〈Anne〉と、リスパァン博士
整備された道をトロトロ進み、少しだけ街並みから外れると、小さなコンクリートのドームがある。
裕福層地域で異質な空気を放っているそのドームは、だからこそ、街並みから外れた所に建っているのだろう。『この先立ち入り禁止』の立て札が、辺りに幾つか建てられていて、物々しい。
入り口はトンネルになっていて、入って行くと斜めに下降し地下に続いていた。
細い道を挟む壁にオレンジ色の電光が、等間隔に張り付けられて道標の様に先の方へ続いている。
辛気臭い道標を辿って、一行はトロトロ走った。
ふわぁ、と、助手席に座るドロレスが欠伸をした。
「ここ、薄暗いから眠くなっちゃうのよね」
「ドロレスはもうやる事無いんだし、寝てて良いよ」
「うん……キーを、無くすんじゃないわよ……」
ドロレスはうとうととコールドに念を押しながら、シートを倒して目を閉じる。
「わかってるよ」
返事をするのと同じくらいに寝息を立て始めたドロレスをチラリと見て、コールドは息を吐いた。
「おつかれさん」
前方に、赤く光る『停まれ』の電光掲示マークが見えて来た。
その向こうで、ダウンライトに照らされているコンクリートの壁が見える。
壁には中央に真っ直ぐな青い光の切れ目があり、一行が近づくにつれて徐々に切れ目の幅を広げていった。
両開きにスライドする扉の間へ、フラッシュ達が入って行くのに続く。
空気がひんやりとして来たので、コールドは開けていたサイドウィンドウを閉めた。
ドロレスの大型トラックが三十台くらいは余裕で入りそうな、だだっ広い空間が彼らを迎え入れる。
鉄臭さと冷気と、青い光で満たされたその空間は、縦にも広い。
恐らく鉄板、の壁には素っ気ない螺旋階段が一つと、錆びた梯子が幾つもへばりつき、柵に覆われた上階の回廊へ続いている。
回廊の足場は薄っぺらい金属なのだろう、誰かが歩くとガンガンバンバン鳴って、場を直接的な音と反響で満たすイヤな造りだ。
場自体の床は、なんだか判らないけれどやたらツルツルしていて、車のハンドルをちょっと傾げたりするだけでキュルキュル耳障りな音を立てた。
〈売り場〉へ、とうとう到着だ。
ボロい変な乗り物から、フラッシュが停車を待たずに飛び降りて伸びをしている。
コールドもその横にトラックを停車させ、ドロレスに言われた通り、ちゃんとトラックのキーをズボンのポケットに突っ込んだ。
ドロレスは唇を少しだけ開けて目を閉じている。
薄暗い青い明かりのせいで何もかもが青く見えるので、確率の高い未来を見てしまった気になって、コールドは思わずドロレスの頬に触れた。
当たり前に温かかった。
―――色と温度、どちらが嘘なのだろう。
色彩感覚を奪われながら目を細め、コールドは上着を脱ぐと眠るドロレスの小さな身体に被せてやった。
*
<売り場>にいる作業員達に手伝ってもらいながらドラゴンの切り身をトラックから運び出し、指示された大きな針金のネットの上に並べ終える頃、コールド達が入って来た扉とは別の小さな扉から、車いすに乗った小柄な老人が長身の男と共に現れた。
元々小柄が老いて更に萎んだのだろう。骨と皮しかない。
しかし、禿げ上がった頭は身体とアンバランスな程大きかった。
瞼が被さっているにも拘わらず、目が異様に印象的に見えるのは、何かを容赦無く貪る様な眼光のせいだ。何も見逃すまいとするかの様に終始ギョロギョロと動いている。
それから、青いライトに染まっているから本当の所は判らないけれど、だぼついた白衣を着ている。
そんな風変わりな老人の横に忠犬の様に付き従っている長身の男は、濃い色味(例によって何色かは不明)のスーツを着て澄ましている。手に持っているアルミ製のトランクが、青く光っていた。
「お疲れ様!! わぁ! 大きいね。大きいね!」
老人はキュッキュッと音を立てながら、車いすを操り一行の元へ寄って来ると、見た目からは信じられない程快活な口調でそう言ってドラゴンの周りを一周した。
彼に付き添っていた長身の男はそれについてまわる事無く、こちらへ礼儀正しく頭を下げて手に持っていたトランクをゴンと床に置き、開いた。
中には百枚単位で封紙された紙幣がビッシリ詰め込まれ並んでいる。
老人は、どう言えば良いのか……ウットリ、そう、ウットリしてドラゴンの切り身を暫し眺めてから首を傾げた。
「……ふぅん、アレ? ねぇ、大砲、新調したんだよね? 型落ちを買ったの?」
「いえ、リスパァン博士。一応、手の届く新型を……」
ミミックが答えると、老人は疑わし気に彼の顔を下から覗き込んだ。
小さな子供の様に首を傾げ、爛々とした目で覗き込む仕草にユーモラスと不気味さを感じつつ、コールドは大砲の請求書を何処にやってしまったかな、と、少しだけ焦る。
「ウッソー。だって、直撃場所のダメージが少ないよ! 鱗がこれだけしか焦げてない!
