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三十二話  開戦

 


「本気で京極家をつぶしにきたか……」


 立花宗茂、九州の大名で秀吉の覚えもめでたく「鎮西剛勇一」とも言わしめた人物である。また大陸遠征の際の活躍は、豊臣配下の者で知らぬものはおらぬといえるほど有名である。

 俺としては、大阪城に出仕していた高次どのが「立花どのがおられると、あの石田三成と場を共にしても心穏やかに過ごせる」と仁徳を褒めていたのが記憶に残る。

 さらに立花家は奥方までもが武芸に秀でており、一時期は女城主として君臨していたと聞く。

 薩摩の島津家といい、九州の人間は男も女も骨の髄まで武人なのだろうか。



 さすがにかの武将の名を聞き、前日の時点で大津城の有利を確認し血気盛っていた兵たちの士気が、目に見えて下がりはじめる。


 だがそんななか、意気消沈した空気を吹き飛ばさんばかりに豪快な笑い声が響き渡った。


「重畳、重畳っ! 戦下手の三成が相手では、戦のしがいもなければ大した武功をたてる機会もないと危ぶんでおったものよ。それがどうだ! かの立花宗茂が相手とあれば、後代まで語り継げる名誉となろうぞぉぉおっっ!!」


 大音声と共に高らかに槍を突き上てみせたのは、赤尾伊豆。


「名高き猛将、立花宗茂を打ち取るのはこの赤尾伊豆なりぃぃっ!!」と声高に叫びながら槍を何度も突き上げれば、その勢いに調子を取り戻した兵たちが拳を突き上げて合いの声を上げ始める。


『応っ! 応っ! 応っ! 応っ!!』


 いまや城中に広がった鬨の声は本丸から三の丸までかけめぐり、天をも振るわさんばかりの大音声となった。



 侍女を従わせ部屋に控えていた俺は、いきなり城中に響きだした男たちの鬨の声に驚いて侍女に確認させ、ことの次第を知った。


「さすが赤尾どの」

「平常時には空恐ろしい赤尾どのですが、やはりこのような荒事の際は頼りになりますね」

「恐れ入ります……」


 今俺の周りを固めるのは、普段から付き添う侍女たちのほかに、普段は武家屋敷に控える家臣の奥方たちも混じっている。

 武装した侍女たちが口々に赤尾を褒める中、反応に困って縮こまっているのが赤尾伊豆の奥方だった。

 龍子どのと山田の方は別の侍女たちを従え、他の場所に控えている。



 女の戦は、生活にある。

 今はただ普段通りの生活をして、戦を前にして張りつめた男たちの精神を慰めてやることが、私たちの仕事である。



 緊迫したまま過ごした昼頃、再び使者の報せが俺の元に届いた。

 これが最後の呼びかけとなるのだろう。

 俺は部屋の侍女たちと顔を見合わせると、あえて袴姿のまま使者の元へ向かった。


 使者のいる部屋に入ると、先に老臣の黒田伊与がもてなしていたようで、俺の姿をみとめると「それではこれで」と頭を下げて出て行った。


 使者は先日と同じく、高台院さまの右腕である孝蔵主。そして浅井の縁者、饗庭局である。

 すでに大津城を囲まれた状態ということもあり、二人の様子は先日よりも切迫した気迫に満ちている。そして対する俺も、はちまきに袴姿で座して構える。


 挨拶を省略し、孝蔵主は言葉少なに書状を差し出してきた。

 神妙に受け取り、何度も折りたたまれた長い書状を開いてみれば、攻め手の武将の名がずらりと並んでいる。

 総大将は毛利元康。


 えっと、……誰だっけ。

 西軍が担ぎ上げた総大将が毛利輝元だから、その流れで大津城攻めの総大将になったのだろう。俺の役目は降伏を訴える使者をしりぞけることにあるから、別に総大将が誰か分からなくても問題あるまい……。


