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十二話  生き恥さらして

 


 次の年、茶々が秀吉の側室になったと知らせが届いた。

 覚悟はしていたのだが、俺のせいだとやはり打ちのめされた。


 気が伏せり、徐々に食事が喉を通らなくなる。

 こんなことでは茶々に怒られると己を叱咤したが、頼りになる茶々はもちろんのこと、俺を振り回す高次どのも茶々の祝いのために城を空けている。

 独りでどつぼにはまってしまった俺は、どんどん気鬱になっていった。



 床に臥せ、もはや食事が通らずにかろうじて白湯だけ口にする生活にまでなっていたある日。

 気力もわかずに夢うつつでいると、神妙な顔をした高次殿が俺の枕元にいた。


「知らせが来て、茶々どのと秀吉さまから初の様子を見に帰るようにいわれてみれば……」


 大きなため息をついた高次どのに、祝いの席でいろいろな人に迷惑をかけたのだと思い当った。

 謝ろうと身体を起こしかけたが、弱って力の入らない身体を更に高次どのに押しとどめられる。

 そのまま額に大きな手を当てられ、じんわりと染み込むぬくもりに、自分の身体が冷え切っていたことを思い知らされた。


「初。お前を助けるためにその身を差し出した姉君を哀れと思うなら、そんな己を(いと)うなら、ひたすら生きよ。お前が生きて幸せになる事こそが、姉君への唯一の償いだ」


 高次どのの言葉はとても迫るものがあった。

 ぼうっとしていた瞳に力を入れ、必死に高次どのの顔を見上げる。

 そんな俺の反応に安心したのか、高次どのは少し表情をやわらげた。


「俺も龍子のおかげで今こうして生きている。こうしておめおめと生き恥を晒しているが、意地汚くも生き抜き、秀吉さまの元で働き、領地と城を手にしたことで龍子は心から喜んでくれた。それでこそわが身を犠牲にした甲斐があったとな」


 そうだった。

 龍子殿も兄を助けるために、実の夫と子供を殺された相手に嫁いだのだった。

 涙がじんわりと浮かんだが、それはただ嘆くだけの涙ではなかった。

 俺の涙を指でぬぐい、高次どのは頭を撫でてきた。


「共に生きよう。生きて共に報いよう」


 返事をしようと口を開いたが、力の入らない喉からはひりついた呻き声しかでなかった。だから重たい頭を必死にうごかし、うなずいてみせた。


「あぁ、そうだ」


 突然高次どのが懐に手を入れ、なにやら取り出した。


「茶々どのから手紙を預かっていた」


 はっとする俺を見て、高次どのはにやりと笑った。


「しかし茶々殿のお叱りの言葉がつらつらと書かれておるであろうこれは、今の弱ったお前には刺激が強くて見せられん。粥の一杯でも食べて気力が戻れば、お前にこの手紙をやろう」



 さっそく侍女に用意させた粥をぱくぱくと平らげる。

「俺が食べさせてやろうか?」とにやにやしていた高次どのは丁重にお断りした。

 そんな高次どのは、隣で書類を広げて仕事をしていた。

 たまに俺の様子を見ては、

「俺よりもそんなに姉様が大事か」と仕事をしながら器用にふてくされてみせる。


 俺が立ち直ったのは高次どののおかげだが、何やら照れくさいのでそのまま黙って食べ続けた。


 粥を平らげて白湯を飲んだ後、ようやく高次どのからお許しが出て手紙をもらえた。

 茶々からの手紙には、高次どのの言葉通り伏せった俺を叱る手厳しい言葉がつらつらと書いてあった。


 しかしそんなこと吹っ飛ぶくらい、驚愕させる事柄が書かれていた。


 要約すると、

『初が犠牲云々言い出すから言うのを忘れていたが、側室入りの条件のひとつとして万寿丸(おとうと)の還俗(坊主をやめて武将に復帰させること)を叶えました。万寿丸もわたしたちの境遇をみて、自分も何かできることはないかと考えていたようで快く承諾してくれました。今は浅井喜八郎と名を改め、秀吉の甥の秀次に仕えています。浅井の名を継ぐ男はちゃんといるので、初は安心して京極どのの女房として尽くしなさい』


 えぇえええっ、万寿丸を還俗させちゃったのかよ!!


