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十八話  稀代の悪女

 


 秀次が亡くなり茶々と拾松の命を脅かす者はいなくなったといえたが、代償はとても大きかった。


 処刑された側室たちの実家である、公家や大名家からの恨みを大量にかってしまった。

 また年老いた秀吉の残虐性がうきぼりになり、殺された秀次自身の若さや優秀さもあいまって秀次に多くの同情があつまった。



 茶々については前から『わがまま放題の織田の姫さま』という根拠のない悪口程度のものが流れていた。

 しかし秀次の件の後、秀次を殺すように秀吉に迫った『悪女淀どの』が事実として世間に広まった。

 更にいつもは秀吉をなだめていた北政所さまが秀次の件を抑えきれなかったことで、正室をないがしろにする側室という悪評も一つとして追加された。


 北政所さまに関しては、確かに安土に入ったころは両親の仇の妻として憎んでいたが、それは茶々だけでなく俺も同じだ。

 だが側室となってからは北政所さまを立てていると江からも聞いている。

 北政所さまが秀次の件を治めきれなかったのは、豊臣一族を束ねていた大政所さまが死去していたからだ。

 そのため、秀吉の姉とその息子秀次と北政所さまは疎遠になっていた。



 これにより豊臣家には従うが、拾松と茶々に対しては悪感情をもつ者たちに囲まれることになる。

 完全な秀吉の失敗だった。


 俺もこの件で秀吉に良い感情を持てなくなっていた。


 秀次に関するものを全て無くしたかったのか、秀吉は豪奢を極めた聚楽第を跡形もなく壊した。

 更には元号すらも変えようとしたが、さすがにそれは朝廷が許さなかった。


 そしてかつて秀次が治めていた近江八幡山城までも、築上からわずか十年だというのに廃城にした。

 代わりに高次どのは近江にある大津城へと移転し、加増もされた。


 大津城は近江の湖に隣接しており、本丸に至っては湖上につきだす形で『水城』と呼ばれている。

 砦というよりも、物流の要として建てられた城であった。




 秀次の死からたった二ヶ月後の九月、江の三度目の嫁入りが決まった。

 今の江は『秀次の弟の未亡人』であり、秀次関連を片付けたい意図もあったのだろう。


 相手は豊臣家重臣、徳川家康どのの三男で秀忠どの。

 三男といっても立派な徳川家の嫡男である。

 家康どのも跡取りには苦労していた。


 長男は信長さまの娘をないがしろにしたとして処刑。

 次男は幼いうちから秀吉の元で人質として過ごしているうちに、すっかり豊臣びいきの人間になってしまい徳川の嫡男としてはよろしくなかった。


 秀忠どのはなんと江より六つも年下で、江が三度目の嫁入りに対して彼は初婚。

 嫡男の正室にするには江は……我が妹ながらあえて言わせてもらえば、年をとりすぎていたし条件もどちらかといえば側室向きだった。


 秀吉は幼い拾松のため、絶対的な後ろ盾を欲した。

 かつて織田家の三法師さまを自分のために利用した秀吉だからこそ、その憂いを完全に取り計らいたかったのだろう。

 そのために徳川家康どのとの関係を強化しようとして、最初は江を家康どのに嫁がせようとした。


 秀吉が若くて高貴な姫君たちを好んで側室にしたのに対し、家康どのは『後家好き』と周りから呼ばれるほどに未亡人たちを側室にした。

 それもただの未亡人ではない。

 一度は子供を産んだ女性ばかりを側室に迎えた。

 若い女たちを集めてもなかなか子供に恵まれなかった秀吉のことを考えれば、それは確かに現実的といえる。

 跡継ぎに対するその姿勢、高次どのも見習えよ!


 ということで江も一応『後家好き』家康どのの側室の条件に当てはまる。

 家康どの五十三歳、江二十二歳で、側室になるならそこまで珍しい年の差でもない。

 だが茶々が激怒して反対してくれたおかげで、江は若い秀忠どのの花嫁となることになった。

 世間では「年増を正室につかまされて可哀想に」とか「息子より親父の側室にするほうが年齢的に合ってるんじゃ」とか言われている。

 まぁ確かに俺も齢十六の秀忠どのには、十になるかならないかぐらいの幼い娘さんの方が従順でよろしいのではとか思わないわけじゃない。


 高次どのも江の嫁入りの報せに、俺の方をチラッと見ては何か言いたそうな顔をしていた。

 いいじゃん、身内ぐらい素直に祝おうよ!


