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三十四話  『豊臣』の使い方

 


 明くる十三日、とうとう本丸への攻撃が開始された。


 高次どのの命令で城主の奥である俺をはじめ、家臣たちの奥方や侍女たちは天守閣のほうへ集められている。敗戦の覚悟を決めたわけではない。今までの砲撃を見た結果、天守閣まではどうも届かないと推察できたからだ。


 砲撃は今日も続いている。城に着弾したのはあの一回きりであったが、その威力は城内の者たちの士気を大きく削いだ。

 本来、天守の間に居れば戦の音は遠いはずなのに、間遠に届く轟音と地響きに、女たちは声を漏らすことも恐れて身を寄せ合っている。

 中には、震える手で懐剣を握りしめている奥方の姿すらもあった。


 この状態では何かのきっかけで恐慌状態に陥り、焦って命を絶つものがあらわれてもおかしくない。

 俺はこの空気をどうにかしようと一計を案じ、そばにいた侍女に耳打ちした。

 年かさの侍女は少し戸惑った様子だったが、俺が力強くうなずいてみせると、心得たとばかりに数人の侍女を引き連れて部屋を出て行った。


 しばらくして用意を整えた侍女たちが部屋に戻り、目線で合図を送ってきた。

 俺はすっくとその場に立ち上がる。

 何事かと皆の視線が集まる中、無言で勢いよく手にしていた扇子を開く。

 そしてやや芝居がかった侍女の合いの手が、部屋中に響き渡った。


「ここにいるお方をどなたと心得る! 今は亡き太閤殿下の養い子、初さまであらせられるぞ!」


 俺は黙ったまま扇を仰ぎ、こころもち顎を上げて皆をゆったりと見回す。戸惑う視線に、堂々と見つめ返した。

 もちろんこんなので恐怖がまぎれるなど思っていない。更に目で侍女に合図をすれば、侍女は廊下に続く戸をさっと開いた。


 廊下には、大小さまざまなつづらや行李、飾りなどが敷物の上に並べられている。



「これは……、嫁入り道具にございますね?」

「確かにこれは嫁入り道具……」

「なぜこのような所に?」「これほど見事なものは……奥方さまの?」「なぜ全て、こちらに裏側を向けているのでしょうか……?」


 一人の奥方の声を皮切りに、戸惑ったような声が部屋のあちこちから上がりだす。

 その混乱は、戦の音をかきけすほど。


 その反応に満足し、廊下にいる侍女にうなずいてみせると、彼女は手近にあった大きな着物入れをくるりと部屋側に向けた。

 そこには金箔で飾られた豊臣家の家紋が、燦然と煌めきながらその存在を主張している。

 いまだ状況がわからず戸惑う奥方たちを前に、俺は口をひらいた。


「ここにあるは我の嫁入り道具。すなわち全て豊臣の家紋が入った物じゃ。いかに血に酔った無法者であっても、豊臣の御印を蹴散らすことはできまい! 皆の者、安心せよ!」


 どうだ! とばかりに部屋の女たちを見回す。

 さすがに場外から撃ち込まれる砲撃までは防げないが、部屋にいきなり踏み込まれる心配はないぞ!と皆を鼓舞してみたのだが……。


 不安げだった奥方たちの顔が、一気に険しくなった。


「奥方さま! 豊臣の御印の入ったお道具を廊下に置くなど、何をお考えでございますか!!」

「これでは京極が豊臣家に謀反の意有りととられても、おかしくありません!!」

「誰か。誰かこのお道具を、部屋にお運びして上方に飾り立てておくれ!」


 何ということでしょう。

 今まで血の気の引いた顔で怯えていた奥方たちが、血相をかえてきびきびと動きはじめたではありませんか!

 しかも俺、めちゃくちゃ叱られてるし。


 侍女たちが奥方たちの指示の元、嫁入り道具を手際よく部屋に運び込むなか、俺は部屋のすみで小さくなって座っていた。

 だって、これで皆の不安を少しでも減らせればと思ったのに……。

 あと、大阪城に引っ越して江が無理に離縁させられた頃、二人で豊臣の家紋を足蹴にしたことはずっと心にしまっておこうと誓った。


 反省中の俺の側に、俺の計画にのった侍女がそっと寄り添った。


「最初におっしゃられた時はとんでもないことを、と思いましたが。怯えも忘れたような奥方たちの姿を見ていますと、自ら道化を買い出ることで場の空気を変えた、醍醐の花見の茶々さまや龍子さまの再現のようで……。わたくしは、胸が熱くなりました」

