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二十話  散りゆく花

 


 慶長三年(1598)

 花真っ盛りの春、京都の醍醐(だいご)寺金剛輪院の裏の山麓で、秀吉が大掛かりな花見の宴を開いた。

 まだ大陸出兵は続いていたが年を越す前に一部の武将を残し、多くの武将は国元に帰り年明けの出兵に備えている状態だった。

 宴には諸大名が呼ばれたが彼らは伏見城から醍醐寺までの護衛にあたり、実際に宴に出たのは彼らの妻など女性のみだった。


 俺も豊臣家臣京極高次の妻として、秀吉の元養女としてお呼ばれした。

 出席する女性たちは、条件として二回ほど衣装替えをすることを命じられた。

 秀吉と秀頼以外はみんな女の宴で、衣装替えなどあるとすれば何とも煌びやかなものになるだろう。

 だけど衣装替えのための豪華な打掛をつくる金は、本来なら地震被害の復興にまわすべき金なのだ。

 更には大陸出兵のための軍資金でもあるのだ。


「い、行きたくないよ~。豊臣の側室たちの衣裳が豪華なのは当たり前として、あそこは女房達(しようにん)ですら豪華絢爛なんだよ。見劣りしない衣装を誂えようとすれば、一体いくらかかると! 城や城下の修繕もままならないのに正室の俺が豪華な衣装なんか作ったら、今度こそ傾国の悪女とか呼ばれて民に呪われてしまうよ!!」


 涙目で叫ぶ俺の横で、高次どのは家臣たちと京極家の資産の見直しの話し合いをしている。

 さっきから誰も俺の相手をしてくれない。

 俺は浅井三姉妹でも地味な子なんだよ? 茶々や江と違って華やかな舞台なんて似合わないから。ってか、そもそも俺男だし! 男にバカみたいに高くて豪華な着物なんていらないし!


「よし初! 何とか費用を捻出できたぞ。心配するな、茶々どのからも初の支度金をいただいている。うんと豪華なものを用意させるからな!!」

「うわ~っ、鬼ぃ~っ!!」


 そして宴の当日。

 山一面を覆う桜は圧巻だった。

 この醍醐寺の山麓には元々そんなに桜が無かったらしいが、宴を開くにあたって秀吉自ら何度も下見に訪れ、しかも花見の宴を開くためによそから七百もの桜を移して植えたのだという。

