1200年目の肺動脈
「……やった、やったぞ! 貫通だ!」
崩れ落ちた岩盤の向こうから差し込む光を見て、ガッシュとテオが歓声を上げた。二人はラインを越え、弾かれたようにボッカと先輩の元へ走り寄る。
「やったっすね、師匠! 本当に繋がっちゃったっすよ!」
「凄ぇな…あんなに分厚い壁だったのに……!」
興奮で頬を紅潮させ、そのまま光の向こう側へ足を踏み出そうとする二人。その細い肩に、ボッカの大きな手が静かに置かれた。
「……待て。そこまでだ」
低く、落ち着いた声。怒鳴ったわけではないが、その響きに含まれた「絶対的な経験」の重みに、二人の足が止まった。
「……親方?」
「よく頑張ったな。ガッシュ、マーキングの精度は完璧だった。テオ、お前が見つけたダクトがなけりゃ、今頃ここは地獄だった。……開通したのは、お前らが自分の持ち場(現場)を守りきったおかげだ」
ボッカは二人の目を見て、短く、だが真っ直ぐな称賛を送った。弟子たちの顔に、誇らしげな笑みが浮かぶ。だが、ボッカの眼差しはすぐに険しさを取り戻し、光の差す「穴」の向こうへと向けられた。
「だがな、ここから先は『未知の現場』だ。……いいか、職人なら覚えておけ。新しい現場に足を踏み入れる前には、必ず、自分の目と道具で安全を確かめる。……『たぶん大丈夫だろう』で踏み出した一歩が、自分だけでなく、仲間全員を殺すこともあるんだ」
ボッカは先輩の傍らにあった測定器――ロジが投影するホログラムの数値を指し示した。
「見てみろ。ダクトで引いてるとはいえ、外からの気圧の変化で、わずかに障気が逆流してきている。……。――ロジ、この先の環境データを出せ」
『了解、マスター。……スキャン開始。貫通先の空間を分析中。……。――マスター、これより先は「カース・ガルド」――1200年前の文明崩壊以来、人の出入りが途絶え、独自の生態系へと変質した高濃度障気領域です』
「1200年、か。……中はどうなってやがる。」
ボッカはライトの光を、崩れた穴の向こう側へと向けた。そこには、12世紀もの時を経て魔導の澱オリが作り出した、未知の「現場」が待ち構えていた。
ロジの無機質な声が続ける。
『了解、マスター。……。――貫通部より前方10メートル地点、酸素濃度18%、障気濃度レベル4。……防護装備なしでの立ち入りは、3分が限界です』
「……3分。……。――聞いたか? 今、お前らが勢いで飛び出していたら、戻ってくる頃には肺が焼けてたってことだ」
ガッシュとテオは顔を見合わせ、生唾を飲み込んだ。自分たちが今まさに踏み出そうとしていた「光」の正体が、1200年分の死への誘いだったことを突きつけられたのだ。
「……すんません、親方」
「謝る必要はねえ。……浮かれるのも、好奇心を持つのも、職人には必要なエネルギーだ。だが、それをコントロールするのが『プロ』の技術だ。……。――ロジ、村への汚染逆流を防ぐために、この貫通部を一時封鎖する。……ガレキと防水布シートを使って、簡易的な『エアロック』を作るぞ」
ボッカは腰の道具袋から、使い込まれた水平器とメジャーを取り出した。
「ガッシュ、テオ。……ここからは重機もカプセルも抜きだ。1200年前の知恵と、そこら辺にある資材を使って『災い』を止める壁を作る。……。――。さあ、安全第一で、もう一仕事だ」
「「はい、親方!!」」
興奮は、プロとしての使命感へと塗り替えられた。
二人は親方の背中を追い、今度は慎重に、一歩一歩地面の感触を確かめながら、貫通部を固めるための「守りの工事」に取り掛かった。
だが、作業開始から数分。先輩が運んってきた古い鉄骨を岩盤に固定していたガッシュが、不意に手を止めた。
「……親方。やっぱ俺、納得いかねぇことがあるんですけど……いいっすか?」
鉄骨を支えるガッシュの指先が、わずかに震えている。テオも泥を塗る手を止め、不安げな表情でボッカを見つめた。
「……ここを開けたら、毒が来る。……だったら、最初から開けねぇ方が、村にとっては安全だった。……。――俺は、そう思うんです。俺たちがやってることは、わざわざ災い(モンスター)を呼び込んでるだけじゃねぇかって」
ボッカは墨壺を置き、静かに首を振った。
「ガッシュ。……お前、さっきスキャンしたあの『終端壁』の裏の数値、覚えてるか?」
「え……。――うす、ガスが溜まってて、圧力がかかってたって……」
「そうだ。……1200年間、あの壁は毒を閉じ込めてたんじゃねえ。……『毒の爆弾』を膨らませ続けてたんだ」
ボッカは墨の付いた指で、先輩が投影する岩盤の断面図を指し示した。
「ドリルを突っ込む前、ロジに『硬質岩層』の弾性率を再計算させた。……結果は、設計値の60%以下だ。……表面は硬く見えても、内側は高圧ガスによる『水素脆化』と、魔導の澱による『化学的腐食』で、スポンジみたいにスカスカだったんだ」
二人が息を呑む。ボッカの言葉は、単なる予測ではなく、目に見える「劣化の証拠」だった。
「……放置してりゃ、早けりゃ次の大地震で、あの壁は内側から弾けてた。そうなれば、制御不能の障気がトンネルを抜けて、村を文字通り飲み込んでたはずだ。……。――膿うみは、腐り落ちる前に切らなきゃならねえ。……今、俺の手で『安全に』爆発ひらける必要があったんだ」
ボッカは再び鉄骨を掴むと、力強く岩盤へ叩き込んだ。
「こうして穴を開けて、ダクトで空へ逃がす道を作った。……今この瞬間から、あの毒は俺たちの『管理下』にある。……ただ怯えて待つだけの『災害』じゃなく、制御可能な『現場』に変えたんだ。……それがインフラ屋の仕事だ」
「……管理下に、置く……」
ガッシュの瞳に、迷いから確信の色が混じった。
「開けない方が安全」なのではなく、「安全に開ける技術」こそが、この世界に最も欠けていたものなのだ。
「納得したなら手を動かせ。……ガッシュ、テオ! その鉄骨の隙間に、防水シートを二重に張れ。……いいか、弛ませるなよ。気圧差でシートが孕はらんだ時、そこから裂けたらおしまいだ。……端っこは、泥と石灰を混ぜて塗り込め。即製の『コーキング材』だ」
二人は今度こそ、迷いなく泥にまみれた。
自分たちのこの「手」による数ミリの隙間を埋める作業が、村の数千人の命を守る「最前線」なのだという自覚が、彼らの動きを鋭く変えていく。
「……親方、三層目、終わりやした!」
「こっちも石灰、埋め込み完了っす!」
肩で息をする弟子たちの前には、即席とは思えないほど重厚な、二重構造の「仮設エアロック門」が完成していた。
『……測定終了。……貫通部と村側の間に、10パスカルの差圧を確認。……リーク(漏れ)反応なし。……。――マスター、お見事です。現地の資材のみで「陽圧管理」
現場作業と対話を並行させることで、「なぜ今、この工事が必要なのか」というボッカの信念が、より土の匂いのする説得力を持って描けました。
弟子のガッシュが作業を止めてまで問いかけたのは、彼が「責任ある職人」になり始めている証拠ですね。
さあ!いよいよ、完成した「エアロック」の向こう側へ。
どうぞ、ご安全に!




