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十四話  相次ぐ死と、新たな戦

 


 近江八幡山城はかつて信長さまが築城された安土城を基としており、城下町にいたるまで特徴が似ている。

 近江の湖をひいてつくった水路は見事で、城の防御から城下町の運河としても活躍していた。


 二の丸から城下町を見下ろしていると、信長さまの安土城から見下ろしているような不思議な気持になる。


「安土城を初めて見たときには、人である限り信長さまの高見に上ることはないと思った。それが今では安土と同じ(さま)の地を治めることになろうとは……」


 高次どのも、信長さまに仕えていたときに安土城にはちょくちょく登城していたようで、俺の隣で感慨深げに城下町を眺めていた。



 そしてここでも、西の丸からは近江の湖が見渡せた。


「初は本当に近江の湖が好きなのだな」

「この穏やかな内陸の海を眺めていると、落ち着くのです」


 小谷城での記憶はなく、幼少期のほとんどを過ごした清州城では本当の海に接して育った。

 俺の二十数年の人生で一番馴染みがあるのは海のはずだ。

 だけど、静かに波打ち霞がかる近江の湖の方がなぜか胸を締め付けるような懐かしさを感じる。


 食い入るように湖を眺めていた俺を引き寄せ、そのまま手を包み込んで高次どのは笑った。


「おかげで俺の妻はいつも潮風に冷やされて冷たい。ほどほどにしてもらわんと、そのうち人をやめて水の精にでもなってしまいそうだ」

「ぼーっと湖ばかり眺めているわけではないですよ? ちゃんと妻の仕事もしていますから!」


 安土城のあった安土山と違い、他の山城に比べても八幡山はとても険しい。

 本丸は山頂にあるものの、普段居住する屋敷は山のふもとにある。

 高次どのが心配しなくても、水城とも呼ばれるほど湖に付きだした大溝城のように毎日眺める事はできない。


 それでも、近江の海のそばにいれるということが俺には嬉しかった。



 天正十九年(1591年)


 秀吉が天下を統一し、華々しく迎えた年のはずだった。


 だが、新年を迎えてすぐに秀吉の弟の秀長が病死した。

 秀吉を表からも裏からも支え続けた、秀吉の右腕が無くなった状態となった。

 もはや秀吉の天下は揺るぎないものであったので、これから豊臣家の繁栄を支えられたであろうにもったいないという思いしかなかった。


 だが翌月、豊臣政権の内政をしきっていた千利休が秀吉の命により切腹となった。

 これに関しては、豊臣家臣だけでなく市井にまで動揺がはしった。


 齢をとったせいか、最近の秀吉は短気が目立った。

 その度に北政所や弟の秀長がとりなして、事なきを得ていたと高次どのから聞いていた。

 秀吉自身にしても、一度は怒るものの後から謝れば結構許してくれるので有名だった。

 あのバカ殿信雄も、改易の後に頭を丸めて許しを請うたらまた家臣として扱ってくれたという。


 だが利休は断固頭を下げなかった。

 利休が権力を持つことをよしとしなかった者たちは「たかが町人風情が驕った当然の結果だ」など噂したという。

 だがあれほど秀吉から重用されていた利休の切腹の理由は、わからないままだった。


 秀吉政権の大きな柱がいなくなったことに、八幡山城の屋敷に帰って来た高次どのの顔色もすぐれなかった。



 そして八月。

 元から身体の弱かった、俺の甥でもある鶴松がわずか三歳で病死した。

 噂や高次どのの話を聞くまでもなく、幼い息子を失った茶々の嘆きようは容易に想像できた。


 本当ならすぐにでも大阪城へ行って茶々の側にいてやりたい。

 だけど京極家正室という立場が、俺が自由に動くことを許さない。

 せめて手紙を出そうと思うも何を書けばいいか迷い、何度も書いては紙をぐしゃぐしゃにしてまた筆を持ち直すのを繰り返していた。

 俺がぐだぐだしている間に、江から茶々に関する手紙がきた。


『初姉さま、あの茶々姉さまがあんなにもお嘆きになれらるのを見るのは、とてもつろうございます。わたくしでは何とお慰めしてよいのかわからず、初姉さまがいないのがとても心細くて仕方ありません』


