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六話  越前の冬

 


 北の庄城に移り住んですぐ、越前は長い冬に入った。

 

 一歩城の外に出ればあちこちに雪がつもっており、尾張でチラチラと舞う雪しか知らない俺と江は雪をすくってはその冷たさに意味もなくはしゃぎまくった。

 母上と茶々は始まったばかりの雪景色を眺めながら歌を詠む。


 更に冬が本番となれば、俺の背丈よりもなお深い雪が積もるとも聞く。


「北近江もこの越前と似た気候で、冬となれば天守閣から見える雪景色はそれは見事なものでした」


 そう遠い目をして語る母上の姿に思わず鼻の奥がつんとしたのは、突き刺さるような冷たい風のせいなのか。



「雪が深く積もれば、越前の地で戦は起きないのですね」


 江の何気ない一言に、戦の記憶がないはずの江でさえやはり何かしら思う所はあったのかと、思わず幼い江を抱きしめた。

  

「うわっ、江の身体が冷たい!!」

「うふふ、初姉さまもお顔やおててが氷のように冷とうございます」


「姫さま方、あまり身体を冷やされてはお体にさわりますよ」


 散々雪遊びをして冷え切った俺と江を、侍女が暖かい羽織で包み込んだ。

 母上にも頃合いと、城に戻るように促された。

 今頃城の中では、暖かい甘酒が用意されていることだろう。

 

 北の庄城での生活も、穏やかで暖かい。 


 だけど、と俺はまた降り始めた雪を見上げる。

 

 雪が深くて戦ができない。

 それは平穏を望むならば願ってもない事。

 しかし逆に言えばどこかで何があっても、越前から出る事がかなわないということでもある。

 

 そんな不安はやがて現実となる。


 

 十二月、柴田勝家どのの甥が治める長浜城が秀吉に攻められた。

 雪が深く北の庄城から援軍を出すこともできず、長浜城は二日で落城した。


 勝家どのが雪で動けないなか、秀吉と信雄さまの連合軍は、信孝さまの岐阜城を囲んだ。

 信孝さまは預かっていた三法師丸さまを秀吉に引渡し、更にご生母と娘も人質として差し出さざるを得なくなった。

 信孝さまのご生母といえば、信長さまの奥方である。


 織田家を慕う勝家どのにとって、この秀吉の仕打ちは腹が煮えくり返らんばかりに許せないものだった。

 今の動けない状況もあいまって、その怒りは凄まじいものだった。


 俺たちの前では怖がらせないようにその怒りを必死に隠そうとしていた。

 が、勝家どのの怒りの雄叫びは城中に響き渡たり、到底隠しおおせるものではなかった。

 その怒りは俺たちの怒りでもあったから、江でさえもその姿を頼もしく思いこそすれ怯えるなんてことはなかった。



 秀吉討伐を固く誓い雪解けを待つなか、新しい年を迎えた。

 柴田家家臣一同が集う新春の顔合わせで、思いがけず浅井と縁の深い青年と会った。


 京谷高次。

 浅井と複雑なご縁の方である。


 端的に言ってしまえば俺たち浅井姉妹の従兄弟。父浅井長政の姉の息子となる。

 産まれたのは俺たちと同じ小谷城だが、そこにまた因縁がある。


 元々高次どのの京極家は源氏の一族であり、三百年以上も近江を治める由緒正しき名門の一族だった。

 それがお家騒動(兄弟喧嘩)のごたごたの際に、部下であった浅井家(俺のひい爺様)に下剋上され国主の座を奪われた。


 だけど没落しても名門の京極家、近江の民にとってはそれでも偉大な元領主様だった。そんな京極家を無下に扱えないということで、小谷城の離れの屋敷に居候として京極家を住まわせることになった。

 そして浅井家に居候中の京極家当主の弟(五十九)に、浅井長政の姉(十九!)が嫁ぎ、その子供として産まれたのが高次どのとなるわけだ。



 同じ小谷城で産まれたのなら俺たちと面識があるかというと、ここも高次どのの数奇な運命が。

 俺が産まれる前の年に、京極家の事情で高次どのは六つで尾張の信長さまの元へ人質として送られた。

 もしこの時に高次どのが人質で尾張に行かなかったら、浅井・朝倉と織田信長の戦に巻き込まれ、討ち死にか処刑されていたはずだ。


 だが人質として戦が始まる前に尾張に行った高次どのは、小さい頃から信長さまの元で学び、そして活躍して領地を頂き、そのまま織田家の家臣となった。



 ところが本能寺の変が起きて高次どのは、妹の嫁ぎ先である武田家と共に明智光秀についた。

 そしてその際に高次どのが攻めたのが、あろうことか今一番の権力者となっている羽柴秀吉の城なのである。しかもその時秀吉は中国地方の毛利元成と戦っており、秀吉の近江長浜城は留守だった。


