三十五話 三度目の……
二度目となれど慣れることのない衝撃に、身体を起こすのも忘れて城の倒壊を恐れる。
息をひそめてあたりの様子をうかがえば、忠心深い侍女たちが俺をかばうように集まっていた。
これではまた俺が頼りない、と急いで立ち上がって乱れた衣と髪を整えた。
「皆の者、大事ないか?」
周りの女たちに声をかければ、皆気丈に声を返してきた。その顔に怯えはあるものの、存外落ち着いた様子にほっとする。
中には、衝撃で転がった俺の花嫁道具を並べなおしている奥方の姿もあった。俺の道化もどうやら役にたった……のかな。
「どうやら、あれがまた本丸に当たったようでございますね……」
「数打てば当たると言えど、何と忌々しい」
いや、なかなか女たちの士気は落ちていないようで、何とも頼もしい。
あれだけ打ってもほとんど当たらないことと、天守は無事という確信が持てたこともあるだろう。全く精神的に堪えないかというと嘘になるが、それでも不気味な砲撃の音を『単なるこけおどし』と自分を慰める余裕はでてきた。
「――奥方さま……」
砲弾の動揺からだいぶ落ち着いてきた頃、廊下からかすれたような声に呼ばれた。
侍女が見に行けば、先ほど龍子どのを迎えに行った侍女の一人が控えていた。だがその顔は血の気が失せ、隠し切れない恐怖に引きつっている。
そのただごとではない様子に、一度は緩んでいた身体がまるで凍り付いたように強張った。
龍子どのを迎えに行った侍女の先導で、俺と数名の侍女たちは天守の別の部屋に向かう。先導する侍女に説明を求めたが、彼女は動転していてうまく声が出せず、俺たちはただ不安を抱えたまま黙って歩くしかできなかった。
「龍子どの……」
部屋に入ると、畳に。いや、板の上に横たえられた女人と、周りを囲んで世話をする侍女たちの姿があった。
一部の侍女が世話をする手を止めて、俺のために場所を開ければ。
見えてきた姿に俺は思わず言葉を失った。
まず視界に入るのは毒々しいほどの赫。
凛々しい袴姿はおろか頭まで真っ赤に染め、板に横たわっている龍子どのの姿があった。
次に濃厚で生臭い臭いにめまいがし、知らず息がつまった。
周りにいる侍女たちが手を休めることなく水に浸した布で拭き取り、桶の中の水が真っ赤になっても、龍子どのの身体を染める血は拭いきれない。一体どれだけの血を浴びれば、このような事になるんだ。
名前を呼んでも反応のない姿にぞっとして、龍子どの側に控えていた侍女に目で問えば、慌てたように首を横に振られた。
「これは、龍子さまが流されたものではございませぬ。龍子さまの、お付きの者にございます……。お付きの者たち二人は、砲をその身に受け……」
どさりと重い音に振り返れば、俺についてきていた侍女の一人が気を失い倒れていた。他の侍女が慌てて介抱しにいくも、その女たちの顔色も悪い。
戦乱の世に生きる女たちだ。負け戦にあった女たちの末路なんて嫌というほど耳に入ってくるし、辱めを受ける前に自決する覚悟だってできている。
だが、城をも破壊する砲弾をその身に受ける最期など、誰が想像したであろうか。
部屋に充満しているむせかえるほどの血臭が、侍女たちの壮絶な最期を嫌でも教えてくれた。
龍子どのがかすり傷のみであることを確認すると、足早に天守の間へと戻った。
龍子どのの惨状を知られては、今度こそ女たちは恐慌状態におちいり我を失ってしまうだろう。
留守番をしていた侍女や奥方たちの問いかけに、大したことはなかったと苦労しながらも笑顔をつくってみせた。
だが、目の前で侍女を失った龍子どのはそういかなかった。
意識が戻ってからは言葉が出ず、戦の音にひどく怯え、まるで幼子のようにしくしくと泣き続けた。その様子を間近に見ていた者たちの中には、気を病みだす者も出始めた。
