれたって。
相手側の意見を、全部飲み込みましょう。
『はいはい全部わかりましたー』って返事した方が、相手は『ぐぬぬ』となるんですよ。
法の穴をすり抜けて『全部聞き入れたけど文句あんのかコラ』を繰り返す。
また重箱の隅をつついてくるわけですが、即座に『わかりました』と受け入れて、また抜け穴を探す。『さっき言われたことは確実に聞き入れてることは間違いないよね?』を繰り返す。
それが傍観者のための『娯楽』になる。
創作の時も、自分で自作に『野党』をやるじゃないですか?
こういうところの脇があまいぞ、このポイントとかガバガバやんけと、自分を追い詰めるほど、『機知』を働かせるべき袋小路に追い込まれます。そこが、アイディアが海面から、トビウオへ進化する瞬間なのです。
自作を厳しく批判する。語り部や主人公が、どうしようもない窮地へ追いやられる。
『どうやって切り抜けるのだろう?』という『S・F』は、主役を甘やかす作家には作れない。
私には承認欲求やら嫉妬心やらがありません。
一生旅行なんか行けなくていいし、一生人間と会えなくてもいいし、なんなら刑務所の独房みたいな、鉄格子付きのトイレ付きの個室で、今すぐにでも暮らしたいのです。
ですからその辺はちょっと、ズルい! のかもしれませんが……。
また加筆するかもしれません。
『広義のミステリー』=『S・F=すこし・ふしぎ』の話は、今後もずっと続きます。膨らみます。