幼なじみの甘い誘惑
物心ついた時から、幼なじみの彼に片思い中の私。おまけに、奥手な性格が災いして気持ちも伝えられず、今日も妄想に胸をときめかせる日々。そんな折、親友にひやかされて……それなりに甘めなお話です。
「あっ!危ないっ!!」
私は、彼の胸元を両手で押した。
「え!?」
その弾みで、彼の上半身がそのまま後ろへ倒れる。
ドサッ。
仰向けに倒れた彼の上に覆い被さるようにして、私は両手で彼の肩を掴んだ。
ギシッ……。
静まり返った部屋に、ベッドの軋む音だけが響く。
「これは、どういうつもり?」
彼は、一瞬驚いたように目を見開くと、目の前で馬乗りになっている私に問いかけた。
「えへへ。びっくりした?」
意地悪っぽく答える私。
「……」
眼鏡のレンズ越しに覗く彼の瞳は、私の顔を真っ直ぐにとらえて離さない。
そんな今まで見たことのない真剣な表情に、今更ながら自分の軽はずみな行動を後悔した。
これは、絶対怒ってる、よね……。
グルリ。
「!?」
そう思った直後、私の視界が180度回転した。
ハッとして気付いた時には、ニヤリと笑いながら私を見下ろしている彼と目が合った。
「まさか、僕が驚かされるとはね」
いつになく低い声で言われて、私の心臓がドキリと大きく鼓動する。
普段の温厚な彼とは違う一面を垣間見たような感じがして、私は思わず身をよじった。
「もしかして……今、怖いと思ってる?」
私の耳元に顔を近づけて聞いてくる彼。
「それとも……期待してる?」
どことなく甘さを感じさせるような雰囲気に、私のドキドキは高まるばかりだ。
ちなみに私達、この世に生を受けた時からの幼なじみではあるけれど、残念なことにそれ以上の関係ではない。
もう、この際だから白状しよう。
つまりは、私の完全なる片思いなのだ。
今まで、幾度となく気持ちを伝えようとは思っていたものの、臆病者の私は言い出せずに数年、いや十数年が経ってしまった。
当然、彼はその間に少なくとも二人か三人ぐらいはお付き合いをしていただろう。
「さっきは僕を押し倒しておきながら、今度は黙り込んでるし。意味が分からないな」
「あは、あははーっ……」
勢いだけでここまで来たのは良いけれど、いざとなると肝心の勇気が出なかった。ここはもう笑って誤魔化すしかない。
「ま、おおよその見当はついてるけど」
そう言って、私にクスッと笑ってみせる。
「ええっ!?」
そして、私は思い出した……彼には表と裏の二つの顔があるってことを。
「一体、何年間幼なじみやってきたと思ってんの?」
息がかかるほどの至近距離にまで追い詰められ、私の緊張はすでに限界点を越えていた。
「……ていうか、僕もそろそろ素直になることにしますか」
「え?」
その言葉の意味が分からないまま黙って彼を見つめていると、唇にフワッと柔らかくて温かな感触が伝わってきた。それが、キスをされていると気付くのに時間はかからなかった。
な、何故?
頭の中は真っ白で……ただ彼に身を委ねているのが精一杯の私。
そのうちにも全身に電気が走ったような、だけど心地良い痺れにうっとりと酔いしれそうになった時、彼の唇が私からゆっくりと離れる。
「……」
「そんな涙目になって見つめられたら、さすがの僕もブレーキが利かなくなりそうなんだけど」
少し眉をひそめながら、はにかむように笑う彼。
「……っ!!」
私は、反射的にゴシゴシと目をこする。
「あ、そのうっとり感が良かったのに」
「……」
こういうシチュエーションには慣れていないというか、経験がないというか、要するに免疫がない私。だから、彼が今何を考えているかなんて分かるはずもなく。
「その表情……誰にも見せたくないな」
少し掠れたような声で言いながら、彼は再び顔を近付けてくる。
「んっ……」
さっきよりも強く唇を押し付けられたようなキス……それが、やがて熱を帯び激しさを増してきて、私は完全にノックアウトしてしまった。
♪
「……さ、……ずさっ、……こら、梓沙っ!!」
バシッ!!
