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増えて行くクエスチョンマーク

 前回の狩りから七日後、霧雨が始まった。

 皆が舌打ちする瞬間だ。

 あらゆるものの視界を陰気さが蝕んでいく。歪ませていく。ある筈の光も。心すら。

 世界は紙になる。

 湿気ってクシャクシャになる。その紙には絵が描かれているというのに。

 そして霧雨が止み、乾く度、滲んでデコボコするのだろう。


 *


 丁度霧雨が始まった頃、フラッシュはスクーターの後ろにコールドを乗せて、街の『端っこ』の方へ出かけていた。

 フラッシュ達の住んでいる地帯はどこも似たり寄ったりのオンボロのドロドロだったが、そこはちょっとだけ綺麗な区域だ。コンクリート打ちっぱなしか綺麗なペンキが塗ってあるか位の差だったが、ペンキの色が肝心だ。フラッシュは薄紫とピンクの縞々のビルが好きだが、コールドは真っ黒に、赤い縁取りのビルが好きなんだそうだ。

 そこにはコッソリと可愛い女の子達がいる。

 彼女達に仲良くしてもらう為には代金がいるけれど、払えばそれはそれは仲良くしてくれるので、全然惜しくない。

 今日は前々から目をつけていたあのにしよう、などと思ってフラッシュはご機嫌だった。

 なので、彼は始まった霧雨に「クソッ」と吐き捨てた。

 霧雨は湧き立つ様に辺り一面を霞がからせ、一気に空気を重くしていく。

 フラッシュの髪が早くも湿り出し、彼は思い切り不快な気分になった。文字通り水を差されたのだ。

 近付いて来た『端っこ』の店々が放つ艶めかしい電光掲示板が、霧雨に霞み、滲んで消えて行ってしまわないかなんて、心配になる。


「あー、降り出したね」


 コールドがボソッと言って、フラッシュは唸った。

 視界が悪くなって、フラッシュはスクーターのライトを点ける。

 光が乱反射の輝きを伴って真っ直ぐ先を照らした。しかし、もやの奥まで光れど直ぐ先位しか見えない。

 それでもスピードを落とさないフラッシュに、コールドが注意した。


「滑ってコケないでよ。スピード出し過ぎ」

「べちょべちょで行くなんてカッコ悪ぃだろー」

「延長の理由にならない? 服が濡れてるってさー」


 コールドの呑気な言葉に、フラッシュは声を荒げる。


「顔が良くないと延長は有料なんだよ!」

「顔じゃないかも……まぁ良いか」

「お前今日は延長するなよ!」


 フラッシュがコールドに念を押した。コールドは全然興味無さそうに付いて来る癖に、彼を気に入った女の子の足止めを甘んじて受け、フラッシュをいつも外でポツンと待たすのだ。

 いつもだっていい気分じゃないのに、霧雨の中待たされるなんて、冗談じゃない。


「僕じゃ無くて向こうが勝手にするんだよ」


 シレッとコールドが言った。

 だったら断ってサッサと店から出てくればいいものを、羨ましい。

 フラッシュは纏わりつく霧雨を少しでも避けられないかと上半身を低くしてアクセルを回した。

 美形のコールドなら濡れてもそれが麗しい利点になるが、自分はそうはいかない。何となく不潔な感じになるだけだ。何となく不潔な感じのフラッシュに、女の子達はきっと心の中で渋面を作るに違いない。

 蛍光色の光を朧に放つ店先に到着する頃には、結局濡れネズミの様になって、フラッシュはスクーターを引き歩きながらぼやいた。


「せっかくミミックにシャワー借りて綺麗にして来たのに!」

「料金は変わらないよ」

「笑ってくれない」

「そんなの必要?」


 フラッシュは、冷めているコールドに眉をしかめるだけにした。

『コールドと俺は、なんか違う』のだ。

 たまに「お前さぁ!」なんて噛み付きたくなる事もあるけれど……そんな事をしたところで、コールドはコールドだ。フラッシュがフラッシュなように。


 ―――ドラゴンを狩る。女の子と遊ぶ。目的はいつも一緒だからイイヤ。


 *


 フラッシュのお目当てのは、生憎先客に取られていた。

 コールドはサッサと女の子を至極適当に決めて、暗がりの中へ消えてしまった。

 横一列に並べられた椅子に座る女の子達が、『早く決めなさいよ』とばかりにフラッシュを眺めている。本来ならフラッシュと仲良くする年齢の女の子達だが、生憎彼女達は子供が嫌いだ。煩いし、乱暴(ちからまかせ)だし、たまに『教えて』あげなきゃいけないし、第一、大抵金が無い(つづかない)から。

