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十七話  天下を継ぐもの

 


 豊臣家と京極家に跡継ぎが産まれてお祝い事が続く中、同年十一月に高次どのの弟、高知が二十二歳で信濃国城主になった。

 彼はとても頑張り屋さんで、兄の功績を抜きにしても秀吉に認められており、羽柴姓を名乗ることを許されるという破格の対応を受けている。

 これで彼も城持ち大名となるわけだが、信濃飯田城は側室の父である毛利秀頼の領地だった。

 毛利秀頼には毛利秀秋という嫡男がちゃんといたのだが、その嫡男を差し置いて秀吉の命により高知が受け継いだ。

 なんでか理由は知らない……、よっぽど秀秋の出来でも悪かったのだろうか?

 とりあえず身内の出世は嬉しいもんだ、素直に喜んどこ!




 文禄三年(1594年)


 秀吉が隠居のために作っていた京都の伏見城が完成した。

 秀吉は茶々と赤子を呼び寄せようとしたが、早世した鶴松のことがありまだ移動は早いとして茶々が断った。

 前の茶々ならば秀吉の命に従うしかなかったというのに、二人目を産んでからはとにかく強くてたまに自分の姉ながら驚かされる。

 ちなみに赤子は拾松(ひろいまつ)と名付けられた。

 これは拾った子供は強く育つという迷信からである。


 築城と同時に大規模な河川整備が行われ、伏見城の近くに大きな港がつくられた。


 最初は伏見城も隠居用の屋敷、『伏見邸』として完成していた。

 それが拾松の誕生により大改築が行われ、大阪と京都の要所である秀吉の本拠地として堅牢な伏見城に様変わりした。

 大阪と京都をつなぐ港と、要塞の伏見城。

 秀次を意図したものであることは、誰の目にも明らかであった。


 ちなみに、この伏見城内にも高次どのは武家屋敷をいただけなかった。

 高次どのはまたぶーくさ言っているが、老い先短くますます嫉妬深くなった秀吉が高次どのを警戒していると思われる。

 本人曰く茶々は怖くて恋愛対象にない状態なので、まさか色恋沙汰で秀吉に嫉妬されているとは思いもしないのだろうか。

 いい加減気づけよ。

 そして少しは警戒しろ。


 実は昨年の十月、茶々付の女房達が大阪城に男を招き入れ風紀を乱したとして、二十人ほどが秀吉の命で処刑されている。

 最初は可愛らしいものと側室たちに喜ばれていた秀吉の嫉妬も、老いた最近は狂気じみていて末恐ろしい。



 そう、秀吉は老いた。

 五十七歳、いつ死んでもおかしくない。

 跡継ぎの拾松はまだ一歳の赤子、織田の血をひくとはいえ秀吉亡き後の立場はとても弱い。

 秀次の件もあり、秀吉は京都で重臣たちの屋敷を自ら訪れては、拾松を支えるように根回ししていると聞く。

 高齢の秀吉と赤子の拾松に対し、秀次二十六歳というまさに精力満ちた青年真っ盛り。

 京極家としては血縁のある拾松の方につくしかないが、世間は秀次が有利と見て多くの大名が彼の元に集まっていた。



 秀吉と秀次はお互いの出方を伺っていたが、そこは身内どうし。

 春の頃には大木をそのままの形で使った大豪邸をたて、大名や公家など五千名近くを引き連れて吉野で花見の宴をひらいた。

 五日間ひらかれた宴では、互いに舞を踊っては褒めたたえあったり、酒を酌み交わしたりと仲睦まじい様子だった。


 高次どのと俺も花見の宴に参加していたが、秀吉と秀次どのの様子を見ていたら何だかいろいろな心配もふっとんだ。

 これならば茶々と拾松の身の上も悪いようにはならないだろうと、身内としても京極家の正室としても胸をなでおろした。


 吉野の花見から帰る途中、秀吉は亡き母大政所のために建立した青厳寺に立ちよったという。

 豊臣一族が仲睦まじく繁栄していくことを、偉大なる母に誓ったのかもしれない。




 桜も散り五月を迎えたころ、茶々が父長政の菩提のために京都に養源院を建立した。

 浅井一族で成田山僧侶の成伯法印を開祖とし、滅亡した浅井一族を代々弔っていくこととなる。

 跡継ぎを産んだ茶々の権力のなせることだった。


 豊臣家にも京極家にも立派な跡継ぎが産まれ、秀次の件も穏やかな収束に向かい、江の嫁ぎ先が案じられるものの俺たちの行く末は安泰間違いなしだと思われた。



 年の瀬も近く雪がちらつきだした頃、俺は細く流麗な字でしたためられた手紙を読んでいた。

 差出人は山田の方。

 高次どのの側室お崎は、跡継ぎを産んだ功績で『山田の方』と今は呼ばれている。

 また、跡継ぎの男児は熊麿(くままろ)という立派な幼名をいただいた。


 彼女からの手紙には、熊麿が健やかに育っていることが詳細に書かれている。

 手紙のはしばしからは俺に対する細やかな気遣いが読み取れ、そんなに気を使わなくてもいいのにと思わず苦笑してしまう。

 彼女はあくまでも己の産んだ息子を、俺から預かっているという立場で育てている。

 城下では俺が山田の方に嫉妬しているとか言われているが、彼女のおかげでよそから何と言われようが俺は心穏やかでいられる。



 高次どのも忙しいのだから京都の屋敷にとどまっていればいいのに、近江の領地を視察するという名目でちょくちょく帰ってきては俺をからかっていく。


 このまま穏やかに過ごしていければいいな、と本格的に雪が降りだした空を見上げた。



 文禄四年(1595)