 呆気にとられて固まる俺の脳裏に、寺で見た清々しい顔の万寿丸が浮かんだ。


「どうした?」


 俺の様子をいぶかしんだ高次どのに言葉が出ないまま、万寿丸について書かれたところを指差して見せた。


「あぁ、喜八郎どののことか。中国、九州遠征で何度も会ったぞ。……なんだ、初は知らなかったのか」

「何じゃそりゃぁあああっ!!」

「おぉ、元気が出て良かったな! さすが姉君の手紙だ」


 ちなみに、茶々の手紙はこう締めくくられていた。


『言葉を交わしてみてわかったけど、京極どのは名門の出だけあって綺麗な顔してくえない男よ。秀吉のほうがよっぽどわかりやすくて扱いかいやすいわ。初もしゃきっとしてないと、京極どのにいじくり倒されるわよ。まぁすぐにうじうじするあんたにはあのくらい腹黒い男のほうがいいのかもね。今度大阪城に遊びにおいで、江も楽しみに待ってるからね!』



 茶々曰く腹黒くくえない男の高次どのは、俺が元気になったのを確認したらすぐに大阪城へと戻っていった。

 茶々への返事を書いて高次どのに渡すと、俺はなんだか憑き物が落ちたような気が抜けた気分になった。





 次の年、茶々は秀吉の子を産んだ。

 秀吉には正妻ねねを始め、何人もの側室がいたがその誰もが子を授かることがなかった。

 しかも茶々が産んだのは男の子、豊臣の跡継ぎである。


 秀吉の喜びようは凄まじいの一言だった。

 茶々が懐妊した時点で淀にあった城を大改築し、その城を茶々に与えた。

 元々産所は血が流れるため『忌み所』として専用の屋敷を用意するものだが、それでも破格の対応だった。


 茶々はそれ以降、淀城の主『淀どの』と呼ばれるようになる。

 龍子どのは松の丸という屋敷に住んでいたため『松の丸どの』と呼ばれていた。

 しかし側室の中で城を与えられたのは、茶々だけである。


 茶々は秀吉に嫁いで一年目にして、側室の頂点ともいえる立場まで登りつめたのである。



 茶々の逞しさ、強かさにただひたすら感心した。

 心配していたのが恥ずかしいくらいだ。

 それと同時に、淀どのと呼ばれる茶々がとても遠い存在になったようで寂しかった。


 だけどそれは俺の杞憂だった。

 俺たちの姉茶々は、どうなっても茶々だった。


 秀吉の長男鶴松を産んだその年の暮れ。

 茶々は何と、父浅井長政と母お市の供養を行う許しを秀吉からもらったのだ。

 これには俺も江もそして高次どのも驚き、そして心から喜んだ。


 茶々は更に、父と母上の肖像画も描かせて寺に奉納した。

 秀吉は茶々のためにとても腕の良い絵師を手配してくれたようで、完成した肖像画は美しい母上をよく描けていた。

 父上を知る人たちは、父上の肖像画もよくできていると誉めたたえた。

 父の記憶が無かった俺は、茶々のおかげで父の顔を知ることができたのだ。



 俺はこの件以来、悔しいが秀吉は情が深い人間なのかと思うようになった。

 もちろん父や母上や勝家どのを殺したことや、恩義ある織田家にしたことは到底許せることではない。


 だけど父や母上の法要をお膳立てしてくれ、俺たちに親孝行をさせてくれた。

 これは感謝してもしきれない。

 そして龍子どのの願いとはいえ長浜城を攻めた高次どのを許し、己の家臣にして俸禄を与え城までも与えた。

 これに関しては素直に秀吉の懐のでかさに感心する。


 比べるのもおかしいかもしれないがあの信長さまは、父に裏切られた時、寺に隠れていた長政の高齢の母をわざわざ見つけ出して刑場に引きずり出した。

 俺と高次どのの祖母となる方は、指を一本一本切り落とされたあげくに殺されたという。


 もし身内に甘い信長さまが同じことをされていたなら、高次どのはとうに八つ裂きの刑にあっていたかもしれない。


 いや……秀吉が、若くて綺麗な女のわがままに鼻の下を伸ばしてただ従う助平爺の可能性もあるが。




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