1200年目の貫通 ―帰るまでが現場だ―
「……よし。今日はここまでだ」
ボッカの声が、静まり返ったトンネルに響く。
貫通の興奮が冷めやらぬガッシュとテオだったが、親方のその一言で、自分たちの体が鉛のように重くなっていることにようやく気づいた。
1200年分のガレキを「先輩」と共に運び出し、バーナーを振り回し、神経を磨り減らしてラインを引いた。さらに最後には、歴史的な「毒の爆弾」の解体作業。
若者二人の限界は、とっくに過ぎていた。
「……うっす、親方」
「……お疲れ様でしたっす」
二人は、自分たちが築き上げた『仮設門』を、まるで聖域でも見るような目で見つめた後、重い足取りで村へと続く道を引き返し始めた。
ボッカは最後尾を歩きながら、背後に残した暗闇を一度だけ振り返る。
暗闇の奥。三層のシートで仕切られた『境界線』の向こう側では、1200年間誰も聞いたことのない、新鮮な空気が微かな風音を立てていた。
(……一世紀半。いや、一千年以上の汚れをブチ抜いたんだ。ガスマインの奴ら、…今頃鼻を突くような硫黄の匂いに腰を抜かしてる頃だろうよ)
ボッカは無精髭を撫で、小さく笑った。
懐には、あの地獄の配送で手に入れた「白金貨10枚」の受領証と、石材や鉄の「提供権」が眠っている。
これまではただの紙切れ同然だったが、このトンネルが繋がった今、それは世界を塗り替えるための「最強の資材」に変わる。
村の入り口まで辿り着いた時、空はすでに深い紺色に染まっていた。
村の灯りが見えた瞬間、ガッシュがふらりと膝をつきそうになる。それをテオが慌てて支える。
「……おい。しっかりしろ。帰るまでが現場だって言っただろ」
ボッカが二人の背中を大きな手で支える。突き放すのではない、その暖かさが二人の意識を繋ぎ止める。
「……親方……俺たち、本当に繋いだんだな。……。――あんな場所、村の誰一人として『道』があるなんて、想像もしてなかったのによ」
ガッシュの声は掠れていたが、その瞳にはかつてない誇りが宿っていた。
「……道ってのはな、繋いだ瞬間が一番脆い。明日からは、その脆い道を『本設』の硬い盤面に作り変えていくんだ。……そのための英気を、今から養いに行くぞ」
ボッカが指し示したのは、湯気が夜空に溶けていく村の公衆浴場だった。
「「……お風呂!!」」
二人の顔に、今日一番の輝きが戻った。
村の広場の一角には、ボッカがカプセルで造り上げた無骨な石造りの浴槽と、ガッシュとテオが村人たちと協力して組み上げた『竹と黒鉄木の垣根』が、湯気を白く立ち昇らせていた。
自衛隊の野外入浴施設を思わせるその場所は、今や村人たちの「命の洗濯場」となっていた。
泥だらけで戻ってきた三人と一台(先輩)を見て、村人たちが一斉に立ち上がる。
「ボッカ様! ……それに、ガッシュにテオ! お帰りなさい!」
「……ああ。村長、悪い…… 今は、こいつらに熱い湯を頼む。たっぷりとな」
ボッカがそう告げると、村人たちは「もちろんだ!」と快く道を空けた。
二人が脱衣所へ転がり込むのを見届け、ボッカもまた、ゆっくりと作業着を脱ぎ捨てた。
『マスター。バイタルデータ分析。……心拍数、アドレナリン、共に高い水準で推移していますが、筋繊維には限界に近い疲労物質が蓄積されています。……。――本日の作業効率、および安全管理の完遂度、過去最高値を更新しました』
ロジの無機質な声が、今は心地よい労いの言葉に聞こえた。
「……ああ。カプセルも空だ。……今夜は、思考も『待機モード』にするぜ」
ボッカは浴場へ足を踏み入れた。
湯船では、ガッシュとテオが「あぁぁ……」「溶ける……」と、もはや言葉にならない呻き声を上げている。
ボッカは桶でたっぷりと湯を被ると、二人の隣にドカッと腰を下ろした。
「……どうだ。テメエらが手入れした風呂の加減は」
「……最高、です。師匠。……世界が、新しくなったみたいっす」
テオが、マルチツールを握りしめていた赤く腫れた手を見つめて呟く。
ボッカは湯船の縁に頭を預け、目を閉じた。
(……道が繋がれば、人が来る。人が来れば、金と欲が流れてくる。ガスマインで手に入れた「白金貨10枚」の受領証と、石材・鉄の「提供権」……これまではただの紙切れだったが、このトンネルがあれば一瞬で『最強の資材』に化ける)
ボッカは無精髭を撫で、小さく笑った。
(……明日からは、担ぐんじゃねえ。先輩にトレーラーを牽かせて、ガスマインの山を丸ごとこっちへ運んでやる。……静かにこの湯を楽しめるのも、今夜がかもな……)
その時。
村の入り口付近に設置された『鳴子の延長板』が、微かに、震えるような音を立てた。
チリン……。
一回。透き通った音が、湯気の向こうから微かに響いてくる。
ガッシュとテオがハッとして湯船から身を乗り出した。貫通の瞬間に味わった、あの死に直結する恐怖が脳裏をよぎったのだ。
「お、親方……今の音! まさかガスが逆流して……!」
だが、ボッカは目を閉じたまま、微塵も動かなかった。
「……慌てるな。……ロジ、今の周波数は?」
『……分析完了。波形は単発のインパルス。シートに継続的な圧力(ガス圧)はかかっていません。貫通部における気圧差にも変動なし。……。――単純な物理的接触、あるいは貫通先の温度変化による岩盤の「馴染み」の音と推測されます』
「……聞いたか。ガスの逆流なら、鳴子は『チリリリリ!』と悲鳴を上げ続ける。今のは、道が1200年ぶりに外気に触れて、伸びをしただけの音だ」
ボッカはゆっくりと目を開け、安心させるように弟子たちを見やった。
「鳴子が鳴って、村の入り口まで『共鳴』した。……それは、俺たちが引いた『神経』が正しく繋がっている証拠だ。異常がないことが、この距離でも分かる。……それがインフラだ」
ボッカは再び、深く湯に沈んだ。
「……道具を置いたら、あとは俺たちの時間だ。……何が起きても、現場監督の許可なく『騒がしい現実』をこの湯船に入れるんじゃねえぞ」
湯気に包まれた三人の影。
1200年ぶりに繋がった「境界線」の番人は、今、ようやくその重い荷を下ろし、戦士の休息についていた。
第29話をご愛読いただきありがとうございました!
ついに開通した「ガスマイン」への地下動脈。1200年の沈黙を破ったのは、勇者の剣ではなく、現場監督のドリルと徹底した安全管理でした。
「鳴子」の音に耳を澄ませながら浸かる熱い湯は、インフラ屋にしか味わえない至高の報酬です。
次回、第30話。手元に眠る「白金貨10枚」と「資材提供権」がいよいよ火を噴きます。担ぐ時代は終わり、いよいよ「輸送」の時代が始まります。
「現場監督の許可なく、明日は来させない」――そんなボッカの休息の後に訪れる、物流革命の第一歩をお楽しみに。
それでは、次回の現場でお会いしましょう。
ご安全に!




