009.毒気の街と、白金貨の報酬
人工足場を踏み越え、ボッカの分厚いブーツが、ついに崩落を免れた硬い土の地面を捉えた。
「はっ……、ふぅ……っ!」
地に足がついた瞬間、全身の筋肉が限界を訴え、膝がガクンと折れそうになる。
だがボッカは、歯を食いしばって太い足の筋肉を硬直させ、背中の巨大な背負子を絶対に揺らさないようにゆっくりと腰を下ろした。
『――マスター。絶壁エリアの踏破を完了。魔導浄化炉のコアへの最大振動伝達率、0.5%を維持。内部の魔法陣に歪みは一切見られません。……生身の肉体による、完璧なサスペンション制御です』
脳内に響くロジの音声を聞き、ボッカは岩壁に背を預けたまま、血の滲んだ指先で額のの汗を拭った。
「言うのは簡単だがな……こっちの膝と腰は、もう悲鳴を通り越して笑いっぱなしだぜ」
ボッカは大きく深呼吸を繰り返し、暴れる心拍数を無理やり落ち着かせる。
一歩間違えれば谷底への滑落か、背中の爆弾の起爆。そんな極限の神経戦を乗り越えた達成感に浸りたいところだが、彼にはまだ休む暇など一秒たりとも与えられていなかった。
ボッカは立ち上がり、峠の頂上から眼下を見下ろした。
山のふもと、すり鉢状になった盆地の底に、目的地である『採掘街_マイン・タウン』の全景が広がっている。
「……ひどいな。こりゃあ、一刻の猶予もねえぞ」
ボッカの視界の先。
本来なら活気に満ちているはずの鉱山の街は、不気味で淀んだ紫色の『毒気』にすっぽりと覆われ始めていた。
鉱山の奥深くから噴出した有毒なガスが、風の通らない盆地の底に溜まり、街全体を飲み込もうとしているのだ。
『警告。街の汚染濃度がレッドゾーンに突入しつつあります。現在の風速とガスの拡散率から計算し、あと【1時間】で街の生命反応は完全にゼロになります』
「一時間、か。……上等だ」
ボッカは背負子の革ベルトをギリギリと締め直した。
道なき道を越え、カプセルを使い切り、満身創痍。それでも、プロの運び屋は荷物を届けるまで絶対に足を止めない。
「行くぞ、ロジ。ラストスパートだ。ここからは下り坂になる。膝のクッションだけじゃ衝撃を吸収しきれねえ。俺の足の運び(ステップ)に合わせて、着地点の地面の硬度をUIで完璧にナビゲートしろ」
『了解しました。ルート上の最適着地ポイントを算出、視界に投影します』
紫の靄が立ち込める死の街へ向けて、泥だらけの巨漢が、一切の振動を殺した不気味なほどの「すり足」で、凄まじい速度で斜面を駆け下りていった。
◆◇◆◇◆
採掘街の入り口に設けられた頑丈な鉄柵の内側では、絶望的な光景が広がっていた。
「ゴホッ! ガハッ……! 駄目だ、もう息が……」
「誰か、浄化魔法を……っ」
広場には、口元を分厚い濡れ布で覆った街の住人たちが力なく倒れ伏し、苦しげな呻き声を上げている。
その中心で、街を治める街長と、白衣を着た初老の魔導技師が、迫り来る紫色の毒気を前に血の気を失っていた。
「……もう、終わりだ。結界魔法もあと数十分で破られる。王都からの『コア』が到着する前に、この街は毒に沈んでしまう」
街長が、崩れ落ちるように膝をついた。
隣に立つ魔導技師も、悔しげに唇を噛み締める。
「そもそも、あのコアは振動に弱すぎるんだ! 街道は先日の嵐で完全に崩落している。馬車なんぞ通れるはずがないし、人間の足で背負ってくれば、到着する頃には手遅れになる……。我々は、最初から見捨てられていたんだ……!」
