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二十五話 ばさら魂


「とかく城の守りを固めよ」


 高次どののかつてない剣幕にその場の誰もが圧される中、家臣の中でも特に血気盛んな赤尾伊豆(あかおいず)がにじり出た。


「それは……籠城、ということでございますかな」


 赤尾伊豆。

 高次どのと歳は近く子供のころから京極家に仕え、それこそ高次どのが信長さまの元へ人質として送られたときは近習として付き従った。

 更に伊豆のお父上の孫三郎は、我が父浅井長政に仕え「浅井三将」と呼ばれていた。

 父長政は赤尾の屋敷で自害しており、孫三郎も主君の最期を見届けたのち殉じた忠義の士である。


 高次どのを伺う赤尾の顔は、戦への興奮か目がぎらぎらと輝いていた。


「いや、今すぐどうというわけではない。だがこの大津へ三成たちがどのように出てくるかわからぬゆえ」

「それは三成めらと――」

「承知つかまつりました」


 高次どののになおも食い下がろうとした伊豆を、老臣の黒田伊与が遮り頭を下げたためそこでお開きとなった。

 赤尾伊豆が血気盛んで突進していくなら、黒田伊与(くろだいよ)は穏健派としてなだめる立場で、なにかと二人は反目しあう。今も遮られたかたちの赤尾が、黒田を睨み付けていた。


 高次どのは動乱の大阪から帰って来たばかりなんだ。

 今夜は疲れをいやし、明日になれば赤尾ら重臣たちには詳しい沙汰を出すだろうから、ここでいらんこといがみあうなよと思わずため息をついた。



 そして翌日の十八日。


 京にある家康の伏見城が、大坂方の武将たちに囲まれたと報せが届いた。

 伏見城兵力約千八百。

 対する大坂方、いやに早くからやる気満々だった宇喜多秀家、北政所様の甥っ子である小早川秀秋、薩摩の「鬼島津」こと島津義弘、総大将毛利輝元の養い子の毛利秀元ら約四万。


 毛利輝元の名で伏見城の開城要求を突きつけ、徳川老臣・鳥居本忠はこれを拒否。

 翌十九日に激しい攻城戦が始まった。



 京の伏見城と、近江の西にある大津城は目と鼻の先である。

 大津城の誰もが「伏見城の次はここ大津城だ」と考えた。

 伏見城が囲まれた報せがきてすぐ、高次どのは家臣たちと評定に入っている。

 そして俺は。


 ……はぁ、はぁ。ぜひゅーっ、ひゅーっ……!


 自分の部屋で独り震えていた。


 聞こえるはずのない城外から鬨の声や、槍を地に打ち鳴らす戦の音が耳の奥で響いて、どんなに両手で耳を覆っても消えてくれない。

 かつて北の庄城で起きたことが鮮明によみがえり、心の臓が激しく脈打つ。


 次々と味方の城が落とされる報せが届き、徐々に迫ってくる秀吉の軍におびえる日々。

 ついには城の周りを大軍が囲み、夜だというのに秀吉軍の灯した圧倒的な火で熱気にあぶられ、まばゆいばかりに照らされた城に絶望を感じたあの日。

 伏見城が落ちれば次に大軍が向かうのはこの大津城。

 冷や汗がだらだらと流れ、自然と呼吸が浅くなってしまう。


 正室である俺が一番に、この城の女たちを落ち着かせてやらないといけないというのに。

 この有様では他の者をよけいに怖がらせてしまう。

 なのでできるだけ一人部屋にこもり、正室として用があるときは白粉と紅を濃く塗って血の気の引いた顔を隠しながら人前に出ていた。



 更に翌日の二十日。

 伏見城が猛攻にさらされているさなか、丹後(京都)の田辺城が一万五千余の兵に囲まれた。

 田辺城を守るのは細川幽斎と忠興親子、兵力はわずか五百。

 伏見城と同様こちらも圧倒的な戦力の差に屈することなく、開城を拒否。

 翌二十一日に猛攻撃がはじまった。



 同時に起こっている攻城戦に固唾をのんで見守っているさなか、大津城に文が届いた。

 差出人は石田三成。

『この戦い、大坂方に味方し家康軍を討て』という内容だった。

 三成からすれば恩義ある豊臣家に味方するのはごく当たり前のことであり、ともすれば「どうして我らが挙兵した時にすぐに参上しないのだ。さっさと出てこい」という三成の言葉すら聞こえてくるような文面であった。

