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三十一話  腹黒と死にたがり

 


「あの、軍議のほうは……」

「強引に軍議をとめたのは誰だ」

「……おぉぅ」


 ちくり、どころかぐさっと刺さる言葉に思わず胸をおさえれば、「お前と話し合え」と皆に追い出された、とため息交じりに言われた。

 びくびくと様子を伺ってみたが、呆れたような様子はあるが怒ってはいないようなので内心安堵の息をつく。


「城にいた家臣どもから、お前が戦にむけて何やら励んでいたことを聞いた」

「おかげで、己の不甲斐なさをまじまじと実感いたしました……」


 戦のときに役に立ちたくて鍛錬などしてみたが、成果といえば、身の程を知っただけな気がする……。

 

 

「何百年も続く京極家といえば聞こえは良いが、家督争いのさなかに家臣に下剋上され、京極家というだけで命永らえただけでなく、おめおめと居候の身に落ち着いた我が父・高吉」


 突然に淡々と語りだした高次どのにぎょっとし、その顔をまじまじと見つめかえした。その下剋上をしたのは俺の曾祖父なのだが、そんな俺の反応も気にすることなく高次どのは続ける。


「信長さまと将軍・足利義昭さまが対立した際には、京極家の行く末を……わずか七つの俺に託し、いや全て押し付けた」


 京極家は浅井・浅倉家と同じく、将軍・足利義昭を擁していた。

 だが足利義昭が信長さまと対立した際、将軍に従った浅井・浅倉と違い、高吉さまはどちらにつくか迷ったまま、当時七つの高次どのを信長さまの元に人質として送りこんだ。

 そして信長さまには「京極家の判断は小法師(高次の幼名)に任せる」と言ったのだそうだ。


 わずか七歳の子供に丸投げである。

 敵か味方かもわからぬ織田家に放り込まれた幼子は、どれだけ心細かったことか。


 言葉もなく見守る俺の前で、高次どのは歪んだ笑みを浮かべた。


「そのような先代に続き、大局を見誤り幾度となく家を滅ぼしかけた俺だ。そもそも京極家は弟の高知が継げばよかったのだ。あれはよくできた奴で、こたびの戦も迷うことなく徳川方が有利と見抜いた。

 当主がいかに無能であろうと、名門京極家という名に人々は呪詛のように縛られる。あの信長さまや秀吉さまですら、だ。もちろん我が家臣たちも、京極家と言う名に従っているだけ……」

「高次さま、それは――」


 違う! 

 そう続けようとしたが。


「つい最近まで、俺はそう思っておった」

「……はい?」


 さっきまでの苦悩に満ちた顔は何だったのか、というほど晴れ晴れした声で遮られた。

 呆気にとられて思わず間抜け面で聞き返せば、そんな俺の反応に満足したのかにやりと笑いかえされた。


「大谷軍の背中をのたりのたりと追い続けながら、欝々とそのような下らぬことを考えておった。だが京極家の寝返りを危ぶむ大谷軍の探りをのらりくらりと交わしながら一月も過ごせば、さすがの俺も腹が据わる」

「今までずっと悩んでおられたのですか……」


 ついもらせば、高次どのは苦笑した。


「京極家当主である俺が、そのように思っていたのだ。かつて京極を下した浅井家の、嫡男であるお前であれば当然そのように思い、『京極家の戦になど付き合う義理はない』と城を出て行きたがっている、と俺は思い込んでいた」

「し、失礼な! 高次どのを尊敬こそすれど、そんなこと思うわけないでしょうっ!? 今までのわたくしの態度を見て、そんなことを裏では考えていたのですか!!」

「うむ、俺の目が曇っていたようだ。留守中の話を聞いて目が覚めた思いだ。悪かったな」


 俺の激昂にさらっと詫びを口にする高次どのの態度は、ちっとも反省しているようには見えない。

 そのひょうひょうとした様子に、勝手に翻弄されている自分が悔しくてならない。

 あれだけ長いこと、形だけだとしても夫婦として共に過ごし、信頼関係を築けていたと思っていたのに。

 この人は、悩みも疑いも全部きれいに隠して微笑み続けていたのだ。


「……あれだ」

「うん?」

「高次さまは、蛍なんです」

「蛍……大名か?」

「いえ、蛍大名ではなく、蛍なんです」


 高次どのが何を言い出すのかといった顔をしていたが、かまわず続ける。


「蛍の光って美しくて儚く、古今東西より愛され、かの清少納言なんて『夏は蛍』と詠うほど」

「あぁ」


「でも蛍って実際につかまえてよく見ると、がっつり虫で見た目が気持ち悪くて情緒のかけらもないのです。幼いとき、飛ぶ蛍を捕まえて手の中で見たら、あまりの見た目に思わず放り投げてしまいました」