「い、痛ーいっ!」
思い切り頭を叩かれて、私は顔をしかめる。
「もうっ、さっきから何度も呼んでるのに全然返事をしないんだからっ」
目の前で、親友の幸音が私を睨みつけていた。
あ、そうだ……今は昼休み中だった。
窓際の後ろの席を陣取って二人でお弁当を食べていたことに気付いてハッとする。
「……もしかして、また例の妄想?」
幸音が溜め息混じりに聞いてくる。
「あ、あは、あははー……そうみたい」
私は、後頭部に右手を回しながら笑って誤魔化した。
いけないいけない、また悪い癖?が出たようだ。
「どうせ、また祥平君と仲良くしてたんでしょ?」
「ま、まあ……」
私が答えに渋っていると、
「アンタ達、幼なじみでしかも同じクラスメートなのに、妙な距離感を保ってるよね」
幸音は、廊下側の後ろの席で数人の友達と盛り上がっているグループに視線を向ける。その中には、机の上にドカッと座る祥平がいた。
「な、何でかね」
「あちら様は、頭が良くて運動神経も抜群でクラスの人気者で、もう言うこと無しだね」
ううっ……私はガクッと頭を下げた。
「こちら様は、頭は普通で運動神経も人並みでクラスにそれなりに馴染んでる……もう普通すぎるね」
はあー……異議はございません。
「でもさ、思うんだよねー」
ふと、幸音がニヤリと怪しく微笑む。
「な、なっ、何っ!?」
思わず身を乗り出す私。
「この幸音様は知ってるんだな」
幸音は、自分のことを様付けして得意気に言う。
「だから、何を?」
「ふっふーん、その調子だとアンタは気付いてないね」
やけに勿体ぶる言い方だ。
「……祥平君ってさ、アンタのこと結構チラチラと見てるんだよ」
「えっ、う、嘘ーっ!!」
ガタンッ!
私は勢い余って席を立つと同時に、クラスメートの注目の的となってしまった。
お陰で、複数のグループからクスクスという笑い声や、ヒソヒソといった話し声が聞こえてくる。
「恥ずかしいから、早く座んなっ」
幸音に言われて、アハハと愛想笑いで切り抜ける私。
「?」
とその時、ふと視線を感じて、私は廊下側のグループにチラッと目を向けた。
すると、ほぼ同時に幼なじみの祥平と目が合う。
『……』
ん?笑いながら口パクで何か言っているようだ。
何々?……バ、カ? バーカ!?
ムムッ。
私は、鞄にしまっていた携帯電話を取り出すと、勢いよくメールを打って送信してやった。
「梓沙、何してんの?」
不思議そうに私を見つめる幸音。
「ちょっとね」
そう答えた私の視線を追う幸音が、すぐに気付いてニヤリとした。
「早速、向こうが何か言ってきたか」
「口パクで、バカって言ってきた」
「全く、見せつけてくれるよね」
「これのどこがっ!」
私がむくれていると、携帯電話からバイブ音がした。
「ほらほら、愛しの彼氏殿からだよ」
幸音に急かされるままに携帯のディスプレイを確認すると、案の定、祥平の表示。
『バカな奴にバカと言って何が悪い』
と書いてあった。
私はキリッと祥平のいるグループを睨みつけると、彼は素知らぬフリで皆と笑って話している。
「くっそー。家帰ったら覚えてろっ」
両手で握り拳を作って苛立ちを隠せない私に、
「はいはい。お隣同士、仲が良くて何より」
幸音は、また意味深な言い方をした。
「バカって言われるのが仲良しだって?」
私は眉を寄せる。
「それだけ気心知れてるって事じゃないの?せいぜい頑張りなさいな」
気心知れてる?私と祥平が?
顔を合わせれば、ちょっかいかけてくるような関係なのに。それが仲良しだというのだろうか。
そんなことを考えているうちに、午後の授業の始業チャイムが教室に鳴り響いたのであった。
♪
そして、放課後。
「じゃ、また明日ねー」
「バイバーイ」
幸音は、バイト先で知り合ったとかいう年上の彼氏とデートの約束をしているからと、学校の正門前で別れた。
「お?前を歩くのは梓沙じゃない?」
ふと、背後から聞き慣れた声が私を呼ぶ。
あえて誰とは言わないが、昼休みのこともあるから無視してそのまま歩き続けることにする。
「なーんだ……違うのか」
直に、残念そうに呟く声がした。
そうそう、人違い人違い。
私は、少しだけ早足で歩き出そうとした時だった。
グイッ!
「……っ!?」
いきなり背後から右腕を掴まれて、私は思わず後ろを振り返る。
「ほら、やっぱり梓沙じゃないか」
「あ……」
驚いている私の目の前には、ニコリと笑っている祥平が立っていた。
「ここで会ったのも何かの縁ってことで、一緒に帰らない?」
私はポカンと祥平を見上げる。
「他の皆は?」
いつもなら仲良しグループで帰るのに。
「今日は、偶然にも別行動なんだ」
「あら、珍しいこともあるのね」
「そういう梓沙だって、今日は相方の幸音ちゃんと別なのか?」
「うん。彼氏とデートなんだって」
私は、ごく普通に答える。
「ふーん。じゃあ、僕らもデートと参りますか」
祥平も、ごく自然にサラリと言った。
「えっ?」
そして、私の答えを聞かないうちに、掴んでいた腕を引っ張ろうとする。
「ち、ちょ、ちょっと!」
「何?」
「何?じゃないわよ、勝手に決めないでよね」
「どうせ、帰る方向が同じだろ?」
「そうだけど……」
「仕方ないな。途中でジュースを奢ってやるから」
「えっ、本当!?」
そんな会話を交わしながらも、二人並んで歩いていたりする。おまけに、ジュースの奢り付きとなれば、もはや断る理由は無いに等しい。
「でも、さすがにこの状況はどうかと……」
私は掴まれた腕を眺めながら言う。
「じゃあ、こうしよっか」
祥平は言いながら、今度は私の手をギュッと握った。その意外と大きな手にドキリとする。
「これも恥ずかしいんだけど」
付き合っているならともかく、ただの幼なじみの関係で手をつなぐのはどうかと思う。
「……お前、鈍すぎ」
ふいに、祥平がボソッと呟いた。
「え?」
「鈍いんだよ、いい加減気付けっての」
私が聞き返すと、祥平は少し怒ったように言う。
「いきなり気付けと言われても」
と言いつつ、私のドキドキは止まらない。
まさか、祥平は私の事を……?