折角援助と口利きしてあげたのに、型落ち買ってピンハネしたんでしょ?」
「んだよ、ジジイ。お前こそタカる気じゃねぇだろうな?」
「君らみたいなのにタカる程困って無いよーだ!」
老人はベー、と、フラッシュに舌を出し「ふむ」と顎に手を当てた。
「やっぱり、ドラゴン自体も進化しているのかも」
「進化?」
「うん。だって、おかしいもの。昔はもっとショボイのでも殺れたんだ。左核に〈Anne〉ちゃんが届きさえすればね! でも、旧時代の残り物の威力が効かなくなっちゃってる。……だからこの前失敗したでしょ?」
老人はそう言って、唇を尖らせたフラッシュを見た。
彼らはほんの数週間前、目の前でバラバラになっているドラゴンを撃ちそびれていた。
ちゃんと砲弾は当たったのだ。ちゃんと、弱点となる左側の核に。それが心臓なのかなんなのかは、コールド達には判らないけれど、そこはまぁ、自分たちの関わる分野じゃないと思っている。
少しだ。少し、鱗が剥がれるなり振動するなりして皮への隙間が出来て、更に皮にほんの数ミリ傷が付けば、老人の言う〈Anne〉という成分がドラゴンの体内に勝手に撃ち込まれる。
〈Anne〉が左側の核へ浸透すれば、ドラゴンの身体は麻酔を撃たれた様に――現に〈Anne〉は麻酔だ。ドラゴン用の――動かなくなる。だから、ハンター達はドラゴンの左側を狙うのだ。
そうしてハンター達はドラゴンが痺れている間に、ゆっくりドラゴンを解体してしまうのだ。
今回の狩りは、今度こそ、という意気込みでランド達に助っ人を頼んで挑んだのだった。
キマリが悪そうにするフラッシュに、老人は車いすで近寄って、彼の腕をツンツンと突いた。
「あれは君の腕のせいじゃないよ。いつものドラゴンじゃなくて〈Anne〉ちゃんが届かなかっただけだ。砲弾の威力が足りなくてね! だからボク、君たちに助言と援助をしたんだ」
その時の会話に、『ドラゴン進化説』は含まれていなかったじゃないか。と、コールドは顔をしかめて老人を睨む。あくまでも、目立たない様にさり気なく、だ。
しかし、長身のスーツ男にしっかり見られてしまった様だった。
男が「なにか言いたい事でも?」と言う様に目を細めたが、コールドもポーカーフェイスは得意だ。気付かないフリをしてソッポを向いてやり過ごした。
「え……っと……? ありがとう? ございます……?」
『なんか引っ掛かるけどコイツ実は良い奴?』と言う顔をしてフラッシュがお礼を言ってしまった事に、コールドは情けなくなる。
ミミックは苦笑して、
「まぁ、お蔭で助かりましたよ。仕留める事が出来たし……」
「うん。ボクの言う事聞いて良かったね! 『新しいのはまだ良いや』って言ったグループがいてね。ソイツ等は死んじゃったよ」
「……」
「後で仲間の照会すると良い……仲良しじゃないと良いね」
お金を持って、行きなさい。
老人が、初めて老人らしく彼らに言った。
ミミックは黙って頷き、フラッシュが長身のスーツ男のトランクに屈みこんで中の札束を自分の持って来た大袋に雑に詰め始めた。
「コールドくん!」
やる事の無いコールドがトラックに戻ろうとすると、背中に老人の声が掛かった。
「血を少し持って行きなよ。 ……ご褒美だ」
老人は言いながらキュルキュルと血の入った容器の傍まで行って、コールドに手招きした。
「……ウス」
コールドはちょっと頭を下げて、血のたっぷり入った容器に寄った。
ありがたい。
ドラゴンの血は、ほんの少しで半日燃える。
煙は少し臭いし、今時ランプなんてと笑うなかれ。夜に電気を使わなくて良いのはちょっとした生活費の節約になる。
―――この爺さん、親切なのかなんなのか……。
コールドはいつもそう思い、結局いつも、考えるのを止める。
突き詰めると、ゾッとする様な答えを出してしまいそうで。
「良いねぇ、コールド。お前は良い男だなぁ。ボク、君がとっても好きだよ」
血の容器を抱えて運び出すコールドの顔を覗き込んで、老人がそんな事を言うので、ギョッとして彼を見ると、にぃ、と歯を剥き出して笑った。
「見た目だけだけどね」
老人の剝き出した歯は全て、青色に光っていた。
ゾッとし所がありすぎて、コールドはやっぱり黙ってちょっとだけ頭を下げた。
視界の隅で、老人が小さく手を振っている。
早足でトラックに戻るコールドの背中を、早口の囁きが舐めた。
「左の栄光を、ドラゴンスレイヤーに」
〈Anne〉はリスパァン博士(変なおじいさん)がAnesthesia needles(麻酔針)を好きな塩梅で略した呼び名です。
現状『?』が多いと思いますが、徐々に書いて行きますのでお付き合いください。
●お詫び●ランド達がいませんが、裕福層の門でいったん分かれています。
書くの忘れたので後で改稿時に入れます。