二十八話 背負いし業
三成からのあまりの要求に感情的になっている浅井、京極の侍女たちをなだめつつ、書状の内容を伝えに来た侍女に向き直った。
「それで、城の明け渡しを告げた使者への対応は、どのようにしている?」
「今すぐ返事を聞かせろと迫る使者たちに、黒田どのと赤尾どのが頭を下げ、主の意向を聞くまでは返事ができぬと頑として拒否している状況です」
激昂した赤尾が使者を切り捨てたのではと心配していたので、ほっと溜息をつく。
礼儀にかなわぬ使者ならば、別に切り殺してその首を送り返してもかまわない。
だけど主である高次どのがいない今は、己の感情だけで突っ走るわけにはいかないのだ。
しかし主がいないのを承知でいますぐ返事を求めるとは、何という横暴だ。
いや、返事なんて求めていない。
ただ命に従えということなのだろう。
侍女から聞く使者の態度に、いったん落ち着きかけていた侍女たちの怒りがまたぶり返す。
俺の後ろでやいのやいの騒ぐ声を聞いていると、豊臣の縁者でありながらちっとも京極の役に立ててない自分が何だか申し訳なく思えてくる。
さっきまで握りしめていた扇で、思わず自分をパタパタと仰いだ時だった。
「失礼つかまつる!」
俺に報告をしていた侍女の後ろから、黒田伊与と赤尾伊豆が部屋に飛び込んできた。
あまりの二人の勢いに、侍女はその場から飛び退き、俺も気圧される。
いつも飄々とした黒田伊与の切羽詰まった顔と、顔を赤黒く染めて必死に激情を押し隠している赤尾伊豆の鬼神のような気迫が、事態の深刻さを突きつけてきた。
「奥方さま。我らはこれより城を出て、殿に沙汰を伺いに行きまする」
「えっ!?」
黒田伊与が頭を下げて言うが、一大事とはいえ重臣が二人ともこの城を抜け出るというのは、さすがに手薄になりすぎるのではないか。
そんな心配をする俺に応えるように、赤尾伊豆が口を開いた。
「それがしはこれを機に籠城し、徹底的に抗うべきと。だが……」
そこで赤尾伊豆は一旦口を閉ざすと、ぎょろりと目だけを動かし、隣に座る男を睨み付けた。
「この黒田めは、城を明け渡すべきと申しておりまする」
「!」
思わず黒田へと目をやれば、俺に叱責されると思ったのか、黒田は額を畳につけんばかりに頭を下げ声を張り上げた。
「この大津城、守るにはあまりにも頼りなき城でございます! 殿も出陣はいたしましたが、どの軍とも刃を交えるおつもりはございませぬ。徳川と石田両軍がぶつかるのは、この大津から遠く離れた地になるもよう。ならば! ならば抗うことなくこのまま城を明け渡し、離れた戦況を見守ることが、一番この京極家にとって良い道でございますっ!!」
「…………」
先代、いや先々代の時代から、京極家存続の危機に立ち会ってきた老臣の言葉の重みに、つい返す言葉を失う。
つまり開城派と抵抗派の二人が、お互い抜け駆けしないように共に高次どのに報告し、己の考えを述べあうというわけか。
「わかりました。しかし重臣である二人が抜けたことは、決して周りに悟られぬように。できるかぎり早く戻ってきてください」
もちろん二人がいない間に使者とやりあうなんて、俺には無理だ。
急いで城を出る前に、代理の者を誰にするか二人に確認していると、まるで俺を睨み付けるような赤尾の視線とかちあった。
あまりの視線の強さにかなり気圧されながら、気になって俺から切り出してみた。
「赤尾どの、なにか……」
「無礼を承知で言わせていただく。もしこの大津城で戦が始まれば、奥方様はいかがなさるおつもりか?」
俺の後ろに控えていた侍女たちが、赤尾の態度に身を乗り出そうとしてきたのを手をおさえ、つづきを促した。
「奥方様は小谷、北の庄と戦にあい、そのたびに織田、豊臣に庇護されて逃げ延びてこられた。しかし此度の大津では、ひとたび戦が始まればそれもかなわぬ状況。我らが殿を追いかけ、戦か開城か決まるまでが、奥方様はこの城を出てどこぞへとかくまわれる最後の機会かと」
「赤尾どのっっ!! なんと無礼極まりない――」
「よい。赤尾どのの言う通りだ……」
赤尾は周りからの非難の声をものともせず、ひたすら逃げることは許さぬとばかりに俺を見上げてくる。
俺をまっすぐにつらぬく赤尾の言葉に、思わず目を閉じて天を仰ぐ。
胸をしめつけるのは怒りなどではなく、「やはり許されてはいなかったか」という重く苦いものだった。
赤尾の父上は、我が父浅井長政を追って命を絶った。
浅井の前妻の子であった万福丸は串刺しの憂き目にあったというのに、嫡男である俺は織田に保護され、のうのうと女の姿をして生き残っている。もしかすると、万福丸と赤尾は面識があるどころか、齢を考えると共に遊んだ仲だったかもしれない。
しかも俺は生き延びているだけではなく、赤尾が使える京極家に正室として入って来たのだ。
これを許せという方が無理だろう。
今まで後ろめたさもあり赤尾を避けていた。というか、接する機会はほとんどなかった。
もしかしたら赤尾のほうも、俺を避けていたのかもしれない。
