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十一話  亭主元気で留守がいい

 


 夫婦になったとはいえ高次どのは秀吉の元、大阪城(おおさか)聚楽第(きょうと)で忙しく立ち回っており、大溝城を空ける事が多かった。


 この大溝城は近江の湖とその内湖を利用した水城で、本丸が堀に囲まれているというよりも池の中に城が立っているように見える。

 天守閣まで登らずとも少し高いところからは、近江の広大な湖が見渡せた。

 主人が留守の城で、俺は暇さえあれば城から湖を眺めていた。


 湖の向こうには、秀吉の元に残る茶々がいる。

 今も一人で浅井の家のために戦っているのかと思うと、今すぐにでも目の前の湖に飛び込んで駆け付けたい。


 欄干に手をかけて見えるはずもない大阪城を眺めていると、気を利かせて席をはずしていた侍女が頃合いと連れ戻しに来た。


「奥方様、あまり水辺の近くにいてはお体が冷えます。今日はお館様がお戻りになられる日でございます、そろそろお迎えの支度をなさってはいかがですか?」

「あぁ、つい見入っておりました。そうですね、参りましょう」


 差し出された侍女の手に手を乗せて中に戻ろうとすると、ふふっと侍女が微笑んだ。


「本当に仲のよろしいことで」

「んん……」


 まだ姉を恋しがる自分を幼いと思われたか、と曖昧に微笑み返してごまかした。

 侍女の笑みは暖かいものであったが、嫁ぎ先でおもむろに里心を出してはいかんなと気持ちを引き締め直した。




 部屋に戻ると白粉をはたいて紅を塗り、いつもより少し華やかな打掛を羽織った。

 嫁ぐ前ぐらいからおね殿や龍子どのの指導で、化粧の練習はさせられていた。

 すでに化粧に手慣れている自分が何だか悲しい……。

 俺の髪を梳く侍女の笑みを見るに、俺は夫の帰還に喜んでめかしこむ妻にしか見えないんだろうな……。

 いや、誰が見てもそうか。


 微妙な心を落ち着かせつつ高次どのを迎えに出れば、留守をしていた家臣たちと談笑をしていた。

 大阪城の茶々の様子を早く聞きたいのが本音だったが、主人を迎える妻として両手をついて頭を下げた。


「ご無事の帰還、何よりでございます」

「気を詰める城仕えの後も、そなたの美しい姿を見れば疲れも吹き飛ぶな」

「まぁ、高次さま。恥ずかしゅうございます……」


 城仕えで溜まった鬱憤を、俺ではらすんじゃない。

 鳥肌たつからやめてくれ!


 大阪城では秀吉の愛妾として龍子どのが君臨している。

 周りの者が妹のご機嫌伺いをするついでに、高次どのにも愛想笑いをしながら近づいてくるのがとてもうっとうしいらしい。腹の中では「この蛍大名が」とか毒づいているのがわかるから尚更だ。


 思わず引きつる顔を、恥ずかしがるふりをして袖で隠す。

 家臣がいる手前、表面上はにこやかな夫婦の会話をしていると、俺の側に控えていた侍女が突然満面の笑顔でぶっこんできた。


「奥方さまはお屋形様がご不在の間ずっと寂しがっておられ、毎日外を眺めてはお屋形様のお帰りをお待ちでございました」

「な、何を言いますか!」


 この侍女、ものすごい勘違いしとったわ! 

 考えていたのは高次どののことじゃなくって、茶々だよ! 

 この男にいらんことを吹き込むんじゃない!!


「ほう、あいかわらずいじらしい奴め。初は織田の姫君にしては気が細いな」

「ま、まぁ。お恥ずかしゅうございます……」


 高次どのは俺が誰を想っていたかわかったうえで悪乗りしてくる。

 侍女や家臣が「若夫婦はよろしいですな」なんてによによと笑っているなか、「いいえ、旦那のことではなく姉のことを考えていました!」なんてばっさり言えるわけもなく、拳を握りしめながら嫌々、高次どの悪乗りに付き合った。


「湯あみの用意ができております」


 俺が恥ずかしがっていると勘違いした侍女が、図らずも助け舟を出してくれた。


「旦那様、どうぞ戦の疲れをいやしてくださいませ」


 いいぞ侍女! 高次どのよ、さっさと行くがよい!


