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二十九話  戦支度

 


 重臣二人が城を出て行ったあと、残された人々はそれぞれの役割を果たそうと動き出す。


 俺も、最近の日課となっている龍子どのとの訓練に向った。

 龍子殿の屋敷に近づくと、中庭の方から女たちの勇ましい掛け声が聞こえてくる。

 俺も額に鉢巻をしめ後ろ髪をくくり、小袖を紐でくくり上げ、はかま姿という戦用の恰好で決めてある。


 はじめてその恰好をしたときは、俺も少しは武者のように見えるかと期待したのだが、侍女たちから「大丈夫です、奥方さまはわたくしどもがお守りいたします!」と口々に言われた。

「勇ましいとか、凛々しいとか言ってくれると嬉しいのだけど……」

 京極の侍女たちだけでなく、俺の事情を知っている浅井の侍女もいたのでそう口にしてみたが、侍女たちは何か曖昧に微笑み返してくるだけだった……。


 

「初さま」


 思いだしながら少々落ち込んでいたおれは、龍子どのの声で我に返った。

 いかんいかん、気を引き締めないと。龍子どのはあのおしとやかな外見に似合わず、かなり厳しいお師匠様なのだ。

 きりっと顔を上げると、龍子どのに頭を下げた。


「龍子どの、今日もよろしくお願いいたします」

「はい。では今日の鍛錬は……、昨日より距離を伸ばして二の丸をぐるっと回ってきましょう」

「はい」


 返事をするがいなや、飛び交う勇ましい掛け声に背を向け、俺は龍子どのの屋敷を後にする。

 俺の後ろに付き従うのは、袴と鉢巻き姿の侍女三人。侍女たちの手には薙刀。

 本来は男である俺は手ぶら。



 幼いころから男を隠さなければいけなかった俺は、ほとんどを部屋の中で過ごしていたために、この城で一番ひ弱だった。

 薙刀を持って振り回すどころか、本丸をちょっと歩いてまわれば、息切れして足が震えて動けなくなる体たらく。


 侍女たちは普段俺の側にいるものの、交代で城のあちこちを歩き回っているし、物を運んだりするので体力はある。

 俺よりか弱く見えた山田の方にいたっては、身分が低く農民のような生活をしていたので、普段から鎌や鍬を使って畑仕事をしていた。なので体力は元より、初めて扱う薙刀も様になっていた。


 つまり、俺はこの城で一番使えない奴だった。


 いざという時は侍女や龍子どの、側室の山田の方を守ろうと気負っていたのでめちゃくちゃ恥ずかしい……。



 ということで、俺は毎日城の中をえっちら、おっちらと歩き回っていた。


 体力づくりの意味もあるし、同時に大津城の位置情報を頭に叩き込んでもいる。

 戦が始まれば城中を駆け回り、奥方として味方を鼓舞して回ったり、兵糧を配って回ったりしなければいけないからだ。

 これは、かつて若狭・武田家の奥方として戦を経験した、龍子どのから教えてもらった。

 戦陣で将たちの士気を上げるのが大将であるお屋形様の仕事なら、城中の人々の士気を上げるのは、奥方の仕事でもある。どんなに有利な状況であっても、士気が下がればそこで一気に崩される。

 人たらしの秀吉は、そこがとても優れていた、と龍子どのは静かに語った。



「奥方さま、ここらで一度ひとやすみいたしましょう」


 無心で足を動かして歩いていると、後ろに従っていた侍女が敷物と竹筒を用意してくれた。ありがたく敷物に腰を下ろすと、額を流れる汗をぬぐいながら竹筒に口をつける。

 八月の終わりの日差しはまだまだ強く、すっかりとぬるくなった水も身体にしみわたるようにうまい。


 その間、侍女たちは薙刀を手に控えている。何度か一緒に水分補給をするように声をかけたのだが、彼女たちは礼を言った後で「我らは奥方さまの体調管理と、奥方さまを戦中に警護する訓練の最中でございます」と何とも逞しい笑顔で断られた。


