マジックボックス
一旦帰ってリスパァン博士に報告をしよう、こういうのは博士が適任だ、と言うミミックに、フラッシュは反対した。
落ちて来た女の子が気になって仕方なかったのだ。―――たとえ、こりゃもう駄目だ、と判っていてもだ。
フラッシュは、ジープのキーを回したコールドの肩を掴んでアクセルを踏むのを制止した。
「ちょっと待てよ。あのさ……ちょっと待って」
「なに」
コールドがあからさまに厭そうな顔でフラッシュに振り返った。彼は無遠慮に触れられるのがとても嫌いなのだ。それを何度か伝えられているのに、フラッシュは毎回スッカリ忘れてしまう。
「様子見ようぜ?」
「俺たちには何も出来ねぇだろ。コールド、早くジープを出してくれ」
ミミックがコールドを促した。少ない砲弾を二発も無駄にしてしまった為、万全では無い状態で新たなドラゴンに出くわしたくないのだ。謎の少女が放った銃弾が掠めた肩を、手で押さえているのも、早く帰りたい理由だろう。
「痛むの?」
「掠っただけだ」
「良かった。……あのサ、アレの下敷きになっちゃったドラゴン、欠片くらいは残ってねぇかな。金になんねぇかな?」
「……残ってるか怪しいな」
燃え上がっている一帯を眺めながら、ミミックが素っ気なく答えた。
それでも、彼の視線を帰路からそちらへ向ける事が出来た。だからフラッシュは頑張る。
「落ちて来たデッカイのもさ、燃えカスでも持って帰りゃ、あのジジイ飛び上がって喜びそうじゃね? アイツ、ワケ解んねぇモン好きだろ? 手ぶらで報告してからじゃ、別の人員出されて横取りされるかも」
フラッシュはそれがイヤなのだ。なんとなく、誰か別の者にこの件を任せる羽目になるのが。まずは自分が見たい。彼女がどうなったか。たとえ、跡形も無くても。
「リスパァン博士か。まぁ、なぁ……」
実際に車いすの上で尻から飛び上がって狂喜しそうだ。なんだかそれはそれで面白く無い図だったので、三人は渋面を作った。
風向きが変わって、炎からもうもうと立ち上がる煙が流れて来た。黒い煙はフラッシュ達を包み、彼らは咽て位置を変える。ジープを発車させたコールドが、その場から離れる様子を見せなかったのでフラッシュはホッとした。
ホッとしながらも、吸い込んでしまった煙から甘い匂いを感じた。あの、霧雨の時に地面から立ち上る匂いに似ていて、フラッシュは咽せつつも鼻の奥に意識を向けた。仄かに感じ取った匂いは直ぐに無くなって、ただただ煙たくなっただけだった。
煙から逃れた位置に移動するとコールドが再びジープを停車させ、ふと思い付いた様に呟いた。
「残ってるもの全部運べとか言い出しそうだね。ドロレスに仕事をやれる」
「お、おう。そうよ、今回手ぶらだったらアイツは食いっぱぐれる」
思ってもみない角度からの味方に、フラッシュは慌ててウンウン頷いた。
―――そうだ、ドロレス。このまま帰ったらどう責められる事やら。どうせ、俺の腕が悪いってネチネチ言うに違いない。コールド、俺の為に……コイツホント良いヤツ。
フラッシュとコールドが揃ってミミックを見た。
ミミックは目を細めて二人を見やり、「しょうがねぇな」と言った。
フラッシュは指をパチンと鳴らした。
「しかし、いつまでかかるんだコレ」
「どう見ても乗り物だったから燃料が燃えてるんじゃない? 暫く無理でしょ」
「近づいて見て見ようぜ!」
「イヤだ」
「嫌だ」
即座にミミックとコールドが声を揃えた。
「じゃあ、オレだけ行って来る」
「止めとけ」
「危ないよ」
「だって女の子がいたんだぞ!」
「死んでるってば」
解んないの? という顔で、コールドが低く言った。
フラッシュだってその位解る。だけど、あの娘がどうなったのか確かめたい。
