泥濘の轍と、消えない図面
村人たちからの熱狂的な歓待を受け、泥だらけだった体を粗末な井戸水で洗い流したボッカは、村長が用意してくれた村で一番マシな空き家のベッドに深く腰を下ろした。
「……ふぅ」
骨の芯まで染み込んだような疲労感が、どっと押し寄せてくる。
100キロの結界石を背負い、崩落する山道から落下し、未知の遺跡を登りきったのだ。
常人なら三度は死んでいてもおかしくない一日だった。
だが、不思議とボッカの心は、かつてないほどの『熱』を帯びていた。
彼は薄暗い部屋の中で、自らの左腕に巻き付いたまま鈍い銀色の光を放つ、未知のデバイスを見つめた。
『マスター。心拍数および血圧のわずかな上昇を検知しました。お疲れのようですね。細胞の修復(睡眠)を推奨します』
脳内に直接響く、ロジの涼やかな声。
ボッカは無精髭の生えた顎をさすりながら、低く笑い声を漏らした。
「……いや、疲れてるんだが、どうにも目が冴えちまってな」
ボッカがこの剣と魔法の世界に生を受け、前世――『日本』という高度に発達したインフラ国家で、土木作業員として生きていた記憶を自覚したのは、彼がまだ10歳の頃だった。
前世の記憶がある。
重機があり、アスファルトがあり、蛇口をひねれば安全な水が出る世界の記憶が。
ならば、このファンタジー世界でその知識を活かして、チートのように大活躍できるのではないか?
若かりし頃のボッカも、一度はそう夢見たことがあった。
だが、現実はあまりにも非情だった。
この世界には、セメントも、鉄筋も、ブルドーザーもない。
知識(図面)が頭の中にどれだけあろうと、それを作るための『素材』と、山を切り拓くための圧倒的な『マンパワー(労働力)』、そして何より、莫大な『資金』が完全に欠落していたのだ。
いくら「ここに水路を引けば村が豊かになる」「この山の斜面は崩れるから補強工事が必要だ」と声を大にして叫んだところで、魔法という便利な力に頼り切ったこの世界の住人たちは、平民の少年の言葉など鼻で笑うだけだった。
『魔法使いを雇う金もないのに、誰がそんな面倒な穴掘りをするんだ?』
『道なんて、人が歩けば勝手にできるだろう』
誰も、基礎工事の重要性など理解しようとしなかった。
結果として、ボッカは自分の持つインフラ知識が『この世界では何一つ役に立たない、ただの呪い』であると思い知らされたのだ。
どんなに頭の中に完璧な図面を描いても、形にすることはできない。
だからボッカは、職人としての情熱に蓋をして、己の頑強な肉体だけを頼りに、ただ黙々と劣悪な獣道を歩き続ける「運び屋」として生きる道を選んだ。
いつ崩れるかわからない泥の轍に苛立ち、水はけの悪い街の悪臭に顔をしかめながら、それでも『運ぶ』ことだけが、彼がこの世界で唯一できる「プロの仕事」だったからだ。
だが――。
ボッカは左腕のデバイスを撫でた。
あの地下遺跡で、このAI【ロジ】と出会い、彼が提示した『設営カプセル』の力を見た時。
ボッカの中で、40年間ずっと冷たく凍りついていた『職人としてのエゴ』が、爆発的な熱量を持って融解し始めるのを感じていた。
「……なあ、ロジ」
ボッカは薄暗い天井を見上げながら、静かに語りかけた。
「あの地下遺跡で、お前が作った石の階段。あれは、俺が指定した『踏み面40センチ、蹴上げ20センチ』の寸法を、ミリ単位の狂いもなく完璧に再現していたな」
『肯定します。マスターの設計思想と、私が提供する【圧縮設営カプセル】のナノクラフト技術がリンクすれば、物理法則が許す限り、あらゆる建造物を一瞬で具現化することが可能です』
「……資材の運搬も、数ヶ月に及ぶ工期も、何百人という人足も、一切必要ない。俺が頭に描いた図面を、カプセル一つで形にできるってことだな」
『その通りです。ただし、強固なインフラを構築するには、基盤となるカプセルの生成と、周囲の地形データの解析、そして何より、マスターの正確な【設計図】が必要不可欠です。私単体では、ただの無機質な箱しか作れませんから』
「上等だ」
ボッカは、ベッドの上で力強く拳を握りしめた。
40歳。人生の折り返し地点だと思っていた。もう、泥だらけの道を歩いて荷物を運ぶだけの人生で終わるのだと、諦めかけていた。
だが、手に入ってしまった。
この世界に、俺の描いた理想の『道』を、俺の描いた理想の『街』を、俺の手で作り上げるための、最強の『重機』が。
「……今まで俺は、この世界のクソみたいな道に文句を言いながら、ただ歩かされてきた。自分の無力さを理由にして、臭い物に蓋をしてきた」
ボッカの瞳に、若い頃のような、いや、それ以上のギラギラとした野心が灯る。
それは、凄腕の冒険者が竜を討伐する時の目ではない。
最高の現場を与えられた、一人の『土木インフラのプロフェッショナル』の目だった。
「だが、今日からは違う。資金も、人も、時間もいらねえなら……俺が、この世界の歪んだインフラを全部設計し直してやる」
ボッカの宣言に、ロジのシステム音声が、どこか嬉しそうにわずかに高く響いた。
『推奨します、マスター。あなたの持つ知識領域は、この未開の星を最適化するための最高の財産です。――手始めに、現在のこの村のインフラ状況をスキャンしましょうか?』
「……ああ、頼む」
ボッカの視界に、再び青白い【インフラUI】が展開される。
壁越しに、村全体の地形や建造物のデータがホログラムのように浮かび上がった。
【村の防護柵】
材質:腐敗した木材 / 倒壊危険度:85% / 魔物侵入阻止率:12%
【村の井戸(水源)】
水質汚染度:レベル3(大腸菌・泥の混入あり) / 水量:枯渇寸前
【村落のインフラ総合評価:G(居住不適格)】
「……ひどいもんだ。結界石を置いたところで、柵は腐ってるし、水も死にかけてる。これじゃあ、魔物に襲われる前に赤痢か餓死で全滅だぞ」
ボッカは呆れたように息を吐きながらも、その口元には、不敵な――しかし職人としての喜びに満ちた笑みが浮かんでいた。
「ロジ。俺の体力が回復したら、まずはこの村の『水回り』と『外壁』の基礎工事から始めるぞ。必要なカプセルの素材と、図面の演算を頼む」
『了解しました、マスター(現場監督)。最高のクラフトプランを構築します』
泥だらけの運び屋は、誰よりも安全で快適な世界を造り上げるべく、40歳にして人生最大の『大工事』への一歩を踏み出したのだった。
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