バレンタインデー
異世界だけあってバレンタインデーは存在していない。
勿論慶司もチョコレートの日を伝道しようとは思っていない、しかし愛を伝える日と云うのは悪くないなと思いエルに話していたので感謝の印としてケーキを焼いて用意していた。
「主様、なんじゃか良いにおいがするのじゃが」
「ああ、今ケーキを焼いているんだけど、もうちょっと待ってね」
ケーキ、その言葉は全ての女性を魅了する。特にこの世界で慶司の作ったケーキは金貨よりも価値がある。
「そ、それは待てと言う事は妾が食べて良いものなのかや」
「なんだか喋り方までおかしくなってるけどこのケーキはエルの為に焼いたんだ」
ぬぉぉと全身を使って喜びを表現してくれるエルの姿をみて思わず微笑む慶司。だがエルはそこでふと動きを止めて頭を傾げた。
「しかし、主様よ、このケーキ何故に用意したのじゃ、なにかあったかのぉ」
「一度説明したとは思うんだが、故郷の習慣みたいなものさ、愛を伝える日があってエルならケーキが嬉しいだろうと思ったんだ」
「うむ、ケーキは最高じゃ!」
そう言った瞬間にビキッと音がなるかのようにエルが固まる。
「そ、それはあれか、バレンタインデーなるものじゃったかの」
「そうそう、なんだ覚えてたんじゃないか」
冷や汗をダラダラと流しながら慶司の返答を聞いたエルはギギギと油がきれたブリキ人形の如き動きになっていく。
「ちょっと出かけてくるのじゃ!」
そう言い放つと物凄い勢いで屋敷を飛び出していった。後に残されたのは焼きたてでこれからデコレーションを待つケーキと呆然とする慶司の姿であった。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「ぬ、抜かったぁ」
世の中には【ど忘れ】という有難い言葉がある。そして今まさにエルはその【ど忘れ】によって苦しんでいた。慶司からしてみればエルが忘れていることなど気にもしない事で、エルからすれば異世界の風習を実行したのは慶司の気持ちの問題であるのだから、単にケーキを食べたエルが美味しいと一言いってくれればそれだけで満足したであろう。
だがエルは慶司から受け取った【結婚指輪】を大切にする乙女な部分など、非常に過去に暴れん坊だったなどとは思えない程の乙女脳を持っていた。なので慶司の話を聞いた時、其の時こそ自分の思いを伝える方法を考え何を渡そうかなどと妄想までしていたのだ。
ここで完璧超人の如き自分の夫に困る。なにせ妄想していて何か武具でも、なんて思っても既に蹈鞴の太刀を持っているし、他の武器も全て慶司は己で考えて国の最高の鍛冶師であるブルトンに作らせている。ならば防具はどうかと考えても例のコートやズボンは異世界の神からの贈り物でさらに出会った時の一件で既にエルの肉体を使った付与魔法まで掛けられている最高級品。ならば道具をとなればこの大陸有数の竜具の発明家でありオーナー様に何を送れと……まさに絶望の連続である。そして料理なんぞと考えればまさにプロ顔負けで王宮にそれだけで留まってほしいとまで懇願されている。
一体何を……と考えている内に慌しく過ぎ去った日々の中でかるーくど忘れしていたのだ。今、エルの頭の意識を文字に直すと『どうしよう×∞』。
とりあえず退避する道を選び、ここは既婚者に意見を聞こうと喧嘩友達であい親友であり、前回は夫婦の営みについても助言をくれたグラディスの元へと急いでいた。
「ん、どうしたエル、そんなに慌てて」
「抜かったのじゃ、グラディス」
「何か異変か!」
余りにも慌てたエルの姿をみれば勘違いするのも仕方が無いだろう、町の庁舎の一室に飛び込んで来たのだから余程の事態だと考えるのが普通だ、なにせエルが飛び込んでくるということは旦那である慶司に何か無ければ考えられないのだから。なので次の一言で思わずグラディスは椅子から転げ落ちそうになった。
「プレゼントじゃ、忘れてたのじゃ」
「プレゼントってのは何だよ」
まあそれでもこれ程までに慌てるエルなぞ喧嘩していた当初からして目にしたのなんて……と考えたグラディスには一つだけ思い当たった、そう、前回のちょっと恥ずかしい告白のようなアドバイスの時だ。なるほど慶司絡みの用件かと察しをつける辺りは流石親友というだけあった。だがプレゼントなどで何を悩むというのか分からない。
「で、プレゼントで何を悩むんだ」
「うむ、実は先ほどケーキが焼かれておったのじゃがな……」
エルウィンは慶司の語った風習を話してグラディスに話した。そして悩んでたのは良いが完全に【ど忘れ】をしていたのでどうすればいいだろうかと、夫に何かプレゼントを贈ったかなどと質問を開始した。
だがしかし、夫婦間で贈り物をし合う風習などドラゴンである彼女達には存在しなかった。
沈黙が訪れてしまう。そしてグラディスも思う、なんて素晴らしい習慣なんだと!
