似たもの母子
彼女の願いは我が子であるアンネローゼの幸せだった。
もしも、仮に娘が王位を継がないと決断しても構わなかったのだ。
だがあの一途な娘はそんな道を選ぶ可能性が無いだろうと、誰よりも真面目で誰よりも優しく、そして家族の為にと頑張る娘の事を母他の誰よりも理解していた。
だからこそ翌日の会議での彼女は和平への扉を開く決断を貴族に伝えた。条件は現フルトリア国王フェリプが始める前の状態の国境の維持のみ、実際その地点まで押し返しておけば国境は守りやすくなるのだ。
下手に賠償金だなんだと吹っかける意味は無い。交渉だからこそ下手な駆け引きを持ち出さずに対応すると臣下である貴族には強引に了承させたのだった。
「この戦争は国と国のものである。諸侯が参加された事への感謝もあるがまずは戦争を止める事を優先する。そして各々方には領地で起きている諸問題を法的にも早期に解決できるようにして頂く事こそが何よりの褒美であると考えるが如何か。もし何か困る案件があれば王族が責任をもって裁定を下す故な」
殆ど脅しと取られても良いような宣言であった。暗に奴隷の件は知っているぞと脅したのだ。
急劇な改革は無理だと慶司に伝えた女王ではあったが、戦争を止める事に関しては慶司から情報を得る事ができた。今後じっくりと改革を進め竜族との国交をなしえたら娘には楽をさせてやれるだろう。
そう判断した上での行動であった。
歴史的な記述としてはブルトンの改革にともなう余波を受けたフルトリア、エリミアド両国の奴隷問題を初めとする宗教問題などによる社会基盤の低下による戦争継続不可能状態によっての停戦、和平とされた裏側の出来事は単純に母が子の為に決めた国の方針の緩やかな転換の始まりだったのだ。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「どうぞ」
「失礼いたしますわ」
「悪いね呼び出して、さて、実はこう見えて忙しくて時間がないんだが預かり物があってね」
「預かり物ですか……」
慶司の執務室、校長室と理事長室も兼ねる一室で慶司とアンネローゼが向かい合った。呼び出しておいて忙しいんだと話を始める慶司の態度もどうだと思われるが、この数週間で彼女も慶司の人となりはわかっているし、この人はいったいどれだけの顔を持っているのだろうかと不思議に思うほど忙しいことは理解していたので素直に預かり物を手に取った。
「そう、君のお母さんからのね」
「そうですか母から……ん?」
冷や汗がダラダラと湧き出る感覚。残念な王女の異名をとるだけあって先日のやり取りなどすっかり忘れている。だが彼女が手に取った書簡の封蝋に関しては間違いなくエリミアド王国女王の紋章である。
「その、えっと」
「大丈夫、まあ前にも言ったが、追い出したりもしないし、どちらかと言えば、そうだね想像しているのと逆の手紙だと思うよ。なかなか有意義な話しも出来たしこの先が楽しみだよ」
「え? 話されたのですの?」
「そこまで驚く事もないだろうに、これでも顔も広いんだ」
「はぁ、顔が広いだけで女王《母》と会話など出来るものではありませんのですけれど、校長の逸話を聞くたびに常識が破壊されてしまっているので信じておきますわ」
「うん、それで直接預かってきたから読んでおいて欲しい、それと此れまで通り君はあくまでナンシーだから確りと座学にも取り組んでもらうからね」
「確認も取った後でもその態度ですから、校長は恐ろしいお方ですわ」
半ば自暴自棄な状態に陥りながらも冷静を装いながらだったが、彼女はソファに座ったまま手紙を読むにつれてドンドン顔色が変わったり戻ったりと忙しい。若干だが手も震えているようだ。
「これは本当のことですの!?」
「まあ、お母さんから私に説明してもらった内容が書かれているのであるならばYESと答えよう」
「……でも校長って結婚されてましたわよね」
「む?」
「だ、だってこの手紙には、その捕まえろ、孫の顔をみせろ、その為には和平と竜族の国交化を勧めてから王位を譲るからしっかり勉強しろと……その」
「後半部分はその通りだが、前半部分は知らないぞ……」
「ですわよね、そうだと思いましたのですわ!」