 だから彼女達はフラッシュなんかに媚びを売ってくれない。

 中々気まずくて、フラッシュは焦る。

 まごまごして『慣れてない』と思われるのは厭だし、物色する為ジロジロ見て『スケベ』と思われるのも、ここに何をしに来たかを棚上げた上で、なんか厭だ。

 コールドはスマートでカッコ良かった。選ばない(・・・・)なんて!

 結局、自分と同じ黒髪の女の子を選んで指差し、指名した。

 黒髪ショートカットの、細身で可愛い女の子だ。

 その娘は『しかたないなぁ』といった笑顔をフラッシュに向けると、足を突き出しヒョイ、と椅子から飛び降り、スタスタと真っ直ぐフラッシュに近づいて来た。

 フラッシュはせいぜいお客の尊厳を保った顔をして、彼女が近づいて来るのを見守った。


「行こ」


 腕に細い腕を絡め、女の子が案外優しく微笑んでくれた事に内心ホッとして、フラッシュは頷いた。スキップしたくなるのは、ちゃんと我慢した。


 *


 予定より早く用事が終わったけれど、女の子はサッサと服を着たりせずにフラッシュに体温を分けてくれていた。

 フラッシュは彼女のすべすべした背中に頬をくっつけながら、部屋の小さな窓から見える霧雨を眺めていた。


「仕事してんの?」


 退屈だったのか、今後へのさぐりなのか、女の子がポツリとフラッシュに聞いた。


「うん。ドラゴンスレイヤーだ」

「ほんとにぃ?」


 女の子がフラッシュに向き直った。

 フラッシュは彼女の胸に顔を寄せて「おお」と誇らしげに答えた。

 柔らかい手が、彼の髪を撫でた。


「じゃあ、この霧雨はあんたにとって、嬉しいワケだ」

「う~ん。まぁ、そうなるかな。今日は厭だったけど」

「どうして霧雨の後なんだろうね?」

「知らねぇ」

「ね、ね。ドラゴンってどんななの? あんた怖く無いの?」


 一連の質問に、フラッシュは欠伸をする。

 ドラゴンスレイヤーを名乗ると、大概皆同じ質問をするので、飽きているのだ。

 霧雨の後どうしてドラゴンのヤツが現れるのかなんて知らないし、ドラゴンを怖がっていたらドラゴンスレイヤーなんて出来ない。そりゃあ、ジープから降りてコンニチワすりゃビビるかも知れないけれど……。


