七話 安土に集う女傑たち
北の庄城を出た後、いくつかの城や寺に転々と預けられた。
その内の寺のひとつは、近江の地の寺だった。
元浅井の領地だったこともあり、俺たちは元主君の姫君として丁重に扱われた。
朝の読経の際、俺たちも父、母上、勝家殿を弔うために僧たちの後ろに並んで一緒に経を唱えていた。
そんな時、見習い中の子坊主の一人になぜか視線が吸い寄せられた。
「……あ」
子坊主が誰か思い当り思わず茶々の顔を見れば、肯定するように茶々が頷いた。
それはかつて赤子の時に小谷城から寺に預けられた、俺たちの弟万寿丸だった。
気が付いた途端、思わず顔を伏せた。
同じ男でありながら、女に身を偽ってのうのうと恵まれた環境で生きる俺を見て、万寿丸はどう思うだろうか。
寺にいた数日間、万寿丸の姿は何度か見かけた。
だけど言葉を交わすのが怖くて、ひたすら顔をそむけてはそそくさと逃げていた。
寺を出る最後の日、僧侶たちが見送る中に万寿丸の姿もあった。
ついに言葉を交わすことはなかったが、俺たちを見送るその顔はとても穏やかで澄み切ったものだった。
「出家とはお家も捨て、子も作ることも許されず、屈辱的なことだと思っていた。だけどこの世の煩わしい事から解き放たれるということでもあるのね……」
茶々も俺と同じ思いだったようで、次の寺についたときにしみじみと呟いた。
万寿丸は、俗世を捨て去った。
最初は信長さまの命によるものだが、彼はそこで己の生き方を見つけて極めようとしている。
なら俗世にみっともなくしがみついている俺はどうなるだろうか。
これから秀吉の元へ行く。
どうなるかはわからないが、悔いなく生きようと固く思った。
その後も寺や城をまわった後、かつて信長さまが治めていた安土の地に送られた。
安土城はほとんどが焼失しており残っていなかったが、いくつかの残った屋敷に三法師さまをはじめ家臣や侍女たちが住んでおり、その屋敷のひとつに住まうことになった。
この頃の秀吉は大阪城を築いたり、中国遠征にと多忙を極めていた。
そのため安土の屋敷に顔を出すことはなく、俺は命がつながったことに心から安堵した。
秀吉不在のなか、この大所帯の安土をしきっていたのは、秀吉の妻のおねだった。
安土に入ったとき、おねは信長さまの姪である俺たちに頭を下げて出迎えた。
「世話になります」
茶々は俺たち姉妹を代表してそう言ったが、その心情はどれほど荒れていただろうか。
そもそも秀吉が城持ちになったのは、小谷城を落城させ父を死に追いやった手柄による。
それが戦国の世の習いでもあり命じたのも信長さまなのだが、だからといって親を殺した相手を受け入れられるかはまた別の話。
更には下っ端武士の娘であったおねが、織田浅井の姫である茶々よりも権力を持っていることも一つの要因であった。
安土に移ってすぐは俺もおねのことを、ただ夫の出世で偉くなっただけの女と思っていた。
「おねはお爺さまが本能寺で討たれたとき『旦那さまが留守のこの城を、明智方が攻めてくるかもしれない。身の回りのものだけ持って、さっさと城下に逃げるよ!』と混乱していた家臣達をまとめて避難したのだ」
信長さまの孫である三法師さまが、まるでご自分の手柄のように教えてくれた。
あの混乱はよく覚えているし、諸大名でさえ情報が錯綜して混乱したと聞いた。
おねは年老いた義母をはじめ、家臣や侍女たちを連れて城を逃げ出した。
京極高次どのが長浜城を攻めたときには避難が終わっていたというのだから、武将の妻おねの英断は素晴らしいものだった。
だが、三法師さまの無邪気な笑顔を見ながら俺は思う。
三法師さまはまだ三つか四つほどの幼子だ。
秀吉が織田家にした仕打ちをわざわざ教える者はいないだろう。
勝家どのが存命の時、秀吉は人質として預かっていた信孝さまのご生母を磔にした。
大恩ある信長さまの奥方を、である。
確かに信孝さまは人質をとられていたのに、兵を出して秀吉の味方である大名をの領地を攻めた。
だからといって元主君の奥方を処刑するなど、普通の武将であれば考えもしないことだ。
さすがにこの件に関しては、秀吉の味方からも非難の声が上がった。
しかし非難の声だけで、実際に秀吉を誅せるものはいなかった。
それだけ秀吉の権力はゆるぎないものとなっていたからだ。
勝家どのは前田利家どのが共闘の盟約を違えて戦線から離脱した際、人質として預かっていた利家どのの娘を無事に返してやった。
利家どのが離脱したせいで秀吉に負けたのにだ。
ここで勝家どのが利家どのの娘を殺しても、何の非難もあびることはない。
だからこそ、情の厚い勝家どのと、義も仁もない秀吉のあまりの違いが許せない。
そんな勝家どのが命を落とし、秀吉が一の権力者となる世とは、何とも酷で無情だ。