形が残っているなら、それを見たい。本当にあの娘と自分が一瞬でも目を合わせたんだという証拠が欲しい。跡形も無くなっているのだとしたら、あの娘の瞳の輝きを明日にでも忘れてしまえるだろう。きっと。
*
火が納まったのは日暮れ近くになってからだった。
随分早い、とコールドが訝しんで、それから小一時間オアズケを喰らった。
フラッシュが痺れを切らし始めた頃、諦めた様に「行ってくれば?」とコールドが突き放す様に言った。『もう煩い。あっち言って』と、言わないだけ優しい方だとフラッシュは思った。
ミミックも、「まだ熱いぞ」と、忠告して来たがあえて止めなかった。どうせまだ手も付けられやしないとミミックは踏んでいた。
漸くミミックとコールドからお許しが出て、フラッシュは未だ煙を上げ続けている現場に駆け寄った。
辺りは熱せられた金属片が散乱していた。その中心に、落ちて来た大きな(多分)乗り物が所々焦げてひしゃげている。落ちた衝撃からか、何かが燃えて内部から起こった爆発からか、フラッシュには定かでは無いが、塊の片側の端の天井に大穴が開いていた。そこから、煙がしつこく、細々と上がっていた。
焦げてひしゃげた惨めな塊の下から、ドラゴンが頭だけはみ出していた。
驚いた事に、ドラゴンにはまだ息があった。目玉が燃えてしまったのか、空洞になっているのが痛々しい。息も絶え絶えと言った様子で小さく唸っている。
乗っかっている塊のせいで身動きが出来ないのは確かだったので、フラッシュは横目でドラゴンを気にしつつ天井の穴目がけて塊によじ登った。熱を持った塊はとてつもなく熱かったが、いつもはめているグローブが役に立った。ブーツのゴム底から厭な匂いがしたが、買い替え時だったので気にしなかった。
四苦八苦してよじ登り、フラッシュは煙に涙を滲ませながら穴を覗き込む。
焦げて真っ黒な中に、小さな炎が点在していた。その小さな炎に照らされて、目を引く箱が見えた。
箱はかなり大きめのスーツケースの様なナリをして、傷一つ無い様子で佇んでいた。リスパァン博士の『青い部屋』と地下道を隔てる扉の様に、開閉する為にあるのであろう断面に蛍光色の青い光がシュンシュンと右から左へ(フラッシュから見て)と走っていた。
「……?」
あれだけの衝撃と炎の中で、光を発せられる箱とはこれ如何に、とフラッシュは首を傾げる。好奇心に負けて、彼は穴の中に飛び込んだ。
穴の中の熱気は思ったより強くて、直ぐに汗が噴き出し、フラッシュは額を拭いながら箱にチョンと触れた。グローブ越しの指先に、熱を感じなかった。
光の通り道の脇に、小さなボタンがあったので、考えなしに押した。ボタンは押すものだ。
すると、ピン、と儚げな機械音がして開閉部だと思われる亀裂の状態がプシュンと緩んだ。
「なんだ……? ロックが外れた?」
フラッシュは箱に両手をかけ、亀裂を境に恐る恐る開いた。
徐々に広がる隙間から、シュー、と、綺麗で涼しい風が吹き付けて、汗の滴るフラッシュの顔を涼めた。
思わず顔を緩めた瞬間、箱の隙間から銃口がニュッと突き出した。固まったフラッシュの目の前で箱が完全に左右に開き、その中央に小さなガラス瓶に埋もれる様にして少女が銃をかまえていた。
箱の中に詰まっていたのか、涼しい空気が分散して、彼女の金髪をフワリと持ち上げて乱した。
「―――な、お!?」
フラッシュは急いで両手を上げる。
大きな瞳に空中から向けられた時の様な攻撃的な光は無く、顔じゅうに怯えが広がっていた。
銃口も震えている。
「あなたは誰ですか!?」
「え!? いや、それはコッチのセリフ」
「動かないで下さい!」
ジリッと少女が立ち上がる。カチャンカチャンと、彼女の膝に乗っていた幾つかの小瓶が床に落ちて音を立てた。割れない所を見ると、ガラスっぽいがもっと固い素材かも知れない。
