十六話 お世継ぎの母
結婚からたった二月で、江の夫の秀勝どのも出陣した。
茶々、俺、江の夫すべてが戦に行くことになる。
遠征は順調に進んでいると知らせは届いていたが、どの地を撃破したとか言われてもよくわからず、とにかくどうか皆無事に帰ってこれるようにと、祈願の為に毎日寺に通った。
だが九月のこと、江の夫の秀勝は帰らぬまま彼の地で病死した。
享年二十七という若さだった。
江の二度目の婚姻生活は、たった二月で終わってしまったのだ。
江は秀勝どのの子を身ごもっていた。
帰ってきた秀勝どのが善正寺に葬られてしばらく後、夫を亡くした悲しみにも負けず、江は元気な女の子を無事に産んだ。
夫を亡くした江ではあるが、やや子が癒してくれることを祈るばかりだった。
文禄2年(1593年)
年が明けてすぐのこと、何と茶々がまたもや懐妊していることがわかった。
九州の穏やかな気候が良かったのだろうか。
昨年の七月に母、大政所さまを亡くしていた秀吉は喜んで茶々を大阪へ戻した。
またもや豊臣家の跡継ぎさまが誕生するのではと、大阪、京都だけではなく各地の大名も動向を見守っていた。
そして。
そしてついに我が京極家にも、備前に付いて行った側室のお崎が懐妊したと知らせが届いた。
戦の祈願と同時に、やや子が授かるように毎日祈願した甲斐があったというもんだ!
俺たちは大喜びで家臣たちや侍女たちと互いに祝いの言葉をかけあった。
中には嫌味で俺に懐妊の祝いを言った奴もいたらしいが、この目出度い知らせに浮かれていた俺は全く気付かず、後で侍女がこっそりと教えてくれた。
高次どのはまだ戦が続いているために帰ってこれないが、彼女の屋敷を近江八幡城のどこに用意しようかと家臣達と話し合った。
今こそ正室として働くとき! と張り切り、『あれもこれも準備しときますよ!』と高次どのに書状を出せば、『お崎は京都聚楽第の近くにある京極家の屋敷で過ごさせる』と返事がきた。
やや子ができたと盛り上がっていただけに、俺って信用されていないんだろうかとしばし落ち込んだ。
だけど考えてみれば、京都のほうが必要なものは揃いやすいだろうし、何より気の弱い彼女が俺といれば気が休まらないだろう、と納得した。
それでも何かしてあげたくって、安産祈願のお守りや腹帯、滋養のある食べ物を贈ろうと買った後に「でも京都のほうがもっといい物があるか……」と我に返って贈るのを断念していた。
茶々や江こそ何でもそろう立場にいるけど、彼女たちにはいろいろと近江のものを贈ったりしている。
正室、側室関係は気を使うなぁ……。
三月に休戦状態となり、武将たちはそれぞれ自分の屋敷に戻った。
高次どのも一旦近江八幡山城に帰ったのち、京都の屋敷に戻っていった。
京都の屋敷に思いをはせれば、お崎の大きくなったお腹を撫でる高次どのの姿なんかが思い浮かぶ。
決して俺が味わうことのできない夫婦の姿を思い浮かべては、感傷的になってなんだか落ち込んでしまう。
何でこんな気分になるのか自分で落ち着かない。
世が世なら俺も浅井家の嫡男として嫁をとり、今頃は何人もの子供の父様になっていたかもしれないからか。
いや、何かしっくりこないな。
暇だといらんことを考えてしまうなぁ、早く高次どの帰って来てくれないかなぁ……。
はぁ。
八月、大阪城二の丸で茶々が無事に赤子を産んだ。
何と次も男児であり、諦めていた豊臣秀吉の跡継ぎ誕生だった。
秀吉も喜んで大阪に飛んでいった。
だが、豊臣家の次の跡取りは関白の位ともに甥の秀次に譲った後である。
この時秀吉は強くは出ず、生まれた赤子に天下の一部を分けてあげてほしいと下手に出た。
秀次もここで頷けばよかったものを、曖昧に誤魔化して返事をしなかった。
更に秀吉は、秀次の姫と産まれた男児を夫婦にしようと提案したが、秀次はこれも最初は断った。
もしここで秀吉が強固な態度に出ていれば、後にもめることもなかったかもしれない。
秀吉が甥である秀次に遠慮した結果、後に大きな禍根を残すこととなる。
秀次のこの態度は、茶々と赤子が邪魔だと公言してるようなものだ。
秀次は聡明で礼儀をおもんじ、更に文武両道優れているというとても優秀な人間だ。
俺がいる近江八幡山城の前の主でもある。
