九話 男の娘も嫁ぐんです
天生十五年(1587年)、俺の嫁入りが決まった。
相手はあの京極高次どの。
この時高次どのは小田原の北条攻めで功を上げ、大溝城主となっていた。
秀吉の命による婚姻であり、俺に拒否することはできない。
秀吉は俺が男だと気づいていなかったのか。
嫁ぎ先で男とばれれば、この婚姻を差配した秀吉が恥をかくことになる。
そうなれば抑える者もいない権力者たる秀吉が、誰に何をするか想像もできない。
嫁入りの話を聞いてから、俺は悩みに悩み抜いた。
何も知らない江はそんな俺を見て、自分の傷もまだ癒えていないのにいろいろと慰めたり元気づけてくれた。
茶々は、俺自身が答えを出す前に何をしでかすか気がついていた。
悩んで飯も通らなくたった頃、茶々は俺の目をしっかりと見つめて言った。
「初、死ぬことは許さぬぞ」
茶々の言葉で自分が知らぬうちに死を選ぼうとしていたことに気づかされた。
茶々は驚いていた俺に、「自害を選んだ母上と同じ顔をしていた」と顔をゆがめながら教えてくれた。
「初、よくお聞き。母上と私は、お前から本当の姿を奪ってしまったことをずっと後悔していた」
茶々の言葉に思わず顔を上げた。
「せめて信長さまが亡くなった時に男に戻してやれば良かったのに、その機会すらも我らが奪った」
「それは違う! もしあの時男に戻っていれば、私は勝家さまと戦に出て死んでいた」
俺の言葉は茶々にあまり届いていないようで、茶々の悲しげな顔を変えることはできなかった。
「初は女として長く生きすぎた。今さら男に戻りこの乱世を生きろなど、そのような酷な事はさせられない。秀吉の元を出て信頼できる大名の庇護下にいることが、初の幸せになると私は考えた」
「茶々!」
茶々の言葉で俺は全てを悟った。
この婚姻は茶々が秀吉に頼んだものなのだ。
そしてその見返りに、茶々は秀吉の側室になるつもりなのだ。
「茶々、茶々を犠牲にしてわたしだけ安穏と生きるわけにはいかない」
「わたしは母上様から初と江を任された。そなたたちを良い嫁ぎ先へ送ることがわたしの役目」
「しかし!」
納得いかずに口をひらいた俺は、茶々の眼光の鋭さに思わず言葉を飲み込んだ。
「これはわたしの戦。初とて口を出すことは許さぬ」
そう言うと嫣然と微笑んでみせた。
大輪の花が開いたような微笑みは、美しくはかなげな母上と恐ろしい信長さまの面影が重なった。
茶々はすでに戦っていたのだ。
茶々が浮かべるのは、戦って勝利を得た者の笑み。
男に生まれながら周りに流されるままの俺と違い、茶々は女ながらに立派な武将だった。
「初が身を寄せるのに、京極高次どのほど適した相手はいない。高次どのとは従兄弟同士で、なおかつ北の庄で顔を合わせている。さらに高次どのも一度は秀吉に命を狙われた立場なため、初の境遇を理解してくれる」
「茶々の想いはありがたい、とてもありがたい。しかし高次どのは納得されないだろう。秀吉の名のもとに男を正室に押し付けられ、異をとなえる事も離縁することも許されない。あまりにも理不尽な婚姻だ」
「もちろん京極家にも得がある」
京極家は没落したとはいえ、いまだ近江では名門として名高い。
傍から見ればこの婚姻は、織田の姫を差し出すという京極家への破格の対応となる。
近江の民への示しもつくし、豊臣家の家臣として京極家の格が上がることにもなるという。
「京極どのもこの婚姻を喜んでおる。心配するでない」
「う、うぅん……」
確かに茶々の説明に一理あるが、今の高次どのは微妙なお立場だ。
己の実力で中国討伐に結果を出し城持ち大名になったというのに、今でも『妹のおかげで出世した蛍大名』などと揶揄されていると聞く。
俺が嫁げば、今後どのように高次どのの実力で出世しても、嫁の威光で出世したと更なる陰口をたたかれるのは目に見えている。
と同時に男を正妻に押し付けるのは、家柄も齢も茶々と釣り合い、さらに見目も良い高次殿に対する秀吉の毒も大いに含まれていると思う。
茶々の悪意のない純粋な願いと、秀吉の毒を混ぜたこの婚姻。
家臣としては元より、浅井の縁者としても断れない立場の高次殿に、俺が原因とはいえ同情した。
俺を慰める茶々を見やる。
茶々が高次どのに嫁ぐことが、誰にとっても一番幸せな結果となったはずなのに。
北の庄城で微笑みあう高次どのと茶々、そして暖かな勝家どのや母上たちの姿を思い出せてただ胸が苦しかった。
京極高次どの二十五、俺十八のことである。
京極家に嫁ぐ幾日か前の日、おね殿が俺の部屋を訪ねてこられた。
いや、今はおね殿ではなかった。
秀吉が関白の地位を頂いたのと同時に、おね殿も従三位の位が与えられ『北政所』という称号が贈られた。
政所とは家政を取り仕切る役という意味があり、おね殿は豊臣家の大かか様として皆から北政所さまと呼ばれるようになっていた。
「僭越ながら、わたくしが初さまの母親代わりに、嫁入りの心得を教えに参りました」
「あ、あぁ! よ、よろしくお願いいたします」
咄嗟に頭を下げてお願いはしてみたが、俺は男。
一体何を教わろうというのか。
それに……と、嫁入り道具の説明から始めた北政所さまをこっそりと見やる。
すでに秀吉も高次どのも俺が男だと知っているなか、北政所さまは知らされていないのだろうか?
そんな疑問を持ちつつも、嫁入りの講義は続いていき。
「では初さま、これをご覧ください」
「……うっ!!」
北政所さまがバサッと出してみせたのは、男女が絡み合う絵が描かれている、いわゆる春画だった。
春画といえば男が見るものと思われるかもしれないが、嫁入り道具の一つとして娘に親が持たせるものである。
もちろん俺も見るのははじめてなのだが、何というか生々しい……。
しかも本来であれば親から娘に行うまっとうな性教育のはずなのに、俺が男なために母親と息子が一緒に春画を眺めるというおかしな状況になっている。
(これはいたたまれない……)
しかしここで変に恥ずかしがってはいけない。
俺は変な痙攣をする顔面の筋肉をなだめながら、真剣な表情をつくって北政所さまの説明に耳を傾けた。
やがて一通りの説明をおえた北政所さまは、母親の顔で俺の顔を覗きこんだ。
「初さま、そんな不安なお顔をなさらずとも大丈夫ですよ。おなごは黙って夫に身体をまかせておれば良いのです。高次さまも余裕のあるお年であられるし、きっと初さまを大事に扱ってくださいますよ!」
そう励ますと、北政所さまは廊下で控えていた侍女たちを引き連れて自分の屋敷に帰っていった。
俺が女だと思い丁寧に説明してくださったその背中に、罪悪感が押し寄せてつい頭を下げる。
(ごめんなさい北政所さま! 教えてもらったことは、俺にはできません!!)
初の部屋を後にした北政所は、春画を前に顔を赤くして小さくなっていた初を思い出し、大きなため息をついた。
(初さまごめんね。下っ端武士の娘だったわたしには、衆道の心得や作法はちぃともわからないんだわ。まぁ、高次さまならうちの旦那と違って衆道のお作法はご存じだろうし、身を任せれば大丈夫だからね!)
初が男だと知ったうえでの、嫁入り前の指南であった。