 六月末に突如、秀次が謀反を企てているとの噂が広まった。

 確かに秀次は拾松のことを曖昧にはぐらかし続け、年老いた秀吉が死ぬのを待っているようには見えた。

 逆に言えば秀次は目立って動くことはなく、ただ時間が過ぎるに任せていただけなのだ。

 それなのに突如わいたきな臭いうわさ。

 しかも根拠といえるものは、誰もがおかしいと思うほどにたくさん出てきた。


 八幡山城の城下町でさえ、「太閤殿下が関白殿下を殺そうとしている」という話でざわついている。

 高次どのからも『書のやりとりはしばらくやめ、城下町に出ずに城内で過ごし目立った動きはしないように』と警戒する手紙が届いた。


 確実に何かが起きようとしている。


 そんなの勘違いであってほしいと、秀次と秀吉が笑いあっていた吉野の花見を思い出しながらひたすら祈る日々だった。



 七月になり、噂の真偽を問うために秀吉と秀次の間で様々な武将が動いているとだけ聞いた。

 この頃には民たちも息をひそめて事の成り行きを見守っていた。



 そして同月、秀次は秀吉の命により高野山へ移された。

 とうとうこの時がきたかとは思ったが、幾人かの家臣が責任をとって切腹しただけで、そこまで血なまぐさい展開にはならずほっとした。

 下手をすれば秀吉派と秀次派に分かれて戦がおきてもおかしくなかったのだ。


 さらに温情としてか、秀吉は高野山に秀次のための世話係と料理人を用意するように頼んだという。

 謹慎を命じられた場所も、秀吉が慕う母の大政所さまの菩提寺、青厳寺である。

 このまま大人しく謹慎していれば今までの例からして、いずれ許しが出て元のとおり関白殿下とまではいかないが、豊臣家の重臣として復帰するのだと誰もが思っていた。


 いや、秀次自身はそう考えていなかった。


 謹慎を命じられて五日後、身の潔白を訴えるため秀次が切腹したとの報せが世間を震撼させた。


 秀吉は謹慎を命じていただけのはずだ。

 謹慎であっても環境はかなり整えられていたはずだが、それでも秀次には耐えられなかったのだろうか。

 なかには秀吉が切腹を命じたという噂もあったが、その理由はあいまいなものばかりだった。


 一時は天下の跡継ぎとして関白殿下まで登りつめた秀次の死に、情報は錯そうし世は混乱につつまれた。

 俺も真実が知りたかったし心細くて誰かに問いたかったのだが、この混乱した状況で何かしら動くのは、高次どのからの忠告がなくても怖くてできなかった。


 秀次の切腹は、秀吉を激怒させた。


『謹慎していろ』という命令に背いたこと、そして殺生を禁じる高野山のなかでも、秀次が切腹したのは大政所さまの菩提寺。

 何重にもまずかった。


 怒り狂った秀吉は、前から捕えていた秀次の妻女たちや子供たちとその侍女たち、四十人ちかく全てを処刑した。

 中には形だけの側室で、秀次と顔も合わせたことのない少女まで殺されたという。


 あまりにも残酷なその仕打ちに、俺は詳細を聞くことができなかった。

 いつの間にか秀吉が自分の後見人であることが当たり前になっていたが、俺の兄上を串刺しにしたのは秀吉なのだ。

 あれは信長さまの命令なのだからと己をごまかしていた。

 だけどあの時の恐怖がよみがえってきて、しばらく起き上がれないほどに打ちのめされた。


 更に八幡山城下には秀次を死に追いやった元凶は茶々であるとして、その妹である俺に対する怨嗟の声が静かにひろまっていた。

 床についたままの俺に悟られないように、城内での緊張が高まる。

 だがどんなに隠そうとしても自然と伝わるものだ。

 城内や城下の異様な空気は、さらに追い打ちとなって俺を責めた。



 しばらくして高次どのが八幡山城に帰って来た。

 久しぶりに見る彼は、疲労が重なったためかやつれていた。


「事が落ち着くまで京から離れることができなかった。すまぬ」


 そう言って差し出された両腕に、俺は恥も何もかもかなぐり捨ててすがりついた。

 そのまま力強く抱きしめられ、声を上げて泣いた。



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