城下町ではいまだに秀次を慕う民の声をたくさん聞く。
だが彼にはたった一つだけ欠点があった。
彼は人の血を見るのがことのほか好きだった。
時には自ら手を汚して処刑を行い、ついには自分の屋敷に処刑場を作ってしまうぐらいだ。
そんな彼が茶々と赤子のことを疎ましく思っている。
秀吉亡き後どのような目にあうか、想像するだに恐ろしい。
江の夫の秀勝どのは秀次の弟だった。
彼が生きていればもっと状況は違ったのに、と悔やんでも悔やみきれない。
そして九月、京都で高次どののお子が産まれた。
なんと男の子。
京極家の跡継ぎの誕生である。
側室が産んだ跡継ぎは、正室が引き取り育てるのが世の習いとなっている。
それは正室が男である京極家でも変わらなかった。
だが子供を引き離される母の悲しみは、茶々の件で俺も思い知っている。
茶々は早世した鶴松のことを引き合いにし、二番目の息子は自分の元で育てることを秀吉から勝ち取った。
これを追い風にと高次どのに書状を送ったが、『相ならぬ』といった返事しかこなかった。
だけど俺も粘った。
赤子を近江の八幡山城へ入れる用意をするため、高次どのが城へ帰ってきたときだった。
「女でもないわたくしが、生まれたばかりの赤子を母御から引き離すのはとても心苦しいのです。せめて乳離れできる齢までは、母親の元で育てることはできないでしょうか」
頭を畳にすりつけてお願いした。
茶々が最初に産んだ鶴松は母の手元を離れて育ち、ようやく母の元に返されてすぐに二度目の病にかかり亡くなった。
せめて側に置いて成長を見守っていたなら、茶々も幼い鶴松の思い出に慰められただろうに。
このご時世、赤子が病にかかり早世するのは珍しい事ではない。許される限り母と子を共にいさせてやりたかった。
「……初はそれで良いのか?」
不承不承といった高次どのの声に思わず期待をよせて顔を上げれば、真剣なまなざしが待っていた。
「跡継ぎの男児を側室が育てつづける。この意味がわからぬわけではなかろう?」
労りをにじませる声音に、俺はしっかりとうなずいてみせた。
側室が跡継ぎを産んだ場合、側室の実家の発言力は増す。
正室の実家の身分がよっぽど高くなければ、逆に正室のほうが軽んじられることもある。
俺なんかは実家である浅井家が無くなっているため、頼れるのはこの身に流れる織田と浅井の血統だけという弱い立場のはずだった。
だが茶々が秀吉の側室になったことで、俺の後ろ盾は天下人である豊臣家となっている。
俺と江は嫁いだ後も茶々に守られているのだ。
それにお崎の実家の山田家は身分が低く、跡継ぎを産んだ後も今のところは目立つ動きはしていない。
身分の低い側室を選んだことも高次どのなりの俺への配慮、なのかもしれない。
このままお崎が跡継ぎを育てることで正室としての俺の立場がどうこうなったとしても、黙って受け入れる覚悟ができていた。
それに跡継ぎが産まれた時点で、俺は自分の身の振り方を考えていた。
お崎は跡継ぎを産んだご生母さまとして、この京極家の重要な人物となる。
もし高次どのが彼女と共にいることを望むなら、俺は正室としての仕事を全うしつつも、どこか離れの屋敷を用意してもらってそこでひっそりと暮らす必要があるだろう。
正室との結婚は、家と家との結びつきを作るものであり、必ず夫婦としての情愛が必要なわけではない。
俺の両親のように正室と仲睦まじい夫婦もいれば、正室は形だけの妻として側室こそが愛する妻とする夫婦も少なくない。
まして俺は男。
京極家に比護してもらうだけで御の字なのだ。
まだ高次どのに言ったことはないが、いつでも形だけの正室として身を引く覚悟はできていた。
「……ならばあい分かった。赤子はこのまま京都の屋敷で育てることにする」
「わたくしのわがままを聞いて下さり、ありがとうございます!」
聞き届けられた嬉しさに顔をほころばせれば、高次どのは顔をゆがめて俺の頭を乱暴にわしゃわしゃとかき混ぜた。
「初は馬鹿だ。……本当に、愚か者だよ」
高次どのの押し殺したような呟きに、なぜか胸が苦しくなる。
ぐちゃぐちゃにされた髪を戻しながら、へらへらと高次どのに笑ってみせた。
ひとつこぼれ落ちた涙の理由は、俺自身にもわからなかった。