胸に重くのしかかるものを吐き出すように深く息を吐き、目を開けて赤尾の視線を受け止める。
彼にとって俺は目障りでしかない。
それでも、俺は。
「わたくしは、なにがあろうともこの大津城に残ります」
「戦のさなかでは奥方様であろうが、弓矢も鉄砲の弾も避けてはくれませぬぞ。さらに申し上げれば、奥方様が豊臣の縁者であろうとも一切かまうものはおりませぬ。敵方の兵に捕まれば、どのような辱めを受けることになるか――」
「いい加減にせぬかっっ!!」
俺を更に追い詰めようとする赤尾の言葉を、見かねた黒田が激昂して止めた。
「黒田どの、ありがとう。しかし赤尾の言うことはもっともです」
赤尾は俺が男だと知っている。
もし俺が敵の兵につかまり男だとばれたとき、京極家や高次どのに恥をかかせないかを心配しているのかもしれない。
これ以上恥の上塗りをする気かと。
「恥ずかしながら、わたくしは真の戦の恐ろしさを知りませぬ。二度の落城のときは幼く、周りに言われるがままに逃げ延びてまいりました。しかし――」
そこで俺は胸元から懐剣を取り出すと、赤尾に掲げてみせた。
「わたくしはこの大津城に、京極家に残り共にあることを己で選びます。この身に背負いし業も、全て己の責と心得ております」
何かあったときは生き恥を晒す前に命を絶つ覚悟だと、精一杯の力をこめて赤尾の視線に応える。
しばし見合ったのち、ふっと視線がそらされた。
「時が押しておりまする。御無礼ながらここで失礼つかまつる」
黒田は頭を下げると、赤尾を押し出すように部屋を出て行った。
そらされたままの赤尾の視線は、再び俺に向く事はなかった。
黒田伊与と赤尾伊豆が城を出て数日後、全く予想もしていなかった所から仰天の話が飛び込んできた。
「えぇっ、秀信さまの岐阜城が落城っ!? 何があったのだ!」
織田秀信さま、かつての幼名を「三法師」といい、信長さまのお孫さまにあたられるお方だ。
秀吉の権力の道具として扱われた後、成人後は豊臣家に仕え岐阜城城主として活躍されていた。
今では織田を継ぐ、唯一のお方となる。
織田家にも縁の深い俺付の侍女が、俺以上に動揺しながら報せを告げた。
「それが、三成方についていたそうなのですが、家康軍の先鋒隊に打ってでたところ敗れ、そのまま籠城戦へと。そして落城し、自刃しようとしたところを説得の末、開城したそうでございます」
「岐阜城が攻められたのか!」
俺の頭に、大勢の軍に迫られ開城を突きつけられた伏見城、田辺城がよぎる。
「かつての主君、織田家に対する何という無礼! そこまで両軍見境がなくなってきているということか?」
どのように「道義や理は我にあり」と唱えたところで、ひとたび戦が始まれば血に酔った人間は略奪をしたり乱取りにはしるなど、人は見境が無くなるものだ。
思わず眉を寄せた俺を前に、侍女は目線をさまよわせはじめた。
「……いえ。岐阜城の近くを通りかかった徳川軍に、秀信さまが軍を出されたそうでございます」
「……え?」
「信長さまの嫡孫という自負からか、初陣を華々しく飾りたいと力が入り過ぎたのでしょう……。突撃し、それからたった一日で落城の憂き目にあったそうで……」
つまり、出なくてもよかったのにちょっかいを出したあげく、逆に返り討ちにあい城も落とされたと?
「……何という浅はかな」
あまりのことに力が抜け、そのままへたり込んでしまう。
これで秀信さまは、良くて出家、最悪処刑。
つまり「織田家」という一門は無くなるのだ。
石田三成と徳川家康の戦いで、こんな飛び火が織田家に降りかかるなんて……。
「秀信さまは確かまだ二十と少しとお若く、お父上も本能寺の変の折に打たれ、残された縁者たちは互いに後継者争いで滅ぼし合い、頼りにできるお方がいませんでしたものね……」
「…………」
侍女の言葉が頭に入らず、返事をする気力もない。
「しかしこうなりますと、焦って動かずにどっしりと構え、大局を見極めようとされておる我が殿の胆力に感服するばかりでございます」
なかば放心している俺を慰めようと、侍女は話題を変え高次どののことを褒めはじめた。
そんな侍女の隣でなぜか俺は、安土城にいた頃の、幼い三法師さまのあどけない笑顔と小さくて柔らかな手を思い出していた。
その後、秀信さまは敗将として処刑の危機にあったが、福島正則の嘆願で何とか命を取り留めたという。
だが出家のために高野山へ入ろうとするも、祖父の信長さまが高野山攻めを行ったことが原因で入山を許してもらえなかった。
その後どうにか許しが出て、秀信さまは異例の期間を得て十月二十八日にようやく入山できた。
出家して現世のしがらみを断ち切ったはずであったのに、入山した後も秀信さまに安寧の日々が訪れることはなかった。
信長さまの件で迫害され続け、ついには高野山を追放されてわずか数年後に身体を壊して亡くなったと聞く。
享年二十六。
幼き頃から権力の道具として扱われ続け、最期には信長さまの業を背負わされた、あまりにも悲しい人生であった。