「そうでしょう、そうでしょう……」


 道化か……。




「ところで、龍子どのはまだか?」


 女たちが天守閣に集められてずいぶん経つというのに、龍子どのをはじめ、彼女に付き従う侍女たちの姿もない。支度に手間取っているのなら、誰か手伝いをよこすのだが。

 そこまで考えた所で、ふと戦が始まる前の彼女の姿が思い起こされ、一気に血の気が引いた。


「……まさか、本当に敵に打って出るおつもりなのではあるまいな!? 龍子どのはいずこかっっ!!」


 焦るがまま周りにいた者に問いつめるも、みな一様に目をそらし、俺の問いに答えるものはいない。

 その態度に、知らないのは自分ばかりなのだと気が付いた。


「ええい、ならばよい。己が足で探すまで!!」

「奥方さまっ、どうかお待ちください!!」


 荒々しく部屋の外へ足を踏み出せば、侍女たちの悲鳴交じりの制止の声が上がる。

 それを無視して足を進めれば、何やらわめく年かさの侍女に背後からしがみつかれ、さすがに振り返った。


「奥方さま。お気持ちはわかりますが、龍子さまの元へ行かせるわけにはいきませぬ」

「……誰の命だ」

「龍子さまにございます」


 俺付きの侍女の毅然とした態度に、お前の主は誰だよっと一瞬むっとしてしまう。

 そんな俺に気づいたのか、侍女は少し目を伏せた。


「龍子さまは、京極の娘にございます。この戦況を変えるため、その命を京極のために差し出すとのことでございます」


「何を言っている!!」


 慣れ親しんできた侍女の顔が、このときばかりは冷酷な別の人間に見え、思わず俺を掴んでいた手を振り払った。

 侍女はかまう様子もなく、淡々と続けた。


「豊臣のための戦いでありながら、太閤殿下の側室であった龍子さまを殺めれば、石田方の義は無くなる。たかが女の一人の死であれど、その効果はガラシャどのの件で示されている、とっ……」


 あまりの話に、途中から侍女の顔を見ていられなかった。それが一族の女に対する扱いなのかと。

 だが侍女の声がだんだんと涙交じりになってきたことに気づき視線を戻せば、彼女は俯きながらぼろぼろと涙をこぼしていた。

 そのまま嗚咽をこらえるのに必死で、つづきを待つ俺に気が付かない。


 と、部屋のあちこちからすすり泣きが聞こえ、見回せば部屋中の女たちが泣いていた。

 そんな中、一人の奥方が俺の元へにじり寄った。


「龍子さまのお考えは、武家の女として貴いお考えであり、また太閤殿下の元におられたからこその見識の広さとお察しいたします。しかし、我らは京極の一族である龍子さまを人柱にしたくはありませぬ。ありませぬがっ――」


 立ちすくむ俺に、まるですがりつくように必死な手がかけられる。


「京極の姫であるならまだしも、太閤殿下側室のお立場としての龍子さまには、我らが意見すること、ましてや逆らうことなどできないのでございますっ!! 龍子さまは、『初さまには決して言うことはならぬ』とおっしゃいました! しかしこれは、あまりにも無情でございますっ!! 初さま、どうか龍子さまをお止めください。龍子さまをお助け下さいませぇぇっ!!」


 そうだったのか。皆、龍子どのを助けたかったのか。

 胸が熱くなり、俺にすがりつくように泣いている奥方の手を握り返した。


「すべては私が至らないため、皆に迷惑をかけすまなかった。だが聞け! 私は我が身も、無論、龍子どのの身も犠牲にするつもりはない!!」


 部屋中の女たちを見回せば、皆固唾をのんで聞いている。

 俺は時間が惜しいとばかりに、命令を下した。


「誰か、下男でも(だいどころ)の男でもいいから集めよ。手の空いている男どもを連れ、急ぎ龍子どのを迎えに行け。龍子どのが抗うならば、この我が許す! 手荒になってもかまわぬ、引きずってでもこの天守に連れて来やっ!!」


 言い終らないうちに、侍女が数人ほど部屋から勢いよく飛び出していく。

 無礼を咎めるものは誰もいない。

 皆身を寄せ合い祈るように、飛び出していった侍女たちを見送った。


 ふと城の外に気をやれば、ずいぶんと戦の音が近付いている。


下のほう(本丸の入り口)の状況はどうなっておるのであろうな……」

 

 ふと不安をもらしたその時、轟音と地響きにおそわれ、悲鳴を上げる間もなくその場になぎ倒された。




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