だいぶお茶目な女王陛下《母親》ではあるが、これが本気で書いている事をアンネローゼは理解していた、だが慶司と結婚しているエルウィンもまたアンネローゼにとって尊敬に値する女性で、其処に割り込む気は無かった。困った母だと思いながらもこの手紙が真実だとすれば私は何を学べばと不安になる。それを察したのか慶司が助言をした。
「色々な事が学べる筈だよ、少なくとも一般教養はマギノレベルと同等以上だし、魔法や魔術の授業だって引けは取らないからね」
「そうですわね、私、必ずや成果を出してみせますわ、今度手紙を書きますので、そのお願い出来ますでしょうか……」
この手紙の意趣返しはせずには居られない……
こういう表情もするのかと慶司は思いながらも軽く了承してやったのだった。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
後日、返事を書いたアンネローゼが手紙に封蝋をしてから預け、慶司がそれを届けたのだが、リーゼロッテは手紙をみると苦笑してしてやられましたわと慶司に告げた。
「手紙にはなんと」
「孫を産むのは面倒なので妹をそこの英雄に頼んで下さいですって」
「……」
人を痴話喧嘩の玩具にして欲しくはないのですがねと慶司も思ったが、口に出すには少々困る。
「ですが、流石にこのおばさんでは……」
「……残念ですが妻が居りますのでお相手は務まりませんが、女王は十二分にお綺麗ですから可能性はあると伝えておきましょう」
「お上手ですわ」
この似たもの親子めと毒づきたい所だが、王族としてはブルトンもそうだが、このエリミアドも相当に変わっているのだろうと変な納得の仕方をした、きっと遠くブルトンの地では数名の女性がクシャミが止まらないことだろう。それにしても母子の仲が睦まじいなと慶司は思う。
このような冗談のやり取りが可能な王族ならば、リーゼロッテの手助けをすれば竜の支配地との正式な国交も可能だろうと慶司は考えるに至ったとも云えるので悪い事ではなかった。
この関係を続けるべく、慶司は先日の通信用の魔術を施した精霊魔術を施した魔石の魔術道具だけでなく、今後の彼女の危険性を考え特殊な竜族魔術の付与された魔石の指輪を贈る事にした。
「この指輪ですが、もしもの時に備えてお渡ししておきましょう。何かあればこうして魔力をこめて魔術を発動させてください。結婚指輪ではなくて申し訳ないですが貴方を信頼してお渡ししておきます」
「残念ですわ、結婚指輪というものは巷で流行っていると聞きましたが」
「この指輪を使えばこのように風の障壁が展開されますので……そうですねこの剣で切りかかってみてください、ただし弾かれるので気をつけて」
少し不作戯ていた態度を改めて壁に掛かっていた剣を手渡すと指輪の魔術を発動させる。
若干だが空気の層の変化によって慶司が揺らめく。弾かれる音もしないにも関わらず振り下ろされた剣は弾力をもって跳ね返された。
「このような魔術が存在するのですか」
「まあこれは可也特殊な物なので他には数個あるだけですよ。あとこの魔石のオブジェクトを私室に、これは精霊を宿していますから、女王と会話は通じませんが護衛の代わりにはなってくれますので」
ブルトンのシャーリィやミランダ達にも渡してある物であり指輪も魔石のオブジェクトも既に幾度も検証している特殊な物だ。
「色々とお気遣い頂いてしまって……」
「あ、危ない此れも是非渡して欲しいと頼まれていました」
「何でしょう」
「結構人気があるので、是非渡して欲しいとアンネローゼ君から頼まれたケーキです」
「ケーキ?」
「ええ、お菓子の一種ですが我が家だけでなく、今竜の支配地域の数箇所とブルトンでも大人気の一品です」
「そうなのですか、では後ほどゆっくり頂きますわ」
「はい、紅茶などとも合うのでこちらの紅茶の茶葉も置いておきますね」
「薬ではなく?」
「これは普通に香りを楽しみながら飲むタイプです」
「色々頂きましたが、この国で返せる物は……なにか希望する物はありますか」
「そうですね、では今後の友好な関係を一つ」
珍しい物を注文しますねと笑う女王、だが悪くない気分だと朗らかに笑う事ができた。そして慶司が去った後に入れた紅茶の芳しい香りとベークドチーズケーキの破壊力によってここに又一人慶司のケーキの虜が出来上がったのはアンネローゼの思惑通りであった。後日キッチン用の竜具一式の注文や竜具屋の直営店、ケーキのレシピを強請られた慶司の姿があったのは余談である。