三十話 居る場所
三成方から説得の使者が訪れるのを予期していた高次どのは、『使者には会わず』と取り次ぐことを拒否していたのだが、この使者は大津城へ受け入れられた。
使者が女人であったこと、そして謁見を申し入れた相手が。
「初さま、お久しゅうございます」
「遠路はるばるご無事で何よりでございます」
京極家正室である、俺だったからだ。
お互い頭を下げて挨拶をしあったのち、俺は気合を入れ直して使者たちに向かい合った。
使者の一人は、今は出家して高台院を名乗るねね様からの使者、「考蔵主」。彼女はねね様の右腕として大阪城でも辣腕をふるっていた女房で、秀吉と不仲になった秀次の元へ使者に行ったのも彼女だった。
そしてもう一人の使者、饗庭局。彼女は大阪城にいる茶々からの使者で、父・浅井長政のいとこでもある。大蔵卿局と同じく茶々の乳母であり、茶々が豊臣に嫁いだ後もそのまま大阪城で茶々に仕えている。
もうずいぶんな時間、この二人の使者から開城するよう説得を受けている。
石田三成からの降伏をうながす書状や、高台院さまからの書状などを出されるも、一応預かりはするが決して高次どのには渡さない。
どのような懐柔の言葉をささやかれても、頑なに断り続けていた。
やり手の女房たちを前に、いい加減あきらめてもらえないかと疲労に苛まされてきた頃。攻め手を変えてきたのか、孝蔵主が茶々と高台院さまの名を出し始めた。
「大津城は今三成方に包囲されており、苦境にたたされるのは戦に疎いおなごの身でも明らか。高台院さまをはじめとし、茶々さまもお心を痛めておいででございます。戦を留める事ができないのであれば、茶々さまの御妹君であらせられる初さま、そして太閤殿下の側室であられた龍子さまを戦が始まる前に、大津城からお救いいたすよう仰せつかりました」
確かに、俺が逆の立場なら即座に迎えの使者をよこす。
だけど俺はこの京極家のために戦うと決意したし、龍子どのにいたっては自ら敵を討つ覚悟でいる。
高台院さまと茶々の心遣いと、女人の身で戦地に乗り込んでくれた使者の二人に感謝しつつ、はっきりと断りを入れた。
だが続く二人の反応は、さきほどまでと違い目に見えて狼狽え始める。
孝蔵主は困惑の様子をかくさずに口を開いた。
「……あの、初さまと龍子さまのことは、実を申し上げれば、京極どのからの申し出なのでございます」
「は?」
思ってもいなかった言葉に、つい眉間にしわが寄る。
そんな俺にどう思ったのか、今まで黙っていた海津殿が孝蔵主を支援せんとばかりに声を上げた。
「京極家のご当主どの御自ら、茶々さまと高台院さまに『奥と妹をお願いしたい』と書を出されたと、我が主茶々さまよりお伺いしております」
「わたくしも、そのように」
「…………」
あぁ。
そういうこと……。
俺はじわじわと身体の中から湧き出る衝動を抑えるように、眉間のしわを指でゆっくりとほぐす。
そしてぐっと腹に力をこめた。
「我らに行き違いがあったため、お二人には御足労をおかけしたこと、大変申し訳もなく。しかしわたくしも龍子どのも、この大津城と命運を共にする覚悟ができておりまする。どうか、高台院さまと姉上さまには、我らの武運をお祈りいただくようお願いいたします」
頭を下げれば、二人からは思わずといったため息がもれた。
二人の使者を乗せた籠が、無事に城下へ抜けたのを見送った後、俺はきびすを返して城内の一室を目指す。
日課にしている足の鍛錬のおかげか、風を切るように歩く俺に、珍しく侍女が小走りになって付いてくる。
目当ての部屋の前にたどり着けば、取次の家臣が「今は軍議の最中でございまして……」と留めようとしてきた。だが、俺の剣幕を見るとそのまま引き下がり、閉じたふすまの向こうへと俺の来室をおずおずと告げる。
勢いづいていた俺は入室の許可が返ってくる間も待たず、遠慮なしに襖を開けると同時に部屋に滑り込んだ。
戦の話に熱中していたためか、血気盛った武将たちの目が一斉に俺を迎えた。
「……初、」
「大阪からの使者どのには、お帰り頂きました」
俺の無作法を咎めるような高次どの声を遮り、殺気めいた家臣たちを見下ろしながら淡々と告げる。
そんな俺に高次どのは「そうか」と一言だけ返すと、用は済んだとばかりに軍議に戻ろうとする。が、ふと思い立ったようにもう一度俺に視線を戻した。
「出立の日取りが決まりしだい、また知らせるがいい。戦の前とは言え、城の者たちと別れを惜しむ宴くらいは行う余裕もある」
「誰が出ていくと申しましたっ!? わたくしはこの城に残ります!!」
出ていく前提かっ!!
