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第4章 その2

 将軍たちは互いに武運と無事の帰還を祈り合い、一足先に五十狭芹彦の部隊が出陣した。

「偵察の状況報告によれば、阿多姫は配下の隼人族を率いてるらしいがせいぜい三百。こっちは千以上の軍勢だから楽勝だな」

「ああ」

 王宮を出て西へ進む途中、横に並んだ豊城が五十狭芹彦に言った。五十狭芹彦の表情を窺うものの、特別な動揺や苦しみなどは読み取れない。やはり腹の中を明かさない食えない男だと豊城は思った。

 大王の命の通り、すっかり稲刈りが終わり、田んぼはきれいに刈り取られた後だった。いくつもの集落を通り過ぎていき、そのたびに人々が様子を見に来ては「戦が始まるのですか?」と不安げだ。

 こんな時、民を安心させる役目は決まって豊城だった。五十狭芹彦には将軍の地位にあることを示す輝く剣が与えられているが、豊城は王族の証の翡翠の首飾りを身に付けている。民はそれを見て、多少なりとも安心するらしい。

 昼前に王宮を出発し、部隊は太陽が昇りきる頃、逢坂付近に到着した。五十狭芹彦は山陰になる場所に陣を張ることを指示し、少数の部下と共に高台に登った。

 地形をよく観察すると、少し谷間になっている部分があり、一度自軍に引きつけてから一気に退却させれば、その狭隘な場所に追い込むことができる。逃げ道を塞いでしまえば、こちらが圧倒的に有利に戦える。

「明日の早朝が勝負時だな。敵は夜陰に乗じて進んでいるようだから、我々はここで息を潜めて待ち伏せる。明かりは最低限にするように」

「はっ」

 五十狭芹彦は部下に命じて、自分は陣内で待機することにした。

 そして深夜、五十狭芹彦は身近に控えていた部下たちに口止めをし、密かに陣を抜け出した。どうせ豊城入彦が自分のことを監視しているに違いないと踏んで、五十狭芹彦は別の部下を数人、彼の陣に差し向けて作戦の確認をさせている。

 明かりすら持たずに歩くのはなかなか厳しかったが、五十狭芹彦の心は真っ直ぐに阿多に向かっていた。彼女を逃がすのは今しかない。

 五十狭芹彦は斥候のもたらした情報を基に、ある場所でしばらく待った。

 どのくらいの時間が経ったのかはわからないが、不意に足音が聞こえてきた。夜目を凝らして観察していると、足音の主の一人がよく知る隼人のものだとわかり、五十狭芹彦は腕を掴んだ。

「久しぶりだね、加理志。俺だよ」

「……大和の将軍じゃないか! 何やってんだ、こんなところで?」

「君たちの動向は全て大和に筒抜けになってる。俺が率いる部隊はすぐそこの逢坂で待機してるんだ」

 加理志は心底、驚き呆れたように溜息をついた。

「あんた、敵将だろ? いいのかよ、そんなこと告げに来て。……まさか、うちの姫に会いにきたのか?」

「そのまさかだよ。会わせてくれ」

 五十狭芹彦が小声で頼むと、加理志は少し迷った末に「いいよ」と頷いた。

 以前、密かに単身、大和の意図を伝えに南山背に乗り込んできたこの若き将軍が、今更、阿多姫を殺しに来たとは思えない。

 黙って加理志の後について行き、五十狭芹彦は清水が湧き出てる洞穴の中に阿多を見つけた。

「俺は少し離れたところにいるから」

 そう言って、加理志は立ち去った。

 高鳴る胸を感じつつ五十狭芹彦が洞穴に身を屈めて入ると、阿多は叫び声を上げそうになり、両手で口を押さえた。

「阿多……、俺のせいだ。君たちに大王の意図を告げたばかりに、君たちの武装が逆手に取られてしまった」

「いいのよ、そんなことは。遅かれ早かれ、いずれは私たち戦う運命だったのよ」

 五十狭芹彦に思い切り抱きつき、見上げた阿多の両頬には逆三角形の朱色の模様が描かれていた。五十狭芹彦はその模様にそっと指先を滑らせた。

「魔除けの模様かい?」

「ええ」

 阿多は微笑み、自ら五十狭芹彦の唇に自分の唇を重ねた。

「なぜ来たの? 敵と通じてるって疑われてしまうのに」

「もう怪しまれてるよ。それも、大王にね。逃げるなら今のうちだ。俺の軍が逢坂で君たちを待ち伏せてる。俺が号令をかけなかったとしても、副隊長の豊城殿が突撃するだろうね。だから、君は今すぐ引き返すか、隼人の水軍を頼って淡路が紀伊に逃げて」

 むざむざと想い人を戦で亡くすわけにはいかない。五十狭芹彦は阿多を強く抱き締め、何度も逃げてと囁いた。

 いつの間にか、阿多の瞳から大粒の涙が一筋流れ落ちていた。できることなら、恋人の言葉に頷きたかった。けれど、夫を裏切り、そして更に同胞を裏切ることなど到底できない。

「もし、あなたが大王を裏切って私と一緒に逃げてくれるっていうなら、どこまでも逃げるわ」

「………」

「ね、できないでしょう? 私も隼人族の首長として逃げるわけにはいかないの」

 泣き顔とは裏腹に、阿多の声は力強く、そして揺るぎない意思が漲っていた。五十狭芹彦は阿多の言葉に少なからぬ衝撃を受けた。

(俺は彼女をただ守ろうとしたかった。逃げてほしかった。でも、彼女は俺の想い人である以前に、隼人の長なんだな……)

 そう、自分はそういう女に惚れてしまったのだ。何も言えずに阿多の髪を撫でていると、阿多が五十狭芹彦の両手をぎゅっと握った。

「私のまじない、覚えてる? 将軍のあなたが出る戦は――」

「言うな!」

 珍しく声を荒らげて制止する五十狭芹彦を冷静に見詰め返し、阿多は微笑んだ。

「必ずあなたが勝つわ」

 誇らしげな宣言と共に、五十狭芹彦は頭を前に傾けて、額を阿多の肩に押し付けた。隼人族の女首長による勝利の言挙げは、大和のこの若き将軍にとっては敗北に等しかった。

 それと同時に、はっきりとわかったことがあった。

(俺は恋に破れたんだ)

 愛しい女に選ばれず、奪うこともできず、確かにこの手で美しい体を抱き締めているのに、その実、何も掴めてはいなかったのだ。それならば、せめて彼女の望みを叶えよう。勝利を約束してくれたのが阿多の愛であるなら、自分はその愛に応える義務がある。

 五十狭芹彦は阿多から身を離し、その額に口付けた。

「阿多……、また明日、会おう」

「ええ。手加減はしないわ」

 言い終わった時には、二人は敵対する指揮官の顔になっていた。

 夜が白み始める直前、五十狭芹彦は自陣に戻ってきた。そして、自陣の前に、腕組みをして立ちはだかる豊城の姿を認めると苦笑を溢す。

「ああ、バレてたんだ」

「長い逢引だったな。ま、大王には黙っておいてやるよ」

 豊城はにやりと笑い、五十狭芹彦の肩に腕を回した。

「心配するな。予定通りの作戦で迎撃する」

「後悔しないのか?」

「……隼人の女首長は大和を攻める気満々だよ。謀反人を征伐するのに、どうして後悔する必要があるんだい?」

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