諦めの空気が、重い毒気と共に街人たちの心を黒く塗り潰していく。
女子供が泣き声を上げ、男たちが天を仰いで死を覚悟した、その時だった。
「――おい。道のド真ん中で寝そべってんじゃねえよ」
低く、枯れた、しかし腹の底に響くような野太い声が、紫色の靄の向こうから聞こえた。
「……えっ?」
街長が顔を上げる。
濃密な毒気の中から、ズシン、ズシンと、重く規則正しい足音を響かせて『巨大な影』が近づいてくる。
最初は、毒気に誘われた恐ろしい大型の魔物かと思われた。
だが、違う。
靄を切り裂いて現れたのは、土と泥にまみれ、指先から血を流し、全身から凄まじい熱気(湯気)を立ち昇らせた、岩のように分厚い紫の靄を持つ歴戦の男だった。
「な……なんだ、お前は……!?」
「ポーター《運び屋》……? なぜ、こんな山奥に、単身で……馬車はどうした!?」
魔導技師が目を丸くして叫ぶ。
ボッカは彼らの驚愕の視線など意に介さず、鉄柵の前まで歩みを進めると、ふぅ、と長く重い息を吐き出した。
そして、巨大な背負子のロックを外し、背中に固定されていた『厳重に梱包された荷物』を、羽毛を扱うかのような極限の優しさで、ゆっくりと地面に下ろした。
「馬車なんか使ったら、中のモンが爆発するだろうが」
ボッカは額の汗を拭い、ポカンと口を開けている街長と技師に向かって、ニヤリと精悍な笑みを浮かべた。
「ギルドからの『指名配達』だ。……一切揺らさずに持ってきたぜ。さっさと受け取りな」
泥だらけの運び屋の足元で、幾重もの布に包まれた『魔導浄化炉のコア』が、無傷のまま静かな鼓動を打っている。
街長と魔導技師は、幽霊でも見るかのように大きく目を見開いた。
「ば、馬鹿な……。あの完全に崩落した峠の悪路を、馬車も使わず、人間の足で越えてきたというか……!?」
「……んなこと言ってる場合か。さっさと中身を確認しろ。この紫のガス、吸ってて気持ちのいいモンじゃねえぞ」
ボッカが促すと、初老の魔導技師がハッと我に返り、震える手でコアの厳重な梱包を解き始めた。
布の中から現れたのは、ソフトボールほどの大きさで、複雑な幾何学模様(魔法陣)が刻まれた美しい水晶の球体だった。
技師は懐から特殊なルーペを取り出し、コアの表面と内部の魔力残滓を舐めるように確認していく。
やがて、その顔からさらに血の気が引き、ブルブルと全身を震わせ始めた。
「……あ、ありえない……っ!」
「どうした!? やはり振動で魔法陣が狂ってしまっているのか!?」
絶望の声を上げる街長に対し、技師は首をこれでもかと横に振った。
「ち、違う! 逆だ!! 魔法陣のズレが……1ミリたりとも存在しない! 王都の工房で組み上げられた、完全な初期状態(新品)のままだ! 王都の石畳を最高級のサスペンション馬車で運んだって、ここまで完璧な無振動は不可能だぞ!?」
技師は、信じられないものを見るような、もはや畏怖の入り混じった目でボッカの泥だらけの巨体を見上げた。
「あ、あんた……一体、どんな魔法を使ってこれを運んだんだ……!?」
「魔法じゃねえよ」
ボッカは血の滲んだ太い指で、自身の膝をポンと叩いた。
「人間の『膝』と『足首』ってのは、使い方次第でどんな高級な金属バネよりも優秀なサスペンションになるんだよ。それより、早く起動しろ。街の連中が死ぬぞ」
「は、はいっ!!」
プロの運び屋の凄みに圧倒された技師は、慌てて広場の中央にある台座へと走り、魔導浄化炉のコアをセットして起動呪文を唱えた。
――フォォォォンッ!!
