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二十七話  度重なる要求

 



 八月一日、徳川軍の伏見城が落城した。

 圧倒的な戦力差を前に、大方の予想をはるかに上回る善戦であった。

 あまりにも長引いたため、業を煮やした石田三成が兵を引き連れて伏見城へ駆けつける一幕もあったという。



 だがそれでも大津城に近い城が落ちたことは、我らに暗い影を落とすことになる。

 伏見城を落とした大勢の大名たちは、徳川軍と戦うためにそのまま東へと移動していった。



 この頃城内では「いつ徳川方に名乗りを上げるのか」という疑問の声が、家臣や侍女から囁かれるようになっていた。

 高次どのからは、今だ明確な下知は出ていない。

 時期を見誤れば伏見城の二の舞になる。それゆえに誰もが息をひそめて状況を伺うしかできなかった。




 伏見城が落ちてすぐ、戦装束に身を包んだ大谷吉継の軍団が再び大津城を訪れた。



「出陣、にございますか」


「左様。我らは越前に侵入した、前田利家を討つべく北上しておる。京極どのには我らのしんがりを務めて頂きたい」


 大谷吉継は、総大将毛利輝元の名でしたためられた書状を持ってきていた。


 総大将の名入りとあれば恭しく授かるものであるが、豊臣家のための戦いに豊臣家の命をもらえないという現状を表している。

 しかも大谷吉継を実際に目にすることができた城内の者の話では、何やら病が進行しており、もしかすると目も見えていない様子だったという。



 三成から西軍につくように書状が届いた際、西軍の主な軍勢は知らされている。

 数においては東軍を圧倒していたはずだ。

 それなのに三成の盟友とはいえ、目も見えないほど病の重い吉継が前線へ向かっているということは。


「思い通りに動かせる軍が、すでに手元にはいない……のか?」


 城下より外からざわざわと聞こえてくる、姿の見えない大谷軍のざわめきを聞きながら独り呟く。

 大津城は本丸が城下よりも低いところにあるため、天守閣に登っても大軍を確認することはできない。

 俺の呟きは予想、というよりもこうであってほしいという願望だ。


 伏見城を落とした宇喜多秀家を総大将とする軍勢は、すでに北上済み。

 田辺城はまだ戦が続いているが、あちらとは距離がある。

 これを機に徳川方へと名乗り出れば、前田家討伐のために編成された軍が即座に大津城を攻めるだろう。


 だけど、今ならいける……かも?