フラッシュは両手を顔の横で開いたまま、身体をのけ反らせた。
「おおお、落ち着け、な?」
「ここは何処ですか」
「何処!? い、位置的にはグレイズって都市のエリアD……み、南っ側かな大体……」
「グレイズ……? それは何処?」
ギュッと少女が眉根を寄せて、銃口を持つ手に力を入れた。
「待て! 何もしない!」
「あなたは銃を持っています」
フラッシュは目だけで、ホルスターで腰にぶら下げた銃をチラリと見た。
しかし、銃口を突き付けておいて、人の銃を非難するとは。
「お前もだろ?」
「護身用です!」
「オレもオレも!! その銃カッコイイな、ステキ!」
「捨てて下さい」
少女は銃口をフイ、と脇へ動かして指示をする。
「いや、これはあのその、すっごく気に入ってンだよ。勘弁して」
これは本音だ。腰の銃は、フラッシュのお気に入りなのだ。捨てたくない。
少女の瞳が険しくなった。けれど、フラッシュはやりとりの間に少女には自分を殺す気が無い事に気付いた。
「なんもしねぇよ。ホント」
「動かないでっ」
ジリジリと近寄ったフラッシュに、少女が髪を逆立てた。少女の脚が震えているのを盗み見て、フラッシュは笑い出しそうになったが堪えた。もう少し……もう少しで手が届く。
「ここ煙たくねぇ? まず外へ出ようぜ。な?」
「……撃ちます」
フラッシュは肩を竦めながら、ジリジリと前進した。
「ここがどこか分からないのに? オレを撃ったら、アンタ一人ぼっちで荒野のど真ん中を彷徨う羽目になって、ドラゴンに喰われちまうぜ」
「……ドラゴン?」
「そ。ドラゴン。見た事ある? すげぇぇデカい」
「ドラゴン……」
うん、と、フラッシュが頷き返すか返さないかの間に、少女が唐突に足の力を失くしてガクンと座り込んだ。
「おい、大丈夫か」
「来ないで下さいっ」
「イヤでも……」
そうこう言っている間に、少女は開いた箱の上に蹲ってしまった。フラッシュは少女にとうとう腕を伸ばし、そっと銃を取り上げた。少女は声を上げて怯えこそしたが、抵抗しなかった。銃を取り上げられて少しホッとした様にも見えた。フラッシュもホッとした。こんなか弱そうな女の子に、悪さもしてないのに撃ち殺されるなんて冗談じゃない。
「大丈夫か」と再び問おうとして、少女を見ると、クタリと気を失っていた。
息をしているので死んではいないだろう、と、大雑把に見積もってから、恐る恐る、彼女の滑らかな頬に触れ、小さく息を吐いた。
―――良かった。生きてた。
リスパァン博士なんかに先に報告しなくて良かった。もしもアッチが先に彼女を見つけていたら、きっと博士の好奇心の餌食になっていただろう。
……しかし、彼女の存在なくしてこの件を語れない。まず、ミミックやコールドの意見を聞かなくては。
「おーい、フラッシュ。ドラゴンがめっちゃ下敷きになって唸ってるの見た?」
天井の穴からヒョイとコールドが顔を覗かせた。
彼はフラッシュの傍らの少女に直ぐに気付き、穴から飛び降りて来た。信じられないモノを見たと言わんばかりの顔で、気を失った少女の顔を覗き込む。
「えー、ホントに?」
「箱から出て来た」
フラッシュは彼女の入っていた箱をパンと叩いて、伝えた。
はぁ? と、声を上げて、コールドが箱をつま先で小突く。箱に詰まっている小瓶や、外に零れ落ちた小瓶がカチャカチャ鳴った。
「これに? よく入ってたね。生きてるの?」
「生きてた」
「変なの。とにかく一旦出よう。煙が良くないよ」
コールドの言葉に頷いて、フラッシュは少女を抱き上げた。
彼女は華奢で小さな身体をしていて、とても軽かった。
天井に空いた穴から、薄っすら星空が見え始めていた。
フラッシュは流れ星を見つけた様な気持ちで、彼女を穴から連れ出した。