「とりあえず、帰るぞ」
「う、うん」
祥平に手を引かれて、私は大きな不安と小さな期待を抱きながら家路に向かうのだった。
♪
バルコニーを挟んで、家が隣同士というお互いの部屋への移動手段といえば、ズバリまたいで渡る。
小さい頃から親に注意されても気にしない。
「そっちに行ってもいいか?」
着替えを終えて自分の部屋から出てきた祥平を、私は窓を開けて待っていた。
「端から見たら不審者みたい」
「この辺じゃ、暗黙の了解で通ってるからいいんだよ」
祥平は、慣れた様子で手すりを軽々と乗り越え、二階にある私の家のベランダに着地する。
今日は、何だかいつもと雰囲気が違う気がして調子が狂ってしまう。原因は、昼間の話題のせいだ。
「梓沙は部屋に入らないのか?」
「入らないのかって、普通は立場が逆でしょ」
「はいはい、座って座って」
そんな私の言い分をあっさりと無視した祥平は、お構いなしにベッドに座るなり、ポンポンと自分の隣を叩いてみせた。
「あのー、ここは私の部屋なんだけど?」
「今更言う?」
やたらニコニコした顔で言うから、私はそれ以上返す言葉もなくなってしまい、渋々座る。
「で、用事は何?」
私は祥平の横顔を見つめながら聞いた。
「さっきの続きに決まってるだろ」
そう言いながら、何故かかけていた眼鏡をゆっくりと外す。
「眼鏡外したら、ピンボケするんじゃない?」
私が言っている間にも、祥平の端正な顔はグーッと近付いてくる。
「こうして近付くと、良く見えるし」
「し、祥平ったら近すぎるよ」
あと数センチで唇が触れてしまいそうになったところで、私は待ったをかけた。
「……もう、手遅れだな……」
祥平が、いつになく低い声で囁くように言った直後だった。
「……っ!?」
私の唇は、祥平の唇によって塞がれる。
そして、彼の両腕が私の背中に回され、そのまま身体が引き寄せられた。
私……祥平とキスしてる。
何故?
考えようとしても、頭の中はボーッとして何も考えられない。
そのうちにも、祥平の規則正しい胸の鼓動が伝わってきて、私は心地良い緊張感に包まれてウットリとしてきた。
自分の妄想なんか比べものにならないくらいの感動に、私は今浸っている。
これで、十七年間の長い片思い人生にも、ようやくピリオドが打たれ……。
ドサッ。
ふと、私の身体がベッドに沈んだ。
それとほぼ同時に、祥平の唇が私から離れる。そう、私は祥平に押し倒されていた。
寝るにはまだ早い夕方だし、晩ご飯だってお風呂だってまだ済ませてないし。
おまけに、もうすぐ両親も仕事から帰ってくるだろうから気になるし。
「あ、あのっ……」
私の上で馬乗りになっている祥平と目が合って、頭にカーッと血が上る。
「実に残念だけど、ひとまずここまで」
意地悪そうにウインクをしながら上半身を起こす祥平に、再びドキリとさせられてしまう。
「……」
「ん?いつもの元気はどうした?」
祥平とのコトの余韻にすっかり酔いしれてしまっている私。
それにしても、この揺るぎない堂々としたような態度は何?と言いたい。
「……し、祥平って、女子の扱いに馴れてるんだ」
つい、言葉が皮肉っぽくなる。
「は?んなわけないだろっ」
すると、少し頬を赤らめて怒ったように言い返してきた。
「プッ」
それまでとの明らかなギャップに、私は思わず吹き出してしまう。
「な、何だよっ」
「ふふっ、何でもないよ」
「あのな、こっちは理性を抑えるのに必死なんだからな」
やけにつっかかってくる。
「ひ、必死って……」
ボボッ!!
私ごときの女子に……そう思うと、一気に顔が熱くなってくる。
「ククッ!お前、リアクションが単純すぎて面白えな」
祥平は、さもおかしそうに笑い出した。
「ちょっと、笑いすぎっ!」
私はガバッと起き上がると、彼の首に腕を回してグッと力を込める。
「うっ……そんな技、どこで覚えた?」
「自己流ですっ」
「……なるほど。まだ物足りないわけね」
「へっ?」
フッとニヒルな笑みを浮かべた祥平は、私の腕を掴んで緩めると、左斜め後ろを振り返る。
そこには、私の顔が間近にあるわけで……再び、祥平にキスされた。
幼なじみから恋人になった瞬間。
どうか、これからも私の妄想が夢で終わりませんように……。




