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二話  ばれたら人生終わりです(物理的に) 

 

 母上と俺たちは清州城に送られた。

 信長さまの弟で母上の兄である、信包さまの治める城だ。


 信包さまはものすごくお優しく、穏やかな方だった。

 あの信長さまの弟ながら争い事は苦手で、芸事や美術品などがお好きだ。


 母が織田の人間とはいえ、敗将の子である俺たちがどのような扱いを受けるのかとびくびくしていた俺に「遠慮することはない、そなたらはわしの姪なのじゃ。過ぎたわがままは困るが、存分に甘えておくれ」そう言ってゆっくりと頭を撫でてくれた。

 俺は思わずびーびーと声を出して泣いてしまった。



 小谷城で俺は三つを迎えていたが、戦のごたごたで髪置きの儀(七五三)をちゃんとしていなかった。

 それを知った信包様がいろいろと手配して下さり、清州城で俺の三つの祝いが行われた。


 この髪置きの儀までは男も女もいわゆるパッツンおかっぱだが、これ以後は髪を伸ばして男は後ろで結い、女は髪を垂らしていく。

 女児として生きなければいけない俺は、もちろん髪を垂らした。

 名前も幼名の『なべ』から『初』へと変わった。

 とうとう女の名を付けられたことに、幼いながら何かを失くしたような切ない気持ちになった。



 城主の人となりも穏やかであったが、この清州城は敵国と接していないため、絶対に戦が起きない城ともいえた。

 穏やかな叔父上と戦の心配もない城で過ごす日々は、落城のあの日を忘れそうなくらいに平穏だった。




「何という、何というむごいことをっ!!」



 だが事態はそう甘くなかった。





 寺にかくまわれていた万福丸と万寿丸が、信長の家臣にとうとう捕えられた。

 兄は十になるかならないかという齢で、羽柴秀吉の手により串刺しの刑にされた。

 磔ではなく串刺しの刑、それは動物扱いも同然の仕打ちだった。

 まだ赤子だった弟の万寿丸はかろうじて死は免れたが、出家し子を作ることも二度と浅井家を名乗ることも許されなかった。


 このとき、俺は初めて羽柴秀吉の名を聞いた。


 元は木下藤吉郎といい、氏も持たない農民であったという。

 それが俺たちの父を殺し、小谷城を破壊し、その手柄で羽柴秀吉という名を賜ったのだと、茶々が憎々しげに教えてくれた。


 幼い俺は父や城のことよりも、串刺しにされた万福丸が己と重り恐ろしくて仕方なかった。


 そんな俺を、母上はしばらく片時も離そうとしなかった。

 母上は万福丸のむごい死を聞き、悲しみのあまり床に臥せってしまっていた。

 蒼白な顔で起き上がることもままならぬ母上は、布団に横たわったまますがりつくように俺を抱きしめ続けた。


「誰にも身体を見せてはならぬぞ、そなたの身体の秘密を知られれば、そなたはたちまち母と姉たちと離される。そうなれば……」


 呻くような母上の声はぎりぎりと痛いくらいに締めつける腕とともに、幼い俺の心身に深く刻みこまれた。

 それは成人した後も、男とばれてはいけないという強迫観念となって俺を縛り続ける鎖となる。



 俺は穏やかで何とも恵まれた環境にいながら、いつも死の恐怖と隣り合わせだった。

 そのためとても小心で食が細い子供になってしまった。



「おや、また初は少ししか食べなかったのか。う~ん、初は魚が嫌いか?」


 信包さまの困ったような問いに、俺はただ首を横に振った。

 清州城は伊勢湾に面しており出される食事は海の幸が豊富で、湖北の素朴な料理に比べれば毎日がごちそうのようなのだ。

 決して海の料理が嫌いなわけではなく、また好き嫌いなどいえる立場でもないのだが、食べて成長すれば男とばれて殺されると思うとごちそうも胃に入らない。


 信包さまが心配してくれるのが申し訳ないのだが、何と言えばいいか幼い俺にはわからず今日も黙って首を横に振るしかできない。


「初は好き嫌いが多いのではなく、単に食が細いのでございます」


 母上が助け舟を出すが、信包さまは顔をしかめたまま俺の両脇を抱えて抱き上げた。

 あまり逞しくない信包さまですら、軽々と俺を頭上に掲げてしまう。


「軽い、軽すぎる! 初は育ち盛りなのだから、もっと食べねば太らぬぞ? これでは領民の子供のほうがまだ発育が良いではないか」

「兄上! 初は女子なのですから、童とはいえそのように簡単に身体に触れないでくださいませ。それに姫なのですから、領民の子のように逞しくなくても良いのです!」


 母上は美しい顔をくもらせながら、高い高い状態の俺を信包さまから奪い取った。

 まるで猫の子を扱うような二人のやりとりに、俺はただされるがままだ。


 手持無沙汰になったのか、信包さまはそこらをよちよち歩いていた江を今度は膝の上にのせた。

 難しい顔で俺を見ながら、手はぷくぷくと丸い江の頬をつついている。


「茶々は背が伸び、江はふくふくとなったというのに。初は気も細いゆえ、海魚が口に合わぬのかもしれんな。小谷の時のように川魚であれば癖が無くて食しやすいかのう……」

「兄上、初は好き嫌いが激しいのではなくただ食が細いだけなのですから、お気遣いは無用でございます!」



 成長が遅い俺を、信包さまはとても心配して下さった。

 城下から子供の好きそうな食材を届けさせたり、近江の料理に似たものを出したりもしてくれた。


 だが俺と母上は成長の遅れを嘆くのと同時に、安堵もしていた。

 もし順調に成長すれば、長身で体格の良かった両親に似て早いうちから立派な体躯となり、女と偽るには難しくなるはずだ。



 何とも複雑な心境の中、事情を知らぬまま俺のことを心配してくれる奇特な御仁が、もう一人いた。




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