 いや、俺は実際にその文を見たわけではないのだが……。


「使者もよこさずに文一つで我らを動かそうとはっ!! しかも何だこの書面! 不躾極まりないであろうがっ!!」


 評定の間はだいぶ離れているというのに漏れ聞こえてきた赤尾の怒号に、思わずまわりの侍女とともにびくっとなった。

 侍女たちはすぐに動揺から戻ると「またアイツ(赤尾)か」みたいな感じでお互いに目配せしあい、俺はその隣でため息をついた。

 荒ぶっているのは赤尾だけでない、城内の皆が同じ思いだった。


 三成の父は京極家の家臣であったにも関わらず、京極家に対する三成のこの態度。

 ならば三成のこの書状など鼻で笑って破り捨ててしまえばよいのだが、そうはいかぬから皆気が立っているのだ。


 この大津城は三成方の武将に囲まれているだけではない。

 先にも述べたように近江と京都をつなぐ物流の要としての役割をもつ。

 家康軍にとっては大阪城や西国からくる軍をくい止める関となり、三成軍にとっては兵糧や武具や兵士を流すための要となる。

 どちらの軍にとっても抑えておきたい城であり、例え中立派を掲げても見逃してはもらえない。

 反三成を宣言した日には途端に攻め込まれ潰されるのは目に見えているが、伏見・田辺城が攻められている今援軍は望めず状況は絶望的。


 三成からの書状が届いてから幾日かたったが、いまだ高次どのをはじめ家臣たちの意見はまとまっていなかった。

 政に女が参加するのはおかしい事ではないが、軍事となればことは別。

 俺をはじめ城の女たちは息をのみながら、ただ男たちが決める行く末を待つのみだった。


 そういえば……。

 俺はここからは見えない龍子どのの屋敷のほうを眺める。

 彼女はガラシャの報せを聞いて以来屋敷にこもっている。ここ数日顔も見ていない。

 そっとしておいたほうが良いと思っていたが、そろそろ様子をうかがった方がいいかもしれない。

 俺は侍女を連れて龍子どのの屋敷を訪れた。


「はぁっ! とうっ!」

「付きが甘いっ! もっと腰を入れて!!」

「はいっ!」


「…………」


 龍子どのの屋敷の庭では、頭に鉢巻をしめタスキをかけ袴をはいた勇ましい姿の女人たちが薙刀を振り回していた。

 しかも声を張り上げて指導しているのは、屋敷でふさいでいるはずの龍子どのだった。

 彼女は俺に気が付くと、額の汗をぬぐい薙刀を小脇に抱えたまましずしずとやってきた。


「これは初さま、いかがなさいました?」


 薙刀を手にしながらも優雅な龍子どのの姿に、「ふさぎ込んでいると思って慰めにきました」なんて言えるわけもなく言葉に詰まってしまった。

 いや、本当に何をされているんですか? しかも異様に薙刀さばきがこなれていたような気がするのですが……。


 俺の無言の問いかけを察した龍子どのが、これまた優雅に口元を隠して微笑んだ。

 残りの片手で難なく薙刀を構えたまま。


「あぁ、これでございますか? わたくしはこれでも源氏の流れをくむ京極家の娘。幼き頃は巴御前にあこがれておりまして……。薙刀の師に無理をいって習っていたことがございますの」


 巴御前、源平合戦の折に甲冑姿で馬に乗り、槍を振るって数々の敵を葬った剛毅な女人のことか……。

 呆気にとられた俺の前で、龍子どのは幼き日のお転婆を思い出したのかふふっと微笑んだ。


「気落ちしていても始まりませんもの、身体を動かして気を張らしていたのです。それに周りは相変わらず騒がしくて……」


 俺は言葉もなくうなずく。

 圧倒的な差で攻められた伏見城は当初の予想を裏切り、いまだ落ちることなく戦いが続いている。さすがは三河武士かと感嘆させられる。

 さらには田辺城の細川幽斎(ゆうさい)忠興(ただおき)親子も善戦していた。

 幽斎どのにいたっては歌道を極めたお方という印象が強く、失礼ながらここまで持ちこたえるとは思いもしなかった。

 更には今まで戦に口を出すことのなかった朝廷が「幽斎を失うのは朝家の嘆きである――」と自らの意志を示し、彼を救うために何やら動いていると噂がたっている。


 この二城がねばっているおかげで大津城の士気はとても高い。

 そして――。

 優雅に微笑む龍子どのの顔を見つめる。

 上品な彼女の目は、好戦的な光を宿し燃えていた。

 顔姿はまったく違えどそれは数日前の赤尾伊豆と同じ。


 これが三百年以上も続くバサラ大名の誇りか。

 浅井にも織田にも豊臣にもなかった、京極の名に集う者たちが背負うモノの大きさに胸が熱くなる。

 何が蛍大名だ。誰が没落大名だ。


 俺は大きく息をすって京極家に満ちる熱気を胸にため込むと、龍子どのに頭を下げた。


「龍子さま、わたくしにも薙刀を教えてください」

「初さま……」



 俺は京極家の正妻だ。

 それがどういうことか、ようやくこの胸にしっかりと刻み込んだ。



挿絵(By みてみん)


青の大津城の隣の紫が伏見城。

上の紫が田辺城ですが、本当はもうちょっと左上の地図から見切れたところにあります。

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