 突然大軍が押し寄せてきた前回とは違う。

 今回は城内に限るが、戦の支度もできている。

 大谷軍の使者を待たせ、高次どのは重臣たちと評議に入っている。


 攻勢に出る可能性もあると思えば、落ち着かなくてそわそわしてしまう。



 だが、高次どのは今回も西軍の指示に従うことにした。

 いや。

「表向きはしんがりとなり、できるかぎり大津城の周りから大谷軍を離しておきたい」

 とのことだった。


 出来る限り早く支度をして追いかけると大谷吉継に応え、出軍要請が届いてから幾日もたった八月十日。

 大津城に兵千人を残し、二千人の兵を引き連れて高次どのは出陣していく。

 城には重臣赤尾と黒田を残し、留守の城をまとめる事となった。


 勇壮な京極家の行軍を見送る。

 馬上の高次どのから足軽に至るまで、身に着けた鎧は磨かれて輝き、手にした槍は太陽の光を鈍く反射し、街道で見送る村人たちは感嘆のため息をついたという。


 城に出はいりする商人から、京極家の行軍の評判が沿道の民たちから話がひろがり、三成方は高次が従ったと安堵していると話が入ってきた。



 日を同じくして八月十日。

 石田三成も西軍の前戦司令部ともいえる、大垣城へと入城した。

 この三成の前後した動きは、高次どのの動向を警戒していたと見て間違いないと思う。


 何とか大坂方の信頼を得る事ができたかと、黒田、赤尾と安堵する。


「しかし、殿は一体いつ徳川方につくと宣言なさるのか……」


 赤尾の焦れたような呟きに、俺には返す言葉がない。

 俺には高次どのの考えが分からない。

 一度は反三成に一気に持ち上がった士気も、こうも先が見えずにずるずると長引けば自然と下がってくる。


 高次どのの迷いのためか、もしくは計画のためか。

 前田家討伐のために北上する京極軍は、それはそれはゆっくりと歩みを進めているという。

 京極家の出軍に一度は安心した大坂方も、この亀のような行軍に焦り、大津城に何度か「京極家はどういったおつもりか」という使者が何度か訪れた。

 ここは亀の甲か年の功か。使者たちからの糾弾を、老臣黒田伊与がのらりくらりと交わしてのけた。



「はぁ~っ。大阪から使者が乗り込んできた時はどうなるかと思いましたが、とりあえずは納得させることができて良かった……」


 侍女から使者が帰ったという話を聞き、俺は自室で胸を撫で下ろしていた。

 そんな俺に扇をゆっくりと仰いで風を送りながら、侍女は更にころころと笑った。


「それが、黒田さまの見事なお話しっぷりに、あの赤尾さまですら感心していたようで」

「あの赤尾が? それはそれは」


 赤尾の意外な反応に俺は少し驚いた。

 赤尾は武辺者ゆえ、黒田のような言葉で相手をほんろうする手管を嫌っているとばかり思っていた。

 ……いや、その手管をいつもその身にくらっていたから怒っていたのか。


「殿がいらっしゃるときはいつ戦が始まるのかと気も休まりませんでしたが、しばらくは枕を高くして眠れそうですね……」

「口を慎みなさい!」


 若い侍女がぽろっともらした言葉に思わずうなずきそうになったが、その前に侍女頭の厳しい叱責が飛んで俺も思わずびくっとなった。

 叱られた若い侍女は小さくなって頭を下げたが、その気持ちはこの城にいる誰もが同じだと思う。なのでほどほどのお叱りを受けた頃合いをみて、取り成してやった


 大津城はあいかわらず緊張状態ではあったものの、主である高次どのが不在の間は大きく事が動くこともないだろう。

 よほどどちらかの軍が追い詰められない限りは、この大津城を突然攻めるようなこともないと思う。


 周りの城が戦を行っているにも関わらず、この大津城が危機的状況に追い込まれずこうやって余裕をもって構えていられるのは、慎重に動いている高次どののおかげである。


 だけどいつ動くのかと絶えず緊張を強いられていた身としては、この少しの時間に肩の力を抜いてもいいよね、と思うのが正直なところだ。

 せっついてくる使者はうるさいけど、黒田に任せてのらりくらりと交わしていくのが、とりあえずの俺の仕事かねぇとひとまずの平穏を味わおうと思っていた。



 だが、状況は俺たちにそんなひと時の安らぎも与えてはくれなかった。



 その日、何度目かの大阪からの使者がやってきた。

 使者が持ってきた三成の書状により、大津城は大きな転機を迎える事となる。


「……城を、開け渡せだと?」


 侍女から書状の内容を聞き、そのあまりの言い分に三成にそこまで悪感情を持っていなかった俺もさすがに呆然となった。


 曰く、『大津城は味方軍の通り道であるゆえ開城し、行軍する大名たちの世話をするように』と。


 京極家の財、蓄えた食料、拠点、その全てを西軍のために差し出せと言っているのである。



 どこまでこの京極家を下に見れば気が済むんだ!!

 しかも主である高次どのは、そちらの命令に従って城には不在なんだぞ!!


 今まで京極家と石田三成の関係を、比較的冷静に見てきた俺ですらこれだけ腹立たしいんだ。今までの仕打ちにひたすら耐えてきた京極家の皆の怒りはいかほどか!


 扇を握る手につい力がこもり、みしりと嫌な音がする。

 そんな俺のかたわらで、侍女たちも涙をこらえ屈辱に耐えている。


「浅井、織田の血を継ぎ、茶々さまの妹君でもあられる初さまに、なんという仕打ち……! 城を明け渡しどこへ行けと!? この三成めの愚かな行い、必ずやその身に祟ることでしょう!!」


「――あ」


 浅井の頃から付き従う古参の侍女を見て、唐突に思いだしつい間抜けな声が出た。


 最近京極家の皆の勢いに飲まれて抜けてたけど、俺。

 浅井、織田の人間でもあったわ。


 更に肩書だけで言えば、豊臣秀吉の養い子の一人で、お世継ぎ『豊臣秀頼』の叔母、国母淀どのの妹。

 もうちょっというなら徳川秀忠の正室の姉、織田信長公の姪、浅井長政とお市の方の娘……。

 京極家の嫁である前に、俺にはこんだけ立派な肩書があった……。


 唐突に思いだした事実に、怒り狂っていた頭がすーっと冷静になった。


 もちろん俺自身には何の力もないし、とるに足らない小娘でしかない。

 だが豊臣家に君臨する人々と俺の血縁関係はとても近しい。


 三成の京極家に対する態度の悪さでつい流されていた。

 だが、何をもってしても豊臣が一番な石田三成が、俺に関する豊臣の関係をまるっきり無視してこのような行動に出るだろうか?

 秀吉が存命中から、俺は他の大名の奥方に比べて結構な好待遇だった。

 それが秀吉が死んだ途端に、こんな手のひら返しみたいな扱いをするだろうか?


 豊臣のための戦といいながら、逆に豊臣家から逆臣とまで言われたことといい、今回『石田三成』の名で行われることは違和感が多すぎる。

 戦とは大勢の人間がかかわるため、志を同じくしてとはいかず色々な思惑が絡み合う。


 果たして今回の京極家に対する城の明け渡しは、一体だれのどのような思惑が絡んでいるのだろうか。



 得体のしれぬ何かにいいように動かされている気がして、八月の暑さのなか俺は思わず身震いをした。





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