愛する物へ気持ちを込めて感謝を示す、まあそこで慶司の完璧ぶりには確かにアイデアもヘッタクレもない状態になるなと同情してしまった。
自分の夫にならまあ料理でも食べさせてやるかなどと思ったが、グラディスも慶司の腕前は知っている。そしてそうした知識は全くなかった。
「これは既婚者だけの風習なのか」
「いや、違うそうじゃ、恋人同士や恋人になる前でもやり取りがなされるらしいぞ」
「ふむ……誰に聞けばいいのか迷うな」
「うむ、どうせ送るのであれば相手の喜ぶ物を送りたいのじゃ」
さてこうなると女子力(見た目は完璧、と元完璧)が完全に欠如したような二人。互いに意見を述べても有益な案が出る筈がなかった。
「ここはお主の旦那に何が欲しいか聞いて見てくれぬか」
「おお、成程な、同じ男性ならば分かるやも知れんな!」
これは名案とばかりに二人でグラニエス火山の邸宅へと飛んでいく。だがこれは予定通りに名案ならぬ迷案にしかなら無い。なにせグラディスの旦那と言えば……である。一応彼も4200歳と中々竜族全体でみても優秀な人材ではある。外面だけならフラム・フェルソト・レビン・グラニエスと言えばグラディスの旦那と云うだけでなく優れた手腕で支配地域の管理をし、武力も中々にあると評価されている。だが残念な事に彼はグラディスの旦那という意味では完全なM属性の男であり、その喜びの源は出会いでギタギタにやられたという記憶から発生してしまったという悲しい過去を持つ。
「フラム殿、大会以来じゃ」
「おお、これはエルウィン様ようこそ」
「フラム質問があるのだが……何か私から貰って嬉しいとしたら何かな」
「え!?ご褒美って何」
「いや、ご褒美と云うわけではないのだが、まあプレゼントもご褒美も似たようなものか、で何が欲しい」
「それって物じゃなくてもいいのかな、いいのかな!」
「構わんのではないか、形があれば良い訳では無い、これは発見じゃな」
「じゃあ、ちょっと耳かして」
「…………で…………なんてしてくれると嬉しいな」
ボンッとグラディスの顔が赤くなると同時に渾身のボディーブローが炸裂し「アリガトウゴザイマシター!」と感激の声を上げながらフラムは星となった。まあ死なない程にタフではあるのだが。
「だ、駄目だった、とてもじゃないが参考になる意見ではなかったが、うんまあ、形だけに拘ってはいけないという事だけは知れてよかったな、次に行こう次に」
だが竜族で対等に話せてしかも結婚している者は他に居ない。
「これは、誰に相談するべきなのじゃろう」
「うーん困ったときの竜聖母頼みとかか」
「ふむ、じゃが主様の焼いたケーキの話なんぞしたら竜聖母様には毒じゃからなあ」
「そう言われるとそうだなあ」
「ケーキッケーキッ」と連呼するマリシェルの姿が脳裏に浮かぶ。それ程までにケーキは危ない代物である。
「うぬぬ、そういえば義理で渡す風習はあるが否定的な考えを持っておったなあ」
「「うぬぬ」」
二人揃って頭を抱える。竜族のトップ2名がこのような状態で大丈夫なのだろうかと慶司が見たら突っ込みを入れただろう。
「そうか、うむ、竜族に拘らず婚姻している者に聞けばよいのではなかろうか」
「それじゃ!」
二人は息を揃えて頷くとグラニエスから飛び立って行った。




