物集めのむなしさ その5 ガラクタ民具で満たせるあんたの心ってそれっぱかりかよ?
物集めのむなしさ、、、
そうです。
いくら集めても心はむなしいだけです。
そばチョコ1000個集めてもそれでどうなりますか?
どうにもならないでしょう?
いいえ
値段のことを言っているのではないのです。
たとえ高価な骨董品でも
それはしょせん物言えぬ物体であるにすぎません。
骨董に癒される?なんて言いますが
そんなのウソですよ。
汚い縁の欠けたツボで
心が癒されるなんて
それってうそでしょ?
歴史的に文化的に価値はあるでしょうが
そんな汚い壺で私は心が癒されるなんて
信じたくもないですよ。
風流?
粋?
幽玄?
わびさび?
骨董の美?
でも
ほんとに苦しいとき私は骨董なんて見るのも嫌でしたよ。
泰西名画も
白磁提灯壺も
万歴赤絵も
苦しくって仕方のなかったときには、、
そんなもの見たくもなかったですよ。
そうではなくて
心に余裕がある時には
骨董を見て、感動したりもしましたがね、
結局その程度の物でしょう?
骨董品なんて?
芸術品なんて?
職人が丹精込めた最高の傑作骨董ならともかく
芸術家が魂を込めた作品ならともかく、、、
そこまでも行かないような
ガラクタや
雑器
古民芸では
はっきり言ってそこに美なんてかけらもないでしょう。
名もない職工のたくまざる美って?
それはあくまで柳の思い入れにすぎませんよ。
職工なんて日々の生活の稼ぎに
汗水たらして
陶画を殴り書きして手馴れてるだけにすぎませんよ。
手馴れてるだけで決してそれは藝術作品でなんかありません。
馬の目皿なんて
只、グルグルと線描しただけで
今から見れば前衛的?に見えるかもしれませんが、
当時は、ただ手抜き仕事であるだけにすぎませんよ。
本来なら花鳥とか山水とか描くべきなのに
それだけの暇も技も知識もないから
只グルグルいい加減に線描してごまかした?
それが本音でしょう?
そうした手馴れた手わざを見て
粋人?柳宗悦は独自の美的感覚がありますから
変に?深読みしすぎて?
これは美しいと、、、
これは名もなき職人の巧まざる工芸だと、、、
思い込んだだけですよ。
さて、、、まあ、、、、
民芸論議はこのくらいにして
でも庶民で骨董愛好家は
集められるのは
そんな2流3流の骨董品だけですよ。
私もその一人です。
そして時々
集まったものの
あまりの程度の低さに
怒りさえ覚えることすらありますよ。
そんな収集品を全部燃やしてしまいたいという衝動に駆られれるのです。
でも?
誰もが一級品を集められるわけでもなし
「ヤドカリはまたおのれの体に合わせて貝殻を選ぶ」
ということわざどおりに
身の丈に合った
私なりの程度の骨董品を集めるしかないのでしょう。
それが嫌なら?
やめるがいいのです。
止める自由はあるはずです、
それにもかかわらずまだ愚にもつかない?
古民芸のカスを集めているって?
それはあんたのご勝手?でしょ?
ただ、、
骨董に限りませんが
人生において
しょせんはヤドカリの殻はありますよね?
誰もが豪邸に住めるわけでなし
誰もが繭山龍泉堂で高級古陶磁を大名買いできるわけもなく、、、
私のようにマッチ箱住宅で
やっとこローンを払って
一生を終わる人が多いのが現実でしょう。
だから
あまりにも、
突き詰めて考えたら怖いですね?
こんな庶民の私の一生なんて何の意味がある?
という結論にもなりかねませんからね。
クズのような骨董品しか買えず
ちっぽけな家に住み
全く無名で庶民で
名もなく
貧しく
汚く?
一生を終わる。
じゃあそんな一生に何の意味があるのか?
そしてこんな屑骨董を飽きもせず買い求める私って?
いったいバカじゃないのか?
経済的余裕もないのに、、、
いっそ今すぐ死んじまったほうがマシ?といいう結論?にもなりかねませんね?
というわけであまり突き詰めて考えないほうがいいのです。
庶民ヤドカリのこの私は
また飽きもせず
ガラクタ骨董を
買い続ける?
なぜ?
単純に楽しいから、、
そうです
楽しむためにやってるんです
それが苦しかったり
イヤだったら
こんなクズ骨董買いなんて即刻辞めたらいいんです。
どうせこんな3流骨董なんて
今すぐ廃棄したって
誰も困らないんですからね。
むしろすっきりしていいくらいですね。
印判手の徳利やお皿が
そばチョコが
ウランガラスのカップが
臭い古裂の山が
錆びついた古銅器が
そんなもの今すぐ全部消えたって
誰も困りません。
というか消えたほうがすっきりして爽やか?かもしれませんよね?
でも
お前はそんなものを飽きもせずまだ集めている。
それは楽しいからだろ?
自分なりに3流骨董ワールドが
そこでささやかにも
安価に?楽しめるからだろ?
それならそれでいいじゃないか?
それでいいことにひとまず
しておけばいいでしょ?
それでいいのです。
というか
それしかないのですから。
正しいも間違ってるもありませんよ、
こんな3流骨董クズ遊びには
しょせん
楽しいか
楽しくないか
判断基準はそれだけでしょ?
だってそんなクズ骨董にはそもそも、、
何の価値も、はなから、ないのですから、、、。
そしてあなたが死んだら
遺族は
そんなクズ骨董を
ただちに
まとめて
粗大ごみの日に出して
それで終わりです。
それでいいんです。
というか
それしかないんですから、、、、。
故人はほかに何の趣味もなく、、、
女遊びもせず
ばくちも打たず
酒も飲まず、、、
唯一の趣味が
ガラクタ骨董買い?だったなあ、、、
こんな小汚い縁の欠けたお皿のどこが良いのか理解に苦しむが、、
こんな汚い臭い古裂のどこが良いのか全く分かりかねるが
こんな明治の印判手皿500枚も集めてバカじゃなかろか?
こんな、そばチョコ1000個も集めて、、、基地外沙汰?だけど、、、
まあ
故人が楽しかったんだから
それでいいじゃないか?
ばくちも打たず
酒も飲まず
これだけが楽しみだったんだから、、、、。
もう死んじまった故人を攻めても仕方ないよな、
そう思ってくれる人が
一人でもいたなら、、、
もって
瞑すべし、、
でしょうね。
物集めのむなしさよ、
どんなにモノを集めてみても、
ココロは、、
いつもむなしい。