 俺は重苦しい表情を崩さぬまま、使者たちに視線を戻した。

 孝蔵主は、この攻め手たちから状況は絶望的だと説得にきたが、俺はただ首を振り断った。

 やがて、使者たちは城主に会うこともかなわず、大津城を後にしていく。

 これが京極家の答え、そして宣言。


 使者を返して一刻後、城下のほうから鬨の声が上がった。

 総攻撃の開始である。

 城下の前衛に何十もの鉄砲が撃ち込まれ、槍部隊が一斉に攻めかかる。


 と、戦の様子というものを聞いていたのだが、本丸にいる俺にはさっぱり様子がわからない。

 しかも今の俺の恰好といえば勇ましい袴姿ではなく普段の打掛姿で、侍女に囲まれて普段通りに過ごしていた。


 これは高次殿からの命令だ。

 使者の書状を高次どのに直接渡しに行ったのだが、はかま姿を見咎められた。

 曰く「正室がそのような姿でうろうろしていては、よほど追い込まれたかと味方の士気にかかわる。正室は戦など知らぬふうに、いつものように過ごしていれば良い」とのことだった。

 俺も特訓の成果で、何の役にも立てないことはよぉく分かっていたから素直に従った。



「だけど龍子どのは、今も袴姿で薙刀を構えているのに……」

「あの方は名前に『龍』を背負っている方ですものねぇ」


 側にいる侍女にそうもらせば、ころころと侍女たちは笑って答える。

 こんなふうに侍女たちと過ごしていると、本当に戦が起きているのかわからなくなる。


「名前に意味を問うなら、織田家の叔母上なんて『お犬の方』さまであった。信長さまのご長男なんて、産まれた時のお顔が奇妙だという理由で『奇妙丸』さまですよ? そもそも産まれたばかりの赤子の顔を見て、「奇妙な顔だ」とか堂々と口にして、更にそのまま名前にするなんて……」

「まぁ、信長さまは異才なお方でしたから、名付けのほうも独特であられたのでしょう」


 さすがにかの信長公を気軽に笑う者はいないが、それでも侍女たちの顔に笑みが浮かぶ。


「それにわたくしなんて、次女なのに『初』ですよ? 名前に意味を求める方が間違っている」


 本当は次女ではないのだが。

 そう心の中で呟いていると、浅井からの古参の侍女がそっと身を寄せてきた。


『もちろん初さまのお名にも、意味がありますとも』

「え」

『例え女の童に姿を偽ろうとも、この子は浅井家の大切な嫡男である、という意味で、お市さまが初と名付けられたのでございます』

「えぇ!?」


 他の侍女に聞かれないよう極小さな声で囁かれた秘密は、あまりにも大きなものだった。

 思わず侍女に向き直れば、彼女は自分の口元に手を当てて『静かに』と仕草をしてみせる。


『しかし気が細く成長していく初さまを見て、お母上さまは「この子に重荷のような名を付けてしまった」と後悔されました。それゆえお名の意味をお教えすることがなかったのでございます』


 早口で一気に言ってしまうと侍女は一度下がろうとし、考えるそぶりをした後また顔を寄せてきた。


『このことは、わたくしが墓まで持っていくつもりでございました。しかし、今の初さまならばお母上のお心をお伝えしても、重荷に感じることはなく受け止めることができると思い……。出過ぎた真似をいたしました』

「…………」


 そのような感じでいろいろな話をしている間にも、攻城は続く。

 だが昼夜問わず五日間攻撃を受け続けたにも関わらず、大津城は何と前衛すら落ちずに持ち続けていた。



「何というか、攻め手がまとまっておらずそれぞれ好き勝手にやっている感じらしいです」


 と、前衛の兵たちの世話をしている、下女から伝え聞いた侍女から聞いた話だ。

 俺は攻め手の武将たちの名を見ていたので、何となく想像は付く。


 攻め手には大名の立花宗茂をはじめ、秀吉古参の武将『七本槍』の一人・片桐且元など、名高い武将が参加している。

 一応、総大将の毛利元康はあの毛利元成どのの実子であるが、八男で養子に何度も出され、今は分家の毛利である。総大将にこの軍勢をまとめる力量があったかどうか、とても疑わしい。