 更に敷地内には茶室がいくつか建てられており、秀吉専用の湯殿(ふろ)まであった。


 だが宴を豪奢に華やかにと演出すればするほど胸によぎるのは、昨年秀吉と秀次がともに笑いあっていた吉野の花見である。

 秀吉の勘気を恐れて酒をたしなみ陽気にふるまうが、どこか陰りのある宴となっていた。

 剛毅な武将の一人でもいればこの空気を吹き飛ばせたものを、女人だけが集められたこの宴ではそれも不可能に思われた。


 だが宴も終わりに近づいたころ、ここで道化を買って出た者がいた。

 茶々と龍子どのである。


 聡い彼女たちは、正室である北政所さまが豊臣家の一番の女人として秀吉の盃を受けたあと、「次に杯を受けるのは自分である」と側室どうしの争いを演じだした。

 秀吉主催の場でもめ事を起こせば主催者に恥をかかせることになるし、側室どうしが争えば秀吉は側室の扱いもままならないとして二重に恥をかかせることとなる。


 だが彼女たちはそこらへんのさじ加減も絶妙だった。

 沈みかけていた雰囲気をがらっと変えるほどに激しく、しかしどこか愛嬌を混ぜて自分のほうが格が上であると派手に立ち回った。


 華やかな宴は、茶々と龍子どののための舞台と化した。

 彼女たちが声を張り上げて身振り手振りすれば、豪奢な着物がきらきらと陽にきらめいて、幻想的な風景に皆思わずため息をついて見惚れた。

 そんな芝居の締めは、豊臣家と付き合いの長い前田利家どのの妻、まつどのが引き取った。


「いえいえ次に杯をいただくのは、齢からいけばこのわたくしでしょう!」


 決して若くはないまつ殿の齢を引き合いにした自虐に、その場は一転どっと笑いに包まれた。

 どことなく宴に陰りがあることを気付いていた秀吉は、彼女たちのこの機転を大いに喜び褒めたたえた。

 宴を盛り上げた功労者として、秀吉みずから茶々と龍子どのに酒を注いでやるという破格の対応をしたという。


 この醍醐の花見には、若君である秀頼も参加していた。

 もし自分が死んだ後も、賢明な側室たちが力を合わせて秀頼を支えていくのだと、秀吉は安堵したのかもしれない。




 煌びやかな醍醐の花見から五月後の八月十八日。

 天下人豊臣秀吉が、伏見城にてこの世を去った。

 六十二歳のことだった。


 天下人の死は民に知らされることなく、遺体はしばらく伏見城に置かれた後に東山阿弥陀峰に移され極秘に埋葬された。

 秀吉自身は仏教徒なので荼毘にするのが正しいのだが、神になることを望んだ秀吉のために神式で行われたのだ。

 秀吉の為に八幡大菩薩堂という社がつくられているときも、京都の人々はまさかこれが天下人秀吉を祀るための社とは思いもしなかった。


 翌年の四月には秀吉の望み通りに朝廷から『豊国大明神』という神号が与えられ、建てられた社も『豊国神社』と改称され秀吉は神として祀られることになる。


 だが何故ここまで秀吉の死を秘密にする必要があったのか。

 それは大陸にいる武将たちを、無事に日本に撤退させるためだった。


 秀吉は臨終の際に、豊臣家五大老を集めて息子秀頼への忠誠を誓わせ、後を託した。

 五大老とは、徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝である。

 彼らは秀吉亡き後速やかに大陸遠征の中止を決定し、秀吉の死を隠して明軍と無血撤退の約をとりつけて撤退を始めた。

 だが途中で秀吉の死がばれると、明軍は約を違えて攻撃してきたため武将たちは命からがら逃げてきたという。

 これにより壮大な計画であった大陸遠征は、秀吉の死により成功することなく終息と相成ったのであった。



 秀吉亡き後は家康が五大老の長として君臨することになるが、秀吉は家康を警戒して他の五大老で家康を監視するような人選をしていた。

 五大老の一人は本来であれば上杉景勝ではなく秀吉の信頼の厚い小早川隆景のはずだったが、隆景は秀吉よりも先に亡くなってしまった。

 このため秀吉の目論見は外れ、家康を抑える力は弱くなる。

 とはいえ家康はこの時点で五十一と高齢であり、野心があってもそこまで派手に動き回ることはできないだろうと皆が楽観していた。



 秀吉は神格化され人ではなくなったため、葬儀を行うことはなかった。

 だが秀吉の死を悼むために元養女の江や俺、そして豊臣家臣の武将たちが伏見城に集まった。

 最後に顔を合わせたのは醍醐の花見だったが、あの時は位の順で並んでいたために直接話をすることができなかった。

 秀吉の身内のみが集まった席で、俺たち姉妹は久しぶりに話をすることができた。


 秀吉の遺言により、北政所さまと茶々と秀頼は大阪城に移ることになるという。


「いくら太閤殿下の遺言とはいえ、慣れ親しんだ伏見城を離れるのは嫌……」


 少しやつれた茶々は幼い秀頼の肩を抱きながら、いつくしむように伏見城の畳をそっと撫でた。

 そんな茶々に心の中で首をかしげる。

 この伏見城よりも大阪城の方が過ごした時間は長いはずだ。

 ならば茶々が伏見城を離れたくない理由とは、――もしや秀吉が亡くなったこの地を離れたくないというのか。


 秀吉を看取った茶々の顔は憂いに満ちていた。

 ずっと茶々は、父や母を死に追いやった秀吉を憎んでいるものだと思っていた。

 だが秀吉の元で満ち足りた時を過ごせたのなら、それは弟としてとても喜ばしい事だった。


 繊細な女心など全く理解できない前田利家どのにより、秀吉の遺言を忠実に遂行するために翌年の正月には移ることになるのだそうだ。

 大阪城で幼い息子の支えとなると、強い母の顔で微笑んだ。


 北政所さまは秀吉を弔うために出家するとおっしゃった。

 できるなら秀頼の後見人となってほしいところだったが、こればかりはしょうがない。

 信頼できる後見人がいないと『幼い天下人を支配する悪女淀どの』という世間の見方が強まってしまう。

 家安を筆頭とする五大老どの達にお任せするしかないだろう。


 龍子どのは大津城で引き取ることになった。

 あれ、出家しないのか?と内心思ったが、「お世話になります」と優雅に微笑む龍子どのを前に何も言えず微笑み返すしかできなかった。 


 江はゆっくり語り合う暇もないまま、家康どの命で江戸へと帰された。

「姉妹語らう時間もよこさないとは!!」とご立腹だったが、さすがに家康どのに逆らうことはできず大人しく帰っていった。 

 正直なところ、この家康どのの仕打ちはあんまりだと俺も口に出せないが憤慨した。

 三姉妹はそれぞれ位の高いところに嫁いだため、自由に身動き取れない立場となっていた。

 今回はめったにない機会だったというのに!



 この時は誰もが家康の野心を警戒しながら、その実あなどっていたのかもしれない。



 まさかあの徳川家康が、俺たち三姉妹を警戒していたなんて。


 まさかこのあっけない別れが、茶々と江の生涯の別れになってしまうなんて。


 思いもしなかった。



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