「……そのようなことを」


 俺は少し引き気味になっている高次どのの頬をそっと包んだ。


「高次さまは光り輝き愛でられる蛍のように見目はよろしく、誰にも当たり障りない笑顔で接する。でも実際は、誰にも心を許すことのない腹黒い虫ですっ!!」

「こら、頬をひねるな」


 力を込めて頬をつねれば、高次どのの麗しい顔が変に歪んで少し溜飲が下がる。

 してやったりと内心笑いながら、少し赤くなった頬から手を離せば。


「あっ……!?」


 その手をいきなり掴まれ、強い力で引き寄せられた。

 何をするのかと抗議のために顔を上げれば、思わず息を飲むほど迫力のある笑顔が間近にあった。


「なるほど、俺が蛍か。であればそなたは」


 掴まれている腕に更に力が入り、鼻と鼻が触れそうになるぐらい顔がぐっと近づく。


「かがり火の明るさに引き寄せられ、そのまま火に飛び込む儚い虫だ」

「っっ!」


 投げつけられた言葉にもこの妙な体勢にも、頭が追い付かず言葉が返せない。池の鯉のように口をぱくぱくしていると、目の前の高次どのから笑みが消えた。


「お前は『死』に惹かれている」

「ちがっ――」

「なぜ、今から攻められる城に自ら残ろうとする。なぜ、助け出そうとする姉上からの使者を断った。なぜ、敵に捕まる前に自害しようとする。お前は京極家の正室である前に、豊臣秀頼公の叔母上。石田方の軍は秀頼公を担ぐ者たち、名乗れば無体な真似をする者はおらぬはずだ」


 ――違う。違う!

 必死に訴えようとするが、無意味にあえぐことしかできない。

 

「お前は何かあるごとに、食を絶ち、床に臥せる。幼い頃より死と隣り合わせで身を偽ってきたために、心が細いのもあるだろう。だが生きようとする欲が、お前にはない。いくつもある道の中から、すぐに死を選ぼうとする。柴田さまやお母上に『置いていかれた』と思っているのではないか? お前はこの城で、亡きお父上やお母上の後を追うつもりなのではないか? そのような者は、この城に置いておくわけにはいかぬ」


 違う、と心の中で叫ぶこともできなくなっていた。『死にたい』などと思ったことはない、……はずだ。なのにまるで、本心を言い当てられたように動揺している自分がいる。

 自分の胸に問いかけるように、いつの間にか離されていた手を思わず胸元に引き寄せた。

 

「『生き恥晒してでも共に生きよう』と言った言葉は、お前には届かなんだか……」


 ため息のような小さい呟きに、まるで頬をはたかれたような衝撃を受けた。

 

「違いますっっ!!」


 今まで声にならなかったのが嘘のように、大きな叫び声になった。

 一度出た言葉は、そのまま次から次へと溢れ出る。


「違います、高次どのからいただいたそのお言葉。わたくしはしっかりと受け止めました! 確かに高次どのの言う通り、無意識に死に近づこうとしている面はあるかもしれません。そのことを否定できない自分がいます。ですが! この戦に残ろうとしたのは、京極家のために少しでも役に立ちたかったからなのです。それは誓って言えます!!」

 

 高次どのはいつもの笑みを浮かべることなく、鋭いまなざしで俺を見つめていた。まるで心中を見据えるようなまなざしに、言葉に偽りはないと信じてほしいと祈りながら見つめ返す。

 しばし言葉もなく見つめ合っていると、ふっと高次どのから力が抜けた。


「ならば、生きるために必死にあがくと誓えるか?」

「はい」

「無論この戦に勝つつもりである。しかし、もし危うくなった時は、すぐに城を出て茶々どのを頼ると誓えるか?」

「え、それは……」

「できないのであれば、今すぐこの城からたたき出す」

「誓います! 誓いますっっ!」


 