 ついでに毛利元康の軍には、毛利秀秋も参加している。毛利秀秋は嫡男であるにも関わらず、跡継ぎの座を妹婿である京極高知(高次の弟)に奪われた形になった男だ。……絶対に私怨混じりの参軍と思う。


 そして片桐且元。彼は元々浅井の家臣で、豊臣の家臣になってからも茶々や俺たちに良くしてくれたお方だ。同じく浅井に仕えていた京極家の家臣たちとも顔見知りで、しかも今は豊臣秀頼や茶々の腹心となっている。そんな彼が俺の居る大津城攻めに参加することを、秀頼はともかく茶々が許すだろうか?


 こうやって俺が思いつくだけでも何となく今回の大津城攻め、色々な思惑が混ざり合っていると察する。その結果、各々が好きなように動いて前衛ひとつ落とせないでいるのではないだろうか。



 そんなこんなで、予想以上の善戦に士気がどんどん高くなっているなか。


 総攻撃が始まって六日目の九月十一日、夜。

 赤尾伊豆、そして赤尾と同じく高次どのの近習を務めた武将・山田大炊が、大胆にも精鋭五百の兵を率いて夜襲を決行した。

 五日間、進展もない戦に気が緩んでいたのか、もしくは統率が行き届いていなかったのか。

 突如闇の中にあがる鬨の声に、敵方は大混乱に陥った。

 武器を手にする暇もなく打ち取られる兵。ようやく武器を手に構えれば、始まるのは同士討ち。その間にも、京極軍は存分に暴れまわる。


 やがて灯が次々とともされ、態勢を整えた攻城の兵たちは反撃に出た。これを頃合いと京極の兵たちは、追ってくる兵を軽くあしらい城内に引き返した。


「これなる攻め手は、京極家が家臣、赤尾伊豆なりぃぃぃぃっ!!」

「同じく京極家が家臣、山田大炊なりっ! おのおのがたぁ、留めおかれよっっっ!!」


 しかも堂々と勝どきを上げての帰還である。

 この雄姿に城内は、男も女も老いも若きも皆歓声を上げた。

 秀吉の統治になってからは、大名どうしの戦など耐えて久しい。しかし武勇に優れた者は、やはり敵味方問わず称賛の的である。それが味方とくれば、すでに戦に勝ったかのような熱狂ぶりになっても仕方ないだろう。


『応! 応! 応! 応っっ!!』

 大津城のあちこちから勝鬨の声が上がり、そのたびに空気がびりびりと震え更に城内の興奮をあおる。


「このまま無傷で、京極家の勝ち戦となるやもしれませんね!」

「さすが赤尾どの!! なんという剛勇、近江一の武将にございますな!」

「奥方さま、今宵は酒をお持ちいたしましょうか?」

「それはよろしゅうございますね! 何か食べるものも用意させましょう!」


「こらこら、落ち着きなさい……」


 俺の周りに控える侍女や武家の奥方たちの興奮も、だいぶ夜も更けるというのに収まることをしらない。

 今にも厨に行こうとする侍女を慌てて引きとめた。きっと今宵は、兵たちの酒盛りの用意だけで一杯いっぱいだろう。そう侍女たちを説得しながら、俺も爆発しそうな興奮を周りにばれないように抑え込んでいた。


 これはいける。援軍なんて来なくても、いける!

 高次どののことを『蛍大名』とか言って笑ってた奴、首根っこを洗って待ってろ。バサラ大名京極家に刃を向けたこと、後悔させてやるっっ!!

 城外の軍はいいようにあしらわれた悔しさで、今宵は寝ることもできないだろう! いい気味だ、実にいい気味だぁぁぁああっっっ!!


「……くっ。くっくっくっくっくっっ……!!」

「奥方さまに、気を鎮めるための寝酒を用意しましょう……」



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