三法師さまの笑顔は心からおねや秀吉を慕っているように見え、なにやら複雑な気持ちだった。
またおねは親戚筋の子供たちを集め、やがて秀吉子飼いの武将となるように教育したという。
その子供たちがやがて秀吉の手足となって活躍したことを思えば、おねも先見の明があったといえる。
ただその子供たちが活躍したのが、母上と勝家どのの死につながる賤ヶ岳の戦いなのだから、素直に感心するわけにはいかないが。
身分関係なく駆け上がっていくこの夫婦は、混乱の戦国時代を勢いよく吹き抜ける新しい嵐のようだ。
安土に落ち着いてしばらくしてからは大所帯のかか様のような彼女を、俺も素直に「おね様」と呼んで慕うほどになっていた。
だが茶々のおねに対する態度はそれほど軟化しなかった。
そんな茶々のことを、いつまでもかつての身分にすがりついている高慢な姫と裏で囁く者もいた。
確かに茶々は気が強い。
だけど茶々は、産まれた時から浅井・織田の姫として育てられ、しかも保護してくれる家も親も無き今、俺たち姉妹の長として振舞わなければいけないのだ。
生まれた時から流浪の姫だった江や、自分の身が後ろ暗いために茶々の陰に隠れるしかできない俺とは、背負うものの重さが違う。
愛嬌の良い江、控えめでおしとやかと言われる俺と比べられる茶々の姿が、俺はただただ悲しい。
しかし茶々の不名誉なうわさを否定するために立ち回れば、それがまた俺と茶々の評価を分ける結果となってしまった。
安土には、秀吉の側室もたくさん呼ばれていた。
茶々なんかは「自分が賤しい身分の出だから、周りを高貴な姫たちで囲んで喜んでいるのだわ。本当に下種な猿だこと」と汚らわしそうに吐き捨てていた。
身分が高くなれば側室の一人や二人は娶って当たり前だ。
それにしても秀吉が集めた側室はどれも若くて綺麗な姫ばかりで、茶々のように嫌悪感はわかないが本当にとんでもない女好きだとあきれた。
しかもこの安土の地は信長さまが天下統一を目指した地。
そんな所に若くて綺麗な姫たちを集める秀吉の気が知れない。
生前、おねから秀吉の女好きを諫めてほしいと訴えられた信長さまも、まさかご自分の死後に秀吉の側室たちの住まいにさせられるとは思いもしなかっただろう。
ちなみにこの側室の中に、またもや浅井と縁の深い方がいた。
京極龍子どの、かの京極高次どのの妹であり、俺たち姉妹のいとこである。
龍子どのは匂い立つような大人の余裕がただよう美女だ。
武家の凛とした美しさをもつ母上や茶々とまた違い、公家のような上品なしなやかさを備えていた。
嫁ぎ先の武田家が羽柴秀吉に敗れ、龍子どのの夫と実の子は殺された。
龍子どのは悲しみに暮れる間もなく、その美しさゆえに秀吉の側室になるよう求められた。
どんな葛藤があったかは察するに余りあるが、龍子どのは兄の高次の助命と引き換えに、夫と息子を殺した秀吉の側室になることを受け入れた。
賤ヶ岳の戦いの前に北の庄城を脱した高次どのは、今では秀吉の家臣となり中国地方の戦いで活躍しているらしい。
そんな龍子殿が俺たちの後見人となってくれたおかげで、安土での生活は俺が覚悟していたよりは過ごしやすいものとなった。
「初さまのそれは秀吉さまを恐れてのことかしら?」
「え?」
ある日龍子どのが尋ねてきた。
「その胸元は、秀吉さまの下心を避けるためかしら」
龍子どのの目線が俺のまっ平な胸元にそそがれているのに気づき、慌てて胸元を手で隠した。
そんな俺の手を、龍子どのは気づかわしげな微笑みでそっと包み込んだ。
「嫌らしい目で見られたことがあるなら、すぐに私かおね様にお言いなさい。こんなに胸を押さえつけて隠すなんて、形も崩れるし、お体によろしくありませんわよ」
「あ……、えっと……」
龍子どのは、俺が秀吉の助平を嫌がって胸をさらしとかで巻いて押さえつけていると勘違いしたようだ。
間違いなくこの平らな胸は自前なわけで、どう言えばいいのか言葉につまっていると。
龍子どのははっと目を見開いた。
「えっ、もしかして何もしていない!?」
「……」
黙ってうなずくと、龍子どのは真剣な顔をして俺の胸をべたべた触りだした。
「えっ、嘘……」
「…………」
次の日、龍子どのは胸と尻に布を巻きつけることを教えてくれた。
「初さま、刀や槍と同じで女の武器も磨かねばさびついてしまいます。安土に集められた側室たちをごらんなさい。わたくしを含め、女たちは自らを磨いて戦っておるのです」
語る龍子どのの迫力に、俺は黙ってうなずくことしかできない。
「大丈夫。浅井の者はみなふくよかです。ちゃんと食べていれば、初さまも肉付きがよろしくなりますから!」
「…………」
安土の女傑たちにもまれ、俺もなぜか女子力が上がっていくのだった……。