 つまり彼女らは、戦という異常事態中にひ弱な俺がちょっとでも体調を崩した時に気が付くよう、訓練をしているのだ。

 つまり彼女らは、薙刀と俺のお世話道具を持った状態で、俺の体力作りに付き合ってくれているのだ。


 ……本当に俺って男のくせに役立たずすぎる。




 九月三日。

 夜も明けぬ薄闇と霧に覆われた琵琶湖に、何十もの船団が突如音もなく現れた。

 見張りの兵が驚きたいまつの火をかざしてみれば、船に次々と上がる平四ツ目結の旗。

 京極高次率いる二千の兵、大津城に帰還である。



 主の帰還に、ようやく眠りから覚めようとしていた大津城に次々と灯がともされていく。

 城内に帰ってきた兵たちは、遠征のため泥で汚れたり小さな傷があったりとしたが、大きな怪我をしたものはいなかった。

 出迎えの者たちはそのことを喜びたいのだが、兵たちの顔が皆ギラギラと殺気をまとっており、声をかけるのがためらわれる。

 また、兵たちも無事に帰還したというのに、安堵の声をひとことも漏らすことなくただ黙々と入城していく。

 そのため大津城に響くのは、兵たちの甲冑の音と、湖に潜む鳥と虫の鳴き声だけという異様な状態になっていた。




 高次どのは帰ってくるなり、湯浴みどころか甲冑を外す暇もなく家臣を集めた。


「まずは、大谷軍に悟られることなく、無事にこの大津城に帰還したこと、ご苦労であった」


 帰還したばかりの兵士たちが頭を下げる。

 その様子を見た留守組の家臣たちが顔を見合わせたのち、上座に座る高次どのを見上げた。


 石田方の軍に見つからぬように帰還した。

 それはつまり。


「これより我ら京極家は、石田方西軍より離反。徳川方にお味方する!」


 高次どのの一声に、その場にいた家臣は皆一声も発することなく頭を下げていく。

 その異様な静けさが、より人々の内にくすぶる昂ぶりを知らしめた。



 次に高次どのは、徳川家家臣・井伊直政に密書を出し、北上する西軍を近江の関、大津城でくい止める事を伝えた。

 更に城下へ、必要最低限のものを持ち出し避難することを命じた。籠城をすれば城下町は戦場にもなるし、敵方へ食料をみすみす与えることになる。


 そのほかも細々と家臣たちに指示を出した後、高次どのは食事と湯浴みを済ませ、そのまま倒れるように眠りについた。



 高次どのとろくに話もできなかった俺のところへ、黒田伊与が事情を知るものをよこしてくれた。

 その者の話によると、京極の兵は前田家討伐に出たものの、途中で美濃へと行き先を変更するよう命じられたらしい。

 そこで黒田伊与と赤尾伊豆が追い付き、城を明け渡すよう石田三成から要請(いやほぼ命令か)が出たことを知り、大津城に引き返すことを決意した。


 だが大谷吉継もそこは懸念していた。そのため京極家には朽木元網どのが監視につけられていたという。

 二千の大軍が引き返し始めれば嫌でも目立つ。謀反を気取られれば、たちまち大谷軍が京極軍に牙を向いてくる。

 そこで高次どのは地元の漁師たちに話をつけ、驚くほどの短期間で全員分の船を用意させたのだ。


 こちらの動向を探る大谷軍に知られぬよう、大量の船を用意する苦労は計り知れない。また行軍の間も監視の目はついてまわり、船に乗ってからはいつ背後から大谷軍に攻められるかと極度の緊張状態が続いた。

 それゆえにあの異常に静かな帰還となったようだ。

 報告をしてくれた兵に礼を言い、行軍の疲れをねぎらいゆっくりと休むように下がらせた。



 次の日、城下町や武家屋敷に残された米やみそを回収し、兵糧として城内に運び入れた。


 大津城は戦に不向きと繰り返してきたが、城全体はとても大きい。

 大津城で籠城戦にもちこむ利点といえば、大きさゆえに本丸まで距離があることと、他の城に比べて倍ほどもある堀である。


 湖に付きだした本丸、それを囲むように内掘がありその外側に二の丸が控える。

 更に外側に三の丸があり、その外側は大津城と城下町を隔てる、水路としても利用されている大きな外堀がある。

 この堀には湖の水を引き込んでいるので幅もそうとうなもので、船が二隻余裕ですれ違えるくらいにはある。


 戦の支度として、この外堀をつなぐ三つの通路のうち二つを封鎖、一つには関をおき門の守りを固めさせた。


 万が一堀を突破できたとしても、三の丸を囲む石垣は本丸や二の丸に比べてとても高く、敵の侵入を堅固に阻むことができる。

 だが逆に言えば三の丸を突破されてしまえば後はもろく、一気に二の丸も本丸も陥落してしまうだろう




 九月六日、城の防御を高めるために半日もかけて城下町や三の丸の侍屋敷を焼き払った。

 残酷なようだが、この屋敷や家が敵の楯や隠れ蓑になってしまうからだ。

 すでに無人であるが、かつて人の営みの場であった所を何一つ残らぬように焼き払う光景は、見るものの胸を罪悪感でしめつけた。 




 戦支度が整った九月のはじめ、大津城に使者が訪れた。





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