 嘆き悲しんだのはもちろん茶々だけではない。

 江も甥を失くした悲しみと、そして身近に居ながら姉を慰めることのできない自分を責めている。

 俺は少しでも茶々と江のなぐさみになるようにと、近江のものを手紙と一緒に送った。


 秀吉の嘆きようも深かった。

 東福寺に入って髷を切り、幼い我が子の喪に服したという。



 身体をむしばむような暑さも過ぎた10月、秀吉はかつてから考えていた大陸への政略に出た。

 肥前(佐賀)に名古屋城築上をはじめる。


 市井の人々は大陸という見たこともない地への政略に仰天し、「鶴松を失った秀吉が正気を失くした」とか、「日本統一を果たしたために、家臣への報酬とする新しい土地が必要になった」とか「老いた秀吉の暴走」などと噂した。


 秀吉の味方をするわけではないが、大陸遠征はもともと信長さまが考えていたことだった。

 だから武将たちにとっては突拍子もない話なわけではない。

 そもそもそんな理由であれば、わざわざ東北や九州の武将がはせ参じるわけないのだ。


 そういう俺も、最初は市井の人間たちと同じ思いだった。

 だから大陸遠征へと意欲を燃やす高次どのを前に、つい不満をもらした。


「ようやく豊臣の天下となって戦もなくなると思っていたのに、どうして海を渡ってまでわざわざ戦をせねばならぬのですか」


 戦の準備の差配をするために近江八幡城に帰っていた高次どのは、その疲れをいやすために屋敷でくつろいでいるところだった。

 俺がついもらした愚痴に、目を丸くして酒を飲んでいた手をとめてしまった。

 高次どのの反応に、つい出過ぎた真似をしてしまったと焦る。

 両手をついて謝ろうと口を開いたが、それよりも早く高次どのが身を乗り出した。


「先の戦でお前を連れて行かなかったことを拗ねているのか。愛い奴……」

「んな訳ないしっ!」


 畳についていた俺の手を握ろうとしてきたので、つい反射的に叩き落としてしまった。

 先の戦の件では逆だ。

 側室を連れて行くように進言したのに、高次どのが嫌がったので不満に思っているぐらいだ。


 おっと、話しが逸れた。


「そうではありませぬ! ようやく戦もなくなって、近しい人間が死ぬ心配をしなくて良くなったと安堵していたのに。なにゆえわざわざ他国に攻め入らねばならぬのですか……」

「……そうだったな。初は戦のために何度も住む場所を追われていたのだったな」


 高次どのの気づかわしげな目線に、つい目頭が熱くなって目をそらした。

 確かに落城の記憶はつらいがそれ以上に、戦におもむく高次どのを見送るたびこれが今生の別れとなるのではないかと怖かった。

 またあんな思いをせねばならぬのかと、新たな戦に色めき立つ高次どのや家臣たちがうらめしかった。


「だがな初。このたびの戦は、日の本すべてを守るための戦となる」

「……守るための戦、ですか?」


 高次どのは手にしていた盃を置くと、俺に向き直り、今回の大陸遠征の壮大な理由を話してくれた。



 ことは織田信長さまの全盛期に戻る。


 耶蘇教を伝えに宣教師が外国からやってきた。

 だが彼らの本当の目的は耶蘇教の布教ではなく、植民地として日本を支配し、民を奴隷とするための偵察であった。


 珍しい物好きの信長さまは宣教師を招き入れ耶蘇教の布教を許したが、彼らの真の目的を見抜いていた。

 自身の側において武力などを見せつけることで、戦わずして日本攻略を諦めさせたのだ。

 これで日本が外国に攻められる心配はなくなった。しかし日本の周りの国は、明とその支配国をのぞいてすべてが諸外国の植民地と化していた。


 もし日本の隣にある明もしくはその支配国が植民地となれば、そこを拠点として日本に攻め込まれる。

 それを防ぐために、明が抑えられる前に明の支配国を先に抑えておこうという戦なのだという。



 

「日の本を守るための戦……」


 その壮大な目的に俺が呆然としていると、突然高次どのが俺を抱きしめた。

「戦を厭うそなたの想いはよく分かる。だがこの戦は、ひいてはこの京極家やそなたを守る為の戦なのだ。どうか終わるのを耐えて待っていてほしい」 

「高次さま……」


 そっと逞しい背中に腕を伸ばし、俺も抱きしめかえした。


「どうか、どうかご無事で」

「初……」

「そして名古屋で元気なやや子をお作りになって下さい」

「は?」


 俺を抱きしめる高次どのの腕が緩んだが、俺は逆に逃がさぬとばかりに腕の力をこめて締め付けた。



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