白男
フロアは学生たちでいっぱいだった。賑やかにしている彼らはみなこのスクールの講師たちで、私の部下だった。台所では、事務員が忙しく働いていた。流しを見ると、誰が食べたのかわからないが、食器がいくつか重ねられていた。
「私が朝から何も食べていないというのに、どうしてこう言う事になっているんだ」
私は、テーブルの誰も座っていない椅子を見つけては蹴り出すという行為で腹立ちを抑えようとしていた。やがて、学生たちはみな去ってしまった。
「学生たちに怒ってもしょうがないよ」と、ひとりだけ残っていた無能そうな中年の男性講師が言った。
「学生たちには全く怒っていないよ」事実そうだった。
「じゃあ何に怒っているんだい」
「椅子にだよ」とりあえす、そう答えておいたが、これは事実ではないような気がした。
時間割表を見ると、今日来る生徒は二人だけだった。一人はその中年講師の担当で、もうひとりは初めて来る生徒で、私が担当することになっていた。私はその生徒の詳細が知りたかったので、シートを探したが、見つからなかった。事務員や中年講師にも聞いたが「知らない」という。家に忘れてきたんだろうか、どうしようかと思っていて、気がついた。
「そうだ、問い合わせノートがあるはずだ」けれどなかなか見つからない。事務員に聞くと「そもそも問い合わせノートって何?」などと聞く。「問い合わせがあったときに、聞き取ったことを書くノートがあるだろう」と私が苛立っていうが、きょとんとしている。
壁際の簡易の机の中を引っかき回すがそれらしきものは出てこない。となりの隅の席も見てみようとしたら、そこに事務員の姉がハンドバックをおいていたので、どいてくれといってその上に座るようにして探したけれど、ここにも見つからない。それに、覚えのあるものが何一つ出てこないのだ。
上のフロアに上がると、そこは整然としたオフィスで、若い社員たちがゆったりと働いている。そこにも、私に割り当てられたデスクがあった。私は自分の席について、机の上に整然と置かれたものを見る。タブレットはまだしも見覚えのあるものだった。その下のノートパソコンと同じくらいの大きさの箱を開くと、積み木のようなおもちゃのようなものが何個も入っていたが、私はそれが何なのかわからなかった。
「これは何だ」ときくと「キュイじゃないですか」と近くの青年が答えた。「キュイってなんだ?」ときくと、呆然とした顔をされた。「だって、それがないと仕事にならないじゃないですか」「なんのために使うものなんだ」「コミュニケーションツールですよ」「電話とかメールとかの代わりか」「まあ、そういったものですよ。厳密に言うと違いますけれど、って、先輩、昨日まで使いこなしていたじゃないですか」
そこへ、上司と思える男がやってくる。顔に見覚えはあるのだけれど、名前が出てこない。
「どうやら私はここ何年かの記憶を失ってしまったみたいです」
「どうやらそうみたいですね」
「休職したいんですが、手続きはどうしたらいいでしょうか」
「いやそれは困ります。このまま自然に働いていてください」
「だって、どうやって働いたらいいかわからないんですよ」
「それなら働かなくても構いません。でも、教わればきっとできるようになりますよ」
下に戻ると生徒たちがたくさん集まっていた。「学生たちはいつ帰ってくるんだ」「しばらく来ませんよ。きょうから旅行に行くと言っていましたから」