コアから、強烈な青白い光の波紋が放たれた。
光の波は街を包み込んでいた紫色の毒気を一瞬にして中和し、澄み切った清浄な空気へと変えていく。
息を吹き返した街人たちが、次々と咳き込みながら立ち上がり、やがて広場は割れんばかりの歓声と安堵の涙に包まれた。
「おおおおっ! 助かった! 毒気が晴れたぞ!!」
「あの運び屋さんが、命がけでコアを届けてくれたんだ!!」
街長が涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ボッカの血に染まった太い手を両手で握りしめた。
「あなたは……我々の救世主だ! ギルドからの魔導伝書(※)で、最高の運び屋が向かっているとは聞いておりましたが、まさか本当にこの地獄を突破してくるとは……!」
(※魔導通信:コストは高いが、文字情報を一瞬で飛ばすギルドの連絡手段。)
街長は震える手で、重厚な革袋と、封蝋の施された公式な羊皮紙を差し出した。
「ギルドからは『荷の無事を確認次第、この預かり証を渡せ』と。……ですが、これは我ら街の者たちからの、言葉に尽くせぬ感謝の印です。どうか、どうかお受け取りください!」
ボッカが差し出された革袋の中を覗き込むと、そこには街の貯蔵金から捻出されたであろう、数枚の『金貨』が鈍い光を放っていた。これは、正規の報酬とは別の、現場での「特急完遂ボーナス」だ。
そして羊皮紙の束。それこそが、ボッカが真に求めていた「報酬の本体」だった。
「……ほう。ギルドマスター、仕事が早いな」
そこには、ギルド本部との魔導通信で事前に承認されていた『白金貨10枚の換金受領証』、そして『採掘街の良質な石材・鉄鉱石の無償提供許可証』が記されていた。
さらに、ボッカの名前が刻まれた、どの街の関所も顔パスで通れる『特級物流ライセンス』の束が重なっている。
「……大袈裟だ。俺はただの運び屋だ。頼まれたモンを、時間に間に合うように届けただけだ」
ボッカは渋く短く返しながらも、それらを懐へとしまい込んだ。
現金そのものはギルドに帰ってから換金する形になるが、この「預かり証」と「許可証」があれば、すでに大金を手にしたも同然だ。
その夜。
採掘街で一番豪華な宿の、一番ふかふかなベッドの上で。
ボッカは熱い風呂で全身の泥と血を洗い流し、悲鳴を上げていた筋肉を解きほぐしながら、手元の硬貨を天井に向かって弾き飛ばしていた。
キンッ……。
高く澄んだ音が部屋に響き、落ちてきた銀色の硬貨を太い指でガシッと掴む。
それは、街長からのボーナスとして受け取った金貨の一部を、利便性のために崩した『銀貨』だ。
「……合計10枚分。日本円にして100万ポッチ、か」
ボッカは自嘲気味に呟いた。前世の日本の大型公共事業なら、重機一台のリース料やガードマンの数日分の人件費で消える額だ。
だが、この経済が停滞した辺境において、この「現金」が持つ意味は重い。
「……ロジ。外から高い専門職人や高級な石材を買い揃えるのはナシだ。そんなことをすりゃ、この100万は一瞬で溶ける。公共事業の失敗パターンだ」
『肯定します、マスター。輸送コストと中間搾取を考えれば、外部発注は非効率です。現在の推奨プランは、手元の資金を【村への再投資】に回す地域密着型モデルです』
「ああ。あの村の連中を雇う。死にかけてた村の若手には、飯と、今の奴らにとっちゃ破格の『日当(銀貨1、2枚)』を出す。村の裏山から木を切り出し、放置されてる村の石切り場を再建させるんだ。……金を村の外に流さず、村の中で循環させる」
ボッカの脳内で、図面の上に「予算配分」の数字が並んでいく。
「村人に現金が回れば、奴らはその金で服を買い、道具を買い、生活を立て直す。活気が戻れば、俺のターミナルを維持し、荷物を捌くための『マンパワー』が育つ。……10枚の白金貨をただの建材に変えるんじゃねえ。村全体の『やる気』と『インフラ維持能力』に投資するんだ。資材の質は、採掘街からもらった提供権と、お前のカプセルがあれば補えるからな」
『マスターの思考は、単なる建築家ではなく「地域開発プロデューサー」ですね。村人たちを、世界初の物流専門スタッフへと育成するわけですか』
「まずは、あのガタガタの広場を潰して、全天候型の『石畳の巨大駐車場』を造る。村人に石を運ばせ、俺がカプセルで固めて仕上げる。その横には、魔物も盗賊も手出しできない『絶対防護の巨大倉庫』だ」
ボッカの瞳に、極度の疲労を忘れさせるほどの、強烈な職人としての情熱が宿る。
「白金貨10枚。これを使い切る頃には、あの村は世界で唯一の『不沈の宿場町』に化けてるはずだ。……さあ、現場の始まりだ」
ボッカは、ついに自分の「本当の仕事」が始まると確信し、明日への期待と共に深い眠りに落ちていった。
【作者からのお願い】
『面白い』『続きが気になる』と思われましたら、是非ブックマーク登録をお願いします。
また、↓に☆がありますのでこれをタップいただけると評価ポイントが入ります。
本作を評価していただけるととても励みになりますので、嬉しいです。