気の強い妹のあまりの変わりように心を痛めたか、それとも城内の士気の低下を恐れたか。高次どのの命により龍子どのは、戦のさなかであったが元聚楽第の近くにあった京の屋敷に移されることになった。
龍子どのの輿が大津城を離れていくばくかの後、敵軍は本丸にまで攻め入ってきた。
総大将である高次どのも自ら槍をもって、手傷を負いながら戦うほど京極家は追い詰められた。
そして次の日、十四日の早朝。
三度目の使者が大津城を訪れる。その数、顔ぶれは今までと大きく変わっていた。
茶々と高台院さまからの使者は、何度か来られた孝蔵主、そして海津局。
海津どのは饗庭局どのの姉。つまり浅井の縁者である。
そして三成方の、毛利輝元、増田長盛からの降伏を促す使者。
僧の木食応其、武将の新庄直忠。どちらも信長さまや秀吉に浅からぬ縁のある、壮年の者である。
三度目の勧告。
追い詰められたこの状況でこれを受け入れなければ、城内の女子供残らず皆殺しの未来しかない。
我らの気持ちはひとつ。全滅しようとも最後まで戦うのみだ。
ここで降伏すれば、ひとまずは命が助かる。
だが、つい先日この大津の近く鳥羽伏見城で、徳川家康の忠臣・鳥居本忠が討ち死にしたばかりである。
そんななか、命惜しさに開城すればどうなるか。
徳川家康の本戦はこれから始まるのだ。他の武将への見せしめとして、無残で屈辱的な死を与えられるだろう。
このまま討ち死にして武士の誇りをとるか。降参して生き延びるも、代々続いた京極の名を地に落とし辱めを受けたすえに、罪人としての死を待つか。
すでに逃がしていたため、この大津城に庇護すべき民はいない。
残っているのは、京極家のために命を捨てる覚悟を決めた家臣とその家族だけだ。
ならば、選ぶのは誇りある死のみ。
最後の使者が訪れているなか、城中の人間は身なりを整え、最期の時を迎える用意を着々と進めていた。
そんななか、突如城の外から、声が嵐のようにどっと押し寄せてきた。
交渉決裂により、敵軍が本丸へと一気に攻めてきたか。
天守の間にいる女たちは、覚悟を決めたとはいえ一気に恐怖に顔をこわばらせる。
侍女たちはおびえて互いに身を寄せ合ったが、城主の妻である俺を筆頭に、武家の奥方たちは背筋を伸ばして並んで座り、敵が踏み込んでくるであろう廊下をただ見守った。
次にくるのは、城を落とそうとする砲撃や銃の衝撃か。それとも城の中から上がる、一方的な蹂躙の声か。
だが、いつまでも聞こえてくるのは敵軍の「応!! 応!! 応!!」という掛け声ばかり。
やがて一つの可能性に皆が思い当った頃、鎧姿の京極家の家臣が天守の間に飛び込んできた。
よほど急いできたのか。片膝をついて報告しようとするも、息をするたびにかちゃかちゃと鎧が鳴り、口をひらけば極度の緊張のためか声が出ない。
家臣は大きく息を吸って呼吸を整えると、震えた声で告げた。
「殿は、和睦を結ばれることを御決意なされました。大津城は、これをもって開城いたしまする!」
あぁ……、
と誰のかわからないほどの小さな声が、部屋中からもれる。
命永らえたことを喜べばいいのか、意地汚くも生き延びてしまったことを嘆けばいいのか、皆分からずに何の反応もできなかった。
高次どのは最初、和睦を断り最期まで戦うつもりであった。
三度目の使者に対しても、「和睦の意志なし。ここで京極家が滅ぶならばそれも覚悟の上」と突っぱねたそうだ。
しかし幼い時に信長さまの時代より世話になった壮年の武将や、秀吉と親しかった僧侶、そして老臣・黒田伊与らの必死の説得により、降参を決意した。
小谷城、北の庄城と続き、俺にとって三度目の落城となった。