 江よ、若い旦那さんでよかったな!!



 俺たちに対する悪評は数多くあったが、茶々は世継ぎの母、江は重臣徳川家の嫁、俺も名門京極家の嫁となり、この時代の女として良い立場にいる。

 幼い時は二度の落城にあったものの、これからは姉妹仲良く手を取り合って豊臣の治世を支えていければと思う。




 江の華々しい嫁入りも終わり、落ち着いてきた我が近江大津城。

 満三つを迎えた京極家の跡継ぎである熊麿が入城した。


 赤子の時分が過ぎたとはいえ、まだ母様(かかさま)が恋しい年であるがこればかりはしょうがない。

 京極家の跡継ぎには『正室の息子』という立場が必要になる。

 特に俺は織田、浅井の血を継ぐもの。

 俺自身はたいしたことないが、この血統は熊麿に箔をつけるためにとても利用価値がある。



 高次どのと俺を前に緊張しながらも、しっかりと頭を下げて挨拶をする熊麿を見守る。

 幼いながらとても利発そうで、高次どのに似た温和な顔つきに意志の強い瞳をしている。

 自分がこれからは母なのだと熊麿に言葉をかけつつ、赤子の時に引き取るよりも今が一番かわいい盛りなぶんよけい残酷だったか、と胸にわく罪悪感は笑顔の奥に押し込んだ。



 山田の方は大坂の京極屋敷に移るそうだ。

 京都の屋敷は聚楽第が取り壊されたため、他の武将たちも伏見に屋敷を建てるか大阪の屋敷に戻っていた。


 彼女からの手紙には、『熊麿さまと過ごす時間を与えて下さり、奥方さまには真に感謝してもしきれませぬ』などと感謝の言葉がつらつらと書かれていた。

 そして最後には『巷ではあらぬ与太話がでまわっておりますが、下々の下らぬ話です。どうかお心優しい奥方様が、お気に病みませぬように』と締めくくられている。


『悪女淀どのの妹』な俺には、山田の方を嫉妬から殺そうとしたという話が悪意のある噂ではなく、事実として出回っている。


 いわく、妊娠中の彼女を殺そうと様々な物を京都に送ろうとしては、忠臣や高次どのに見破られて止められていたとか。

 彼女に贈り物をしようと大量に買い付けたはいいが、京都の方が良いものが手に入るかと思って手元に置いておいた品々がそんな誤解を呼んだらしい。


 更には産まれた熊麿を害そうとする俺から隠すため、高次殿が一人の家臣に預けて育てさせたという話まで出ている。

 ……ひどい、ひどすぎる。

 どうして五年目でようやく授かった跡継ぎを、あんなに待ち望んでいた俺が害さにゃならんのだ!

 もし俺が本当に嫉妬に狂った女だとしても、そこで俺を罰することもできずただ家臣にかくまわせるだけの高次どのって、どんだけ弱いのさ!

 しかも大事な跡継ぎのしかも赤子を、たった一人の家臣に任せて育てさせるとかおかしいだろう!

 まだ山田の方ごとどこかに隠したとか、龍子どのに預けたとかいうほうがよっぽど信ぴょう性があるわ!



 この側室への嫉妬に狂った俺の話は、江戸にいる江の元まで届いてしまった。

 もちろん江は真相を知っているし、茶々と長男鶴松のことを一番近くで見ていたのは他でもない江だ。

 側室に赤子を任せたことで『姉上は甘いです』と俺に釘を刺しつつも理解を示してくれていた。


 だが今回届いた手紙では、

『側室がいることでこのような不快な話が出回るのならば、わたくしは絶対に側室をおくことを許しません!!』

 などと書かれていた。

 俺のせいで江の側室嫌いに拍車がかかったようだ……。


 よく考えてみれば、安土で秀吉の側室たちが集まっていた時、江は多感なお年頃だった。

 安土でも大阪でも側室たちが寵愛を争っていたのを見ていたのだから、江の情操教育としてはかなりよろしくない環境だったかもしれない……。


 しかしいくら江が側室を許さないと言っても、秀忠どのは徳川家の大事な跡継ぎ。

 側室は最低でも十人ぐらいは必要になるだろうし、なにより家康どのが許しはしないだろう。


 とはいえ手紙から伝わる江の勢いに、秀忠どのに心の中で手を合わせた。



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