「ドラゴンはデカい。すごぉぉく、デカい」

「ふぅん」


 適当な返事に、女の子も適当に相槌を打った。彼女も本気で興味なんて無いのだ。

『早く時間が来ないかな』なんて思っているに違いない。

 けれど、彼女は案外フラッシュを気に入ったのかも知れない。

 お愛想以外の会話を持ち出して来たのだ。


「最近ね、私達の仲間が霧雨の度に消えるんだ」

「女の子がドラゴンに変身ってか」

「全然面白く無い。背の高い男について行くのを見たって子がいたみたい」

「身請けって事?」


 フラッシュは首を傾げる。

 女の子を身請けするする程、金を持て余している奴は彼らの街にはいない。だとしたら、内壁の向こうの奴等か。アイツ等も女の子好きなんだな。やっぱお忍びで来るのかな。

 フラッシュはそんな事をボンヤリ考えたが、女の子は首を振る。

 そろそろ終わりの時間なので、フラッシュから身体を離して服を着出してしまった。


「なら良いけどね。店から無断でフッと姿を消すから、身受けじゃない。どうも仕事中に窓から出て行っちゃうみたい。だからウチは一階を使わなくなったの」

「へぇ……誘拐じゃんか」


 女の子のキビキビした身支度に、若干寂しさを感じながら、フラッシュも身支度に掛かった。


「死体とか、見つからないし……」

「ブッソー」

「だって、そうじゃない? 私たちなんかさらって、いたぶって放り投げる以外に目的ある?」


 無い。

 無いけど、フラッシュは言葉を飲み込んだ。


「……駆け落ちとか」

「霧雨の度に? 流行ってんだ」

「俺らもする? 霧雨降ってるし!」


 女の子が、クシャッと笑った。素の笑顔を見れた気がして、フラッシュは嬉しかった。

 けれど、現実は辛辣だ。すぐさま『仕事』の顔で、営業をかけられた。


「それより、また私をとってよ」



 *


 店から出ると、やっぱりコールドはいなかった。


「あんにゃろ……」


 店の僅かな軒下に、壁にへばりつくようにして座り込む。

 霧雨は垂直に落ちないから、結局フラッシュ全体を湿らせていった。

 どうしようもないので、フラッシュはボンヤリと雨を眺める。

 眺めていると、霧はあっちへ行ったりこっちへ行ったり、ゆらゆら揺れながら地面へ落ちて行く。たまに、風に巻き上がったりと忙しい。

 霧雨は草みたいに青くて仄かに甘い匂いがする。

 上から降って来るのに、匂いが立ち上がるのは地ベタからだ。

 かと言って、普段地ベタからそんな匂いはしないので、フラッシュは不思議でしょうがない。

 フラッシュは手をブンブン振って、霧雨で微かに濡れた手をクンクン嗅いだ後、呟いた。


「やっぱ匂いしねぇな……」

「何してるの?」


 フイにコールドの声がして、フラッシュは少し驚いた。

 しゃがみ込んだフラッシュを見下ろすコールドは、不思議そうな顔をしている。


「早かったじゃん」

「延長するなって言ったの誰」

「へへへ、俺。な、な、コールド、ちょっと嗅いでみて」


 何故か嬉しい様な、照れくさい様な気がして、それを誤魔化す為にフラッシュは手のひらをコールドに突き出した。

 コールドはあからさまに厭そうな顔をする。


「お前の手なんか厭だ」


 鼻の頭に皺を寄せて、コールドが突き出されたフラッシュの手を拒否した。


「なんかさぁ、匂いするよな」

「僕?」

「雨」

「ああ……」

「なんでだろうな?」


 コールドは肩を竦めて、


「色んな人が、きっとそう思ってるだろうね」


 どうして霧雨の後、ドラゴンが現れるの?

 ドラゴンは、怖く無いの?

 この良い匂いはどこから?

 俺達のこの生活は一体、どうして……。


「『なんで?』が多い世の中だな」

「早く帰ろう」


 素っ気なく促されて、フラッシュは頷いた。考えたって、仕方がないし、余裕も無い。

 ふと、何かに引かれる様にフラッシュは少し遠くへ視線を移した。すると、霧雨の中霞むけばけばしいビルとビルの間に人影が動くのが見えた。


「あ……?」


 人影は二つ。

 背の高い男と思われるのと、小柄で、薄着の女の子。グレーや黒で、霞んで良く見えない。

 フラッシュは考えるより先に、パッと立ち上がって駆け出した。

 しかし、ビルとビルの隙間に駆け込むと既に影は消えていた。

 息を上気させながら、フラッシュは立ち竦む。

 見間違いだったかも知れない。

 そう思っていると、霧雨が一層濃くなって来た。


「どうしたの?」


 スクーターを引きながら、コールドがフラッシュの傍へ来た。


「……いや……」

「帰ろう」

「ああ……」


 瞼に水滴が滴り出したので、瞬きをしてそれを払う。ゆらゆらと濃い霧が、ビルの間を彷徨っていた。


 *


 霧雨はその日から五日続いた。短い方だった。

 フラッシュは晴れ間と共に、再び『端っこ』へ出向いた。

 彼女とのあって無い様な約束がちょっとだけ気になったのと、それとは別に、何となく、何かが気になって。


 黒髪ショートカットの女の子はその店から消えていた。

 義理立てじゃないけれど、他の女の子を選ぶ気にその日はなれなくて、フラッシュは店を後にした。

 だから、どうして女の子がいなくなったのかは誰にも聞いていない。


 ―――あの人影を見たビルとビルの隙間はどれだっけ?


 フラッシュは唇を噛む。

 あのは背が高かった。だから、あの時見た小さい人影じゃない。

 でも。

 五日あった。


 ―――名前も知らないや。


 スクーターに跨って、そんな事を思った。

 フラッシュの中で、『なんで?』が一つ増えた。『なんで?』には、女の子の笑い声がこびりついて、小さく響いている。


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