高次どののあまりにもそっけない態度と言葉に、ただでさえ頭に上っていた血が更に沸騰して思わず怒鳴っていた。
しかし憤る俺など目に入らぬように、高次どのの態度は変わらない。
「初、場をわきまえよ」
「いいえっ、今ここで言わせていただきます。わたくしは京極の者として、ここに残ります!」
俺の叫び声に、家臣たちの戸惑う声がさざ波のように部屋にざわざわと広がる。
いつもの俺ならば家臣たちの前で声を荒げることも、そもそもこんな軍議の場に飛び込むような真似もできない。だが頭に血がのぼっていた俺はそんなこと気にする余裕もなかった。
軍議の場を乱されたせいか、一気に高次どのの顔が険しくなった。
「……うっ!!」
殺気めいた高次どのの凄味に気圧され、燃え盛っていた俺の怒りは、頭から冷水をぶっかけられたようにあっけなく霧散した。
興奮が冷めてみれば次にこの身を支配するのは、勢いだけでやらかした己の失態の数々への後悔のみ。
広間を満たすざわめきに更に追い詰められ、血の気のひいた手を所在なく握りしめたときだった。
「奥方さま」
かけられた野太い声に、思わず身をすくませながらおそるおそる視線をやれば、高次どのと変わらぬぐらい険しい顔をした赤尾の姿があった。
その視線にも殺気がこもっているような気がして、縮こまっていた身体が更に強張る。
「殿は奥方さまの身を案じて、使者を呼んだのでございます。奥方さまはお小さい頃より、二度も落城の憂き目にあわれた。こたびの事、決して奥方さまを無下にしたわけではござらぬ」
まるで労わるような赤尾の声に、思わず目を見開いてまじまじと見返す。険しい顔つきは相変わらずだが、その厳つい顔が少し柔らかく見えた。
そして高次どのは、そんな赤尾を睨み付けている。
高次どのの恐ろしい視線が俺から外れたことで、少し勇気を出して口を開いた。
「いえ。殿のお心を疑ったことはございませぬ。戦支度の忙しい中、わたくしめのために差配して頂いたこと、誠に感謝しても足りませぬ。『足手まといゆえに出て行け』とお命じになられるのであれば、二言もなくそのご指示に従いましょう。しかし『わたくしのため』と仰るのであれば、どうかこのまま大津城に置いて下さいませ」
「この戦は我ら京極の意地。そなたは茶々さまより預かった身なれば、この戦に巻き込むわけにはいかぬ」
「……それは、わたくしは『京極の者にあらず』ということですか?」
「誰も、そのようなことは申しておらぬだろうが」
気が付けば、まるで道理もわからない女の口答えのようになっている。
家臣たちも『荒事に口を出す奥方のわがままか』と迷惑そうな顔をしだし、高次どのも俺を追い出そうと立ち上がった。
いやいや、言いたいことは違うし、まだ言えてないからっ!