 その他いくつかの条件をつけられ、この城の残ることを許された。

 軍議の途中であった高次どのは、俺が全て誓ったのを見届けたのち、家臣たちが待つ部屋に戻っていった。


「言っておくが、俺は誰も信じていないわけではない」

 

 そんなひとことを言い残して。




 高次どのを見送ると、俺は大きなため息をつきながら腰を抜かしていた。


「こ、怖かった……」


 信じてもらえていなかった意趣返しのつもりで指摘してみたが、思わぬしっぺ返しをくらってしまった。

 まさか自分が死に惹かれているなんて、思いもしなかった。だけど「共に生きよう」と言ってくれた高次どのを裏切りたくはない。これからは意識して『生きる道』を選ばないと、と心に誓う。


 しかし、先ほどの高次どのを思いだしてまたため息が出る。

 当人はさらっと告白してくれたが、とんでもない高次どのの闇を見てしまった。『京極家』や自分をあんな風に考えていたなんて、ちっとも知らなかった。

 

 あれは「腹黒い」とか『虫』とか生易しいモノではない。幼少期の体験のせいだけではなく、代々続く由緒正しき名家特有のまがまがしい『蟲』だ。しかもあれはほんの一部で、高次どのの抱える闇はとても深いと思う。


 思えば大事な跡継ぎをつくることに消極的だったのも、自分の次に弟君を就かせるためだったか。いや、それどころか自分の血を継ぐ者を残したくなかったのかもしれない。今も高次どののお子は、跡継ぎの熊麿だけだ。側室だって山田の方だけ……。

  

 そういえば婚礼の日、今思えば高次どのにしては妙にはしゃいでいたような気がする。しかも一度だけだったが、身体を執拗に調べていた。あれって、跡継ぎをつくる必要のない男が嫁いできたから、つい酒もあって気が緩み、更に念には念を入れて男だと確認していたのだとしたら……。

 うわぁ、考えれば考えるほど闇が深い……。

 

 男なのに受け入れられたのは正直うれしかったが、そんな裏があったと知ったら正直、重い……。

 だけど。

 だけど、こんな俺だからこそ役に立てるということは、実はとんでもない奇跡のめぐり合わせなのかもしれない。


「いや、そんな立派なものじゃなくて、ええっと……。あれだ、『われ鍋にとじ蓋』ってやつだ……」

「あらあら。奥方さまのご機嫌がなおったようで、よろしゅうございましたね」

「おわぁぁっ!?」


 気が付けば、いつの間にか戻っていた侍女たちの、幼子でも見守るような視線に囲まれていた。





 その日、太陽が山肌に沈もうかという頃。

 大津城の南西、城全体を見下ろせる長等山の中腹に、陣を張る軍勢が確認される。

 兵の数は一万に足らずといったところか。

 掲げた旗は毛利軍。伏見城攻略を済ませた後、こちらに回ってきたようだ。


 京極の兵が三千。

 今の時点で敵は京極家の三倍の数であったが、本来の籠城戦では攻城側は五倍、いや十倍の兵で挑むのが定石だ。

 やはり徳川軍との戦に戦力を回すため、こちらに兵をさく余裕がなかったと見える。

 徳川軍と石田軍の衝突は、どうも大津から遠く離れた東のほうで近々あるという大方の予想だ。

 こちらも援軍の見込みはないとはいえ、向こうからしたらあくまでも徳川軍との前哨戦。長いこと持ちこたえれば、本戦へ兵力を集めるために攻城を諦めるかもしれない。



 城中に報せがいきわたると、男は甲冑姿へ、女は鉢巻きに袴姿へとなり、一気に空気が物々しくなる。

 見張り櫓からの情報では、野営の準備だけですぐに攻めてくる様子はないとのことだった。天守から長等山の山腹をのぞめば、隠すことのない幾千ものたき火が見える。飯の支度でもしているのだろうか。


 その日はすぐに迎え撃てる状態のまま各々床についた。

 戦の予兆がすぐ側に控えるなか、眠りにつけた者は大津城にどれほどいたことか。




 夜が明けうっすらと陽が差してきた頃、山腹の敵陣を見張っていた兵が、大将の高次どのの元へ転がり込んできた。

 まだ本隊が合流しきっていないようだが、増援の軍が現れ次々と増えているとのこと。

 掲げる旗は祇園守紋。

 それは九州の猛将、立花宗茂のものであった。




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