 頭を下げながら俺もすかさず合いの手を入れれば、「そうだな」と高次どのがうなずいた。

 ようやくこの苦行から逃げられるとほっとしたのもつかの間、にやりと悪い笑みを浮かべる高次どのと目が合った。


 あ、やばい。


「ならば奥よ、着替えを手伝え」


 うわ~っ、更なる試練がきたーっ!


 助けを求めて周りを見回せば、「それでは我らはここで……」と勝手に気を利かせた家臣や侍女たちが部屋から出ていくところだった。


 いや、一人だけ侍女が残っている。

 高次どのにいらんことを報告した侍女は、「さ、奥方様どうぞ!」と目だけで俺を促してきた。


 覚悟をきめ、にやにやして立っている高次どのの前に膝立ちする。

 無言で目の前の帯を緩め、しゅるりと音をたてて腰から引き抜き、後ろに控える侍女に手渡す。

 立ち上がって後ろに回り、肩衣(そでなしの上着)を腕から引き抜く。


 また前に戻って残りの着物を脱がせ、長襦袢(はだぎ)に手をかけたところで手がどうしても止まる。


「どうした、初?」

「……いいえ」

 高次どのから笑みを含んだ声をかけられ、覚悟を決めて襦袢を一気に脱がせた。


「…………」


 うわー、出ましたよむっきむきの身体!

 もちろんふんどしで股間は隠れているが、眼前に出てきたむき出しの逞しい肉体に、つい顔をそらした。

 熱くなった耳には、くつくつと意地悪く笑う高次どのの声が聞こえるがかまうもんか!


 俺だって貧相ながら同じ男ではあるんだけど、今まで姫として育てられただけあって他の男の裸なんて見た事なかったんだよ!

 こんな鍛えられた身体、生々しくって間近で見てらんないんだよ!!

 男のくせにこんな反応気持ち悪いでしょうが、今でも袖で顔を隠したくらい恥ずかしいんだよっ!!


「くっくっく……! 夫婦になってずいぶん経つというのに、我が妻の初々しい事よ」 

「お屋形様、奥方様がお可愛くて仕方ないのはわかりますが、おからかいになるのもほどほどになさいませ」


 侍女が笑いながら手渡してくれた湯浴み用の長襦袢を、高次どのの裸体が目に入らないように適当に着せてやる。

 袖を通すふりをして腕を少々ねじり上げてやったのは、ご愛嬌といったところか。



 俺をからかって満足した高次どのがようやく湯浴みにいこうとし、部屋をでる手前で振り向いた。


「しかしこうやってたびたび城を留守にすれば、確かに心細かろう。ますます精進し、はよう大阪城か聚楽第に屋敷をいただきたいものよ。なぁ初」

「はぁ……」


 彼は恵まれた人間だから、人の嫉妬やねたみに気付かないか気にしないのだろう。

 秀吉は政に関して辣腕だが、女性関係となるとかなり嫉妬深く些細なことも気にする。

 容姿も身分も若さもある高次どのを、秀吉は茶々の身近に置きたくないのだと思う。

 でも秀吉のそんなところが「可愛い」と側室たちに受け、町民からは「関白殿下もそこらの男と変わらん」と親しみを持たれているのだからわからないもんだ。


 どんなに頑張っても避けられてるよ~、と風呂に向かう高次どのの背中に仕返しとばかりに心の中で声をかける。

 姿が見えなくなったところで、ようやく解放されてどっと疲れが出た。




 そんなこんなで、高次どのが城にいる間は振り回され、茶々の心配してうじうじとする暇はなかった。

 正室に男を押し付けられた被害者であるはずなのに、楽しんでいるような気がするのは俺の気のせいでないと思う……。

 秀吉が手配した婚姻だからと気にせずに、早く城に側室を入れないと……と思わず遠い目で考えてしまった。




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