このまま部屋を追い出されてはかなわないと、俺を掴もうとする高次どのの手から逃げて向き直った。
「仰るように、わたくしは二度の落城にあい、そして二度逃れて生き延びました」
「ならばこそ。浅井さまや柴田さまが逃して生かしたその身、ここで戦に巻き込むわけには」
「そう、柴田さまもわたくしのことを織田家から『預かったもの』として逃がしてくださいました。そのおかげでこうして生き延びていること、真に感謝しております」
ならば何故このような、と高次どのが顔をしかめる。
その渋面を見ていると、間違いなくお互いを案じあっているのにすれ違っていることが、どうしようもなく切なくなった。
「しかし、父としてお慕いしていたお方から、『お前は家族でない』と、突き放されたような思いでもありました……っ」
気が付けば、頬を熱い雫が流れ落ちていた。
柴田勝家どのの、厳ついけれどお優しい顔が目に浮かぶ。俺を信長さまの姪と敬い、決して『父』と呼ばせてくれなかったお方の、優しい拒絶を思い出す。
「そして今度は。夫としてお慕いしたお方に、わたくしは。…………捨てられるのですかっっ」
そう口に出したとたん、溢れてくる涙は勢いを増し、気を抜けば幼子のように泣きじゃくりそうになる。さすがに大勢の家臣の前でそのような無様な姿をさらすわけにはいかず、必死に唇をかみしめる。
だけど。だけどこれだけは知ってほしい。
俺は止まらぬ涙をそのままに、できる限り声が震えぬように気を付けながら口を開いた。
「住む城を奪われても共にいる人がいれば、そこがわたくしの居る所となりましょう。わたくしから帰る場所を奪うのは、城を攻め落とす敵方ではありません……」
どうか、わたくしから居場所を奪わないでください
最後は少し声が震えてしまったがどうにか言い切ると、そのまま退出の許可もとらず逃げるように部屋を後にした。
「う~わ~」
自分の部屋に戻った俺は、思いのままに吐き出してすっきりとはいかず、やってしまった……と頭を抱えて後悔のまっ最中だった。
「奥方さま、あまり動かないでくださいませ。布がずれてしまいます」
「は、はいぃぃ……」
しかも部屋に戻ってからも泣きまくったせいで瞼が腫れあがってしまい、侍女から濡れた布を充てられて冷やしていた。
あぁ、重ね重ねみっともない……。
「目の腫れがもう少しひいたら、わたしの荷物をまとめておいて」
「あら、決して城を出て行かないと、殿を前に派手に啖呵を切ったとお聞きしましたが?」
「うぅ、今はそれを言わないでぇぇぇ……」
思わず身じろぎすればまた侍女から叱責され、思わず大きなため息がもれる。
「あれだけの家臣の前で、殿に恥をかかせてしまった。家に叩き返されるのが当たり前でしょう……。そもそもわたくしには帰る家などない、どこを頼ればいいだろう……。茶々のいる大阪城へ行けば、石田方の人質にされる可能性もあるし……」
「大阪城には熊麿さまもおられますから、奥方さまが共にいれば心強いとは思いますが……。何より豊臣に君臨される姉上さまがおられるのです、人質になど心配なさる必要はないでしょう」
「そうか、熊麿は京極家の大事な跡取りだけど、離縁されたわたしは京極家にとって赤の他人。人質になる価値もないか……」
「奥方さま、どうしてそんな考えになるのですか……。ちゃんと殿とお話になってくださいね。それではわたくしはここで失礼いたします」
閉じたまぶたの向こうで冷えた布の感触が無くなり、侍女の声が遠ざかる。
よくよく耳を済ませれば、他の侍女たちも部屋を出ていく音がする。
主人の愚痴を聞くのも侍女の仕事じゃないかっ!っと重いまぶたを開けてみれば。
「……おおう」
部屋の中に侍女の姿はひとりもなく、その代わり目の前に、どっしりと腰をおろした高次どのがいた。