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二十六話  西軍への人質




 伏見城や田辺城の攻城がはじまり一月もせぬ七月の終わり、大阪から大津城に使者が訪れた。


 名目上は秀頼の使者として、三成軍につくように要請にきたということだった。

 だが大谷吉継とその三人の息子をはじめ、朽木元網やほか諸大名という顔ぞろえ、そして大津城をぐるりと囲む大軍を見れば、この訪れがどのようなものかは一目瞭然であった。


 大軍が突然訪れたときには、闘争心に火がついていた京極家家臣たちもさすがに青ざめ城内はざわめきたった。

 しかし使者団の中から一人進み出てきたのが朽木元網であったため、大津城の緊張は少しだけゆるんだ。

 朽木元網。今はマグダレナと名乗る、朽木家に嫁いだ高次どのの妹の義父となる方だ。



 一団の主たる武将たちを城内に招き入れ、城主である高次どのが対面しているなか、俺は龍子どのと山田の方や侍女たちを集めて茶をたてていた。


 高次どのの側に控えるのは穏健派の黒田伊与をはじめ京極家老臣たち。

 血気盛んな赤尾伊豆は何をやらかすか分からないため。


 高次どのの命令で、俺たち女性陣の中にポツンと置いておかれていた。


 十人ほどの女たちが黙ってずらりと座り、しんと静まり返った茶室。茶をたてる音だけがしゃかしゃかと響く。

 周りの女たちに比べてふたまわりほども図体のでかい赤尾が、居心地悪そうにもじもじとしている。

 なるほど、これなら赤尾も暴走はできないだろう。

 女性陣の誰もが赤尾に気を使いもせず、更にはいないものとして扱っているのがまた何ともいえない空気になっている。


「どうぞ」

「ふぐっ……!」


 たてた茶を赤尾に差し出せば、彼はこれ以上ないくらいに挙動不審になってびくついた。

 そんなに怯えるなよ、何も入れてないってば。

 最初はしびれ薬ぐらい入れようかと、黒田伊与がのりのりだったけど……。



 やがて静まり返っていた城内がざわめきだした。

 使者どのとの会談が終わったのだろう。

 人の動く気配がしはじめ、赤尾の意識が部屋の外へと向かう。


 三成方につくか否か。

 どちらを選んだかで、今から地獄が始まるやも知れぬ。

 一応戦支度はしていたが、予想では伏見城や田辺城が落ちた数日あとだと思っていた。

 この不意打ちともいえる軍団に対応できるほどの準備はまだできていない。

 赤尾が飛び出して行かないように気をやりつつ、茶室の女たちに緊張がはしった。


「奥方さま、赤尾さま。殿がお呼びにございます」


 茶室の外で小姓の呼ぶ声がすると同時に、赤尾がはじかれたように立ち上がった。

 が、さすがに奥方である俺を置いて去るわけにはいかないと思い至り、一旦座り直して退室の挨拶を女たちにした。

 赤尾の冷静な態度に内心安堵し、赤尾を従えて高次どのの待つ部屋に向かった。



 使者は部屋にいなかった。


「熊麿を人質に出すこととなった」

「なっ……!!」


 言葉もなく驚く俺の後ろで、赤尾が目を見開き声をもらす。


「そ、それは三成めにつくということですか!!」

「赤尾、言葉をつつしめ」


 筆頭家老の黒田が赤尾をいさめる。


「今ここで三成方に反すれば、一方的に攻め込まれて戦うまでもなく無駄死にとなる」

「例え無様な死をさらそうともっ、三成なんぞの手先になって生き恥晒すぐらいであればっ――」

「黙れ赤尾っ!! そなたは己の矜持のためだけに、城内の女子供までも地獄に叩き落とそうというのかっっ!!」


 いつもはなだめる側の老臣の激昂に、皆気圧される。

 いや赤尾はこれぐらいでひるむ男ではないのだが、さきほどまで共にいた女たちを思い出したのか珍しく口ごもって姿勢をただした。


 赤尾とて命に無頓着な猪武者ではない。

 ただ彼は主君浅井長政に殉じた父上を誇りに思うあまり、己の命をかえりみず華々しく散ることをよしとしすぎていた。


 俺は一同を見渡す高次どのの顔を盗み見る。

 言い争う家臣を厳しい顔つきで見守っているが、俺の夫は迷っていた。

 彼は一度大局を見誤ったことがある。

 本能寺の変のおりに明智方につき、一度京極家は滅亡の危機におちいった。


「いまだ機は熟さず。とかく今は従うしかあるまい」


 熊麿を人質に出すことに、家臣たちの中でも二分した空気が流れていた。

 重臣たちは渋い顔をし、それ以下の家臣たちはそこまで深刻には受け止めていない。


 重臣たちは正室である俺が男だと知っているから、熊麿は唯一の跡継ぎとなるため人質にすることの重さを理解している。

 しかし事情を知らない家臣からすれば、熊麿はあくまで側室の子。