 高次どのは秀吉が留守の城を、しかも秀吉の妻や母がいた城を陥落させてしまったのだ。

 幸いなことに、秀吉の妻と母は一足先に逃げていて無事だった。

 ここで二人に危害を加えていれば、秀吉は何が何でも高次どのを殺しにかかっただろう。


 明智光秀が敗れ、武田家は滅ぼされ、もちろん高次どのにも追手が向けられた。

 ここでまた高次どのの強運が。


 秀吉に命じられ高次どのの追手となったのが、没落前の京極家の元家臣だった。

 まだこの時の秀吉は他の家臣とおなじ一家臣でしかなかった。

 そのため追手を命じられたというより頼まれた立場の武将は、高次どのが逃げる手引きをして近江から脱出させてくれたのだ。


 その後もいろいろと逃れた後に高次どのが頼ったのが、秀吉と対抗する勝家どのと、義理の叔母である母のいるこの北の庄城なのであった。






 家臣たちとの新春の挨拶を済ませ、勝家どのが設けた家族水入らずの場で高次どのと改めて顔合わせをした。


 高次どのは俺よりも六つほど年上で現在二十。

 身一つでの逃亡生活が続いたため少々やつれ気味であったが、絶世の美女である妹と似ていると噂で、すっきりとした顔立ちの美青年である。


 と茶々を眺めれば。

 なんとあの茶々が、頬を染めて何やらつつましげに俯いていた。


 何その乙女!!


 思わず驚いて高次どのを見やれば、美青年はその甘い顔に更にとろけるような微笑みをのせ、茶々を見つめていた。



 母と勝家さまも、このなにやら甘ったるくて面映ゆい雰囲気にまんざらでもなさそうだ。

 江も何やら察しているのか、頬に手をあててうふうふ笑っている。


 これはもしかしなくても、茶々と高次どののための顔合わせの場か。

 茶々十五、高次どの二十で年頃の美男美女、しかも浅井に縁のある従兄弟。

 これは正にくっつくしかないだろう!!

 あの茶々がこんなに乙女になるんだ、恋ってなんて素晴らしい!!


 ここ最近とくに秀吉をめぐる情勢がきなくさいだけに、この高次どのと茶々の俺たちの心を浮きだたせるものがあった。


 俺は茶々に訪れる甘い幸せをとても喜んだ。

 茶々は俺による浅井の復活を願っているが、男として不完全な俺はその役目を果たせるとは思えない。

 高次どのは浅井の血筋であり、茶々との間に子ができれば、その子供こそ浅井の当主にふさわしいと思う。


 いや、違う。

 浅井の復興とか関係ない。俺はただ茶々に幸せになってほしい。

 ただそれだけだ。



 ただ、それだけだったのに。



 母が勝家どのに嫁いで十月後の天正十一年(1583年)四月。

 賤ヶ岳の戦いにて、柴田勝家、羽柴秀吉に敗れる。

 三日後、北の庄城落城。

 勝家どの、そして……母上は。


 落城の前日、勝家どのは家臣から侍女にいたるすべての者に、北の庄城から逃げて生きるように説いた。

 しかし誰もが主君と最期まで共にあることを願った。

 その日北の庄城では、兵糧を全て使って宴が行われた。

 俺たちもその宴に出た。


 皆酒を飲み、笑い、歌い、踊った。

 

 俺も弱い酒をいただきながら、すでに皆で極楽浄土にいるような不思議な感覚に陥っていた。

 母上も口元を袖で隠して笑いながら、家臣たちと踊る勝家どのを眺めている。

 江も戦の最中ということはわかっていたが、久しぶりにみんなが笑っているこの状況が嬉しいのか笑みを浮かべている。


 茶々は。

 酒には一切手をつけず、離れた所で微笑んでいる母上をひたすらに見つめていた。

 


 宴の次の日。

 城中に火薬をまいて火を放ったのち、燃え盛る城の中で勝家どのと母上は共に自害した。

 城は完全に燃え落ち、勝家どのと母上の遺骸は、髪の毛一本残らなかったという。



 勝家どのは俺たちの保護を、敵である秀吉に願い出ていた。

 俺たちは燃え落ちる北の庄城を、秀吉がよこした籠の中から見上げていた。


「わたくしも……っ、あの中で果てとうございましたっ!」

「勝家どのは、浅井の血を残す大事なお仕事が我らにあるのだとおっしゃった。あの方にとって我らは、主君信長さまの大事な預りものだったのであろう……」


 泣きじゃくる江を、茶々が母上のように優しくあやしている。


「母上さま……。どうして……っ」

「城も己もなにひとつ残さない……、これが母上のお心。これで秀吉は母上になにもできない、江、母上はようやくお父上の元に行けたのだ」


 江のように心情を吐き出す素直さもなく、茶々のように己の嘆きを隠して他者を思いやる強さもなく、俺はただぼうぜんと天を燃やさんばかりの炎を眺めていた。



 こうして俺たち姉妹は二度の落城を経て、その元凶である羽柴秀吉の庇護下に入ることとなる。



 小谷城の時の、何も分からなかった幼子とは違う。

 秀吉に保護されるということがどういうことなのか、理解はできていた。


 だから、今度こそ己の秘密が暴かれ、かつての万福丸のように無残な死を迎えるのだと覚悟した。




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