 もしも正室である俺が男児を産めば、熊麿は廃嫡となり庶子という扱いになる。

 声には出さないが例え大阪で危うくなっても、また側室に男児を産ませればすむ存在でしかない。


 たぶん三成方としても、熊麿は側室の息子という扱いで人質に求めてきたと思われる。

 できるなら熊麿の代わりに俺が人質にいきたいが、俺は豊臣秀頼の生母である茶々の妹。

 俺を人質にとれば豊臣家にしめしがつかない。

 秀吉時代ですら大阪城へ妻子が人質として集められているなか免除されていたことを考えれば、俺が人質になることは受け入れてはもらえないだろう。



「これより熊麿の支度をいたす。大阪へついていく近習を四、五名ほど選んで同じく支度させよ」


 家臣たちが一同に頭を下げる中、すっくと立ちあがる高次どのの視線とかちあう。

『ついてこい』

 高次どのの声なき声に頭を下げ、しずしずと後を追った。



 ついて行った部屋には、熊麿とその乳母が所在なさげに座って俺たちを待ち構えていた。

 高次どのは父ではなく城主の顔をして熊麿の前に座った。


「そなたを大阪城へ預けることとなった」

「……かしこまりました」


 このとき熊麿は齢七つの童子ながら、ぐっと唇をかみしめてただ頭を下げた。


 高次どのは明言していないが、城の空気から京極家が家康につくのは、聡明な熊麿であれば察していると思われる。

 泣きそうになりながらも必死に耐えている姿はとてもいじらしくて、今すぐにでも駆け寄って抱きしめたい。

 だがそんなことをすれば熊麿の健気な努力を無下にしてしまう。それに他の部屋で控えるしかできない山田の方のことを考えれば、伸びかけた手は自然と膝の上で縮こまってしまう。


「俺もそなたと同じころ、……いや。もっと幼いときに人質として送られた」


 沈黙をやぶる高次どのの静かな声に、うつむき目に涙をためていた熊麿がふっと顔を上げた。

 高次どのはうっすらと笑みすら浮かべ、熊麿の視線を受けてつづける。


「俺はあの織田信長さまの元へ送られた。熊にはもう分からぬやも知れぬが、それはそれは恐ろしと有名なお方でな。俺は生きた心地がせなんだ」


 熊麿が産まれたときにはすでに亡くなっていたとはいえ、信長さまのお名前は今でも十分有名だ。

 熊麿も目に溜めた涙をひっこませ、父の人質時代の話に次第に夢中になっていった。

 俺も知らなかった信長さまの一面が聞けて、最初は面白く聞いていたのだが……。


 あの信長さまの話。

 高次どのも内容を選んで話してはいるのだろうが、いちいち話がエグくて怖い。

 最初は興奮して聞いていた熊麿も、次第に顔色が悪くなってきた。


「旦那さま、そろそろ……」

「あぁ、そうだな。つい昔話に時を忘れてしまったようだ」

「…………」


 あまりな話の数々にそろそろ切り上げるよう促せば、高次どのは我に返ったようにうなずいた。

 きっと高次どのも、大軍に迫られているこの状況に動転しているのだろう。

 ようやく幼い息子の顔色の悪さに気が付きぎょっとした。


「く、熊麿。先ほどよりも顔が白いぞ……」


 高次どののせいだよ。

 という言葉は胸の内にしまい、俺は熊麿に微笑みかけた。


「熊麿。お父上様も信長さまの元で励み、このように立派な城を持つ大名になられました。熊麿がこれから赴くのは他でもないこの母の姉君様、そなたの伯母上様の元。滅多にない機会です。政の中枢である大阪城で、しっかりと励んでおいでなさい」

「……はい!」


 人質に行くのではなく、勉強に行くのだと強調すれば、熊麿の沈んだ顔はまた輝きを取り戻した。物も情報も最新のものがそろう大阪へ行くのだ、若い者なら誰でも心を躍らせるだろう。

 そして怖い信長さまの元へ行くのではない、伯母さんちにちょっと遊びに行くのだと思えば身体の力も抜けるだろう。



「……うまいものだな」


 支度をするために部屋を出て行った熊麿を見送り、高次どのはぽつりと呟いた。

 思わず高次どのの横顔を盗み見る。

 そういえば高次どのは兄弟が多いが、幼い時に人質に出されたために小さい子どもと触れ合ったことがないのだ。


 この人は、血縁に対する意識が希薄なのでは……。


 なぜか高次どのの横顔に、そんなことが頭に浮かんだ。




 大谷吉継の軍に引きつられ、熊麿一行が大津城を去っていく。

 男たちは門の前で、女たちは天守閣から見送る。


 敵となる軍勢に囲まれて去っていく我が子を、山田の方は白い顔で見送っていた。

 熊麿がこの大津城へ